昨日、このブログに載せた
私のお手製の写真立てに入れたノラにゃんこの写真。
写真の日付を見ると、「2020年2月14日」とある。
山荘に来始めて約半年くらい経った頃で
まだケガとは無縁の初々しいイケメンのノラの姿だ。
それからまもなくして新型コロナの緊急事態宣言が発令され
それとほとんど時期を同じくして
ノラにゃんこの傷だらけの猫生が始まった。
最初は5月11日、こんな姿でやって来た。
その1週間後。
さらにその1週間後。
ついには片目のタンゲくんになった。
それでもノラはやって来て
オジサンのくれるご飯を
待って
待って
ひたすら待ち続けた。
そしてオジサンがくれたご飯に
勢いよくかぶりつくと
ハフゥハフゥ、ガツガツと一気に平らげ
あ~、喰った喰った…と言わんばかりに
さも満足気な表情を浮かべていた。
「それが何か、問題でも?」
あ、いや、そうじゃなくて…この食欲があったから
ケガも治すことができたんだな、と思って…。
こんなケガを何度も重ねながら
その度に不死鳥のように元気に甦ってきたノラ。
でも、最後はとうとう還らぬネコになってしまった。
ダメだ…また思い出してしまう。
こちらは3年前に逝った我が家の愛猫ティーウー。
この写真立てもステンドグラスで作った。
この子は娘とはるばる北海道から
フェリーに乗って船酔いでヘロヘロになりながら(笑)
2010年12月に我が家にやって来た道産子ネコ。
それから7年8か月、2018年8月に享年11歳で逝くまで
私たち家族を大いに笑わせ、癒し続けてくれた
とてもユニークで可愛いネコだった。
そして今、こうして2つ並んだニャンズの写真。
片やぬくぬくとした環境で生きた家ネコ。
もう片方は厳しい外の世界で逞しく生きた野良ネコ。
人に甘えることを知っていたティーウー。
それに引き替え、常に人を警戒していたノラ。
どっちがどうとは言えないが
全く正反対の猫生を生きた2匹の愛すべきネコたち。
「おまえ、野良猫だったんだって?」
「あ、先輩!どうも…ボク、ノラと言います。」
「あの山の中で、自由に生きてたなんて…羨ましい限りだよ。」
「エッ!先輩もあの山に行ったことあるんですか?」
「もちろんさ、亡くなる一週間前にも行ったよ。」
「へえ~、じゃあ、あのテラスや大きな松の木も知ってるんですか?」
「知ってる、知ってる。山では自由に外に出してもらえたからね。」
「でも…自由だけど、ボク、いつもお腹ペコペコでしたよ。」
「だろうね。オレは食べることには不自由しなかったけど…」
「それにボク、強いヤツにやられて傷だらけでした。」
「エッ!山にはそんな強いヤツが居るの?」
「ええ、そりゃあもう…散々な目に遭いましたよ。」
「そうか…おまえ、苦労したんだな。」
「でも、オジサンとオバサンが優しくしてくれました!」
「だったら、良かったじゃないか。」
「それに最期も、二人に看取って貰えましたし…」
「いいなあ~、オレなんか最期は病院だぜ。羨ましいよ。」
「ハイ、ボクはメッチャ幸せな野良猫でした!」
そんな会話が聞こえてくるようだ。
「ちょ~っと待ったぁ~!」
2匹のニャンズの間に割って入ったのは
もう27年前に逝った我が家の愛犬ゴンタ。
この子は息子の良き相棒だった。
息子が小学校に入学した頃から高校を卒業するまで
約12年間我が家の家族の一員だった。
「おまえたちもあの山の土の中で眠ってるんだって?」
「ハイ、そうですけど…それが何か?」
「だったら、先輩のオレ様に一言の挨拶もないのは失礼だぜ。」
「え、先輩って?どういうことですか?」
それはこういうことだ。
ゴンタが亡くなった時、その遺骨をこの山の
ソメイヨシノのサクラの樹の下に埋葬したのだ。
それからはこの桜をゴンタ桜と呼んでいる。
ティーウーの遺骨も3年前に
東のガーデンの河津桜の樹の根元に埋葬した。
だから、ティーガーデンと呼んでいる。
そして今回、ノラの亡骸も東のガーデンの
椿とシャクナゲの樹の間に埋葬した。
つまり、我が家に縁のあった犬1匹とネコ2匹が
この山に眠っているという訳だ。
なので、ゴンタは先輩風を吹かせているのだ。(笑)
「なるほど、そうだったんですか!」とティーウー。
「ボク、新入りです。ゴンタ先輩!よろしくお願いします!」とノラ。
「おう、わかりゃあいいってことよ!」とゴンタ。(笑)
もしかすると、あの山でこんな愉快な会話が
3匹の間で繰り広げられているかも知れないと思うと
心がホッコリとして何だか嬉しくなる。
いずれ私たちも向こうの世界に行く時が来る。
その時は3匹揃って出迎えてくれるかな?