昨日から鼻炎に悩まされている。
昨日は朝から、今にも降ってきそうな空で、午後から雨。
どうも私は、こういうどんよりした日に鼻炎がひどくなる。くしゃみと鼻水が止まらず、だんだん頭がぼ〰️っとしてきて、眠くて眠くて、1日無駄にしてしまったようなもったいない使い方。
コロナ禍の通夜と葬儀に行ってきました。親族と一般とに分けた通夜式、翌日の葬儀は親族のみ、出棺でお見送りした後は家からは夫のみの参列でした。
通夜に参列する為、葬儀場に入ると、おじさんの思い出の写真にはお茶目なおじさんがいっぱい。その中に「弟夫婦と京都旅行」って書いてある写真に、若かりし頃のおじさん夫婦と共に義父母と私が写っていてびっくり👀!!
そして、年表のように綴られたおじさんの戦争体験と小泉純一郎総理と福田康夫総理からの表彰状と金盃が展示されていた。亡くなった義父の話にもよく出てきたが、昭和17年12月に一家で満州に渡り、おじさんは20年5月に入隊、終戦間際は悲惨な状況が毎日綴られていて、終戦は20年8月15日だが、武装解除、武器を捨て降参、捕虜となったのは17日の事だそうだ。シベリアでの強制抑留、昭和24年7月5日に帰国が決定、道中おたふく風邪にかかり高熱で苦しんだそうだ。7月30日ナホトカ港より乗船、8月5日舞鶴港到着、7年8ヶ月ぶりに祖国の土を踏みしめ自由の身となった。各県別に分かれ家に帰ったのは8月10日の事だそうだ。改めておじさんの人生に敬服しました。
久しぶりに会ったおばさんは、おじさんより1歳年上の96歳。山奥で生活していたが、おじさんが入院後施設に入ってからは、最初息子さんの所にいると聞いていたが、ここ何年かは、おじさんがいる施設の前にできた老人向けのマンションで1人で生活していたそうだ。
昔から素敵なおばさんだったが、96歳になっても素敵、通夜と葬儀では車椅子に乗せられていたが、「乗り慣れてないから…」と言っていた。
そのおばさんが、棺の中のおじさんの頭や顔を触りながら、「じきにそっちに行くから待ってて」「お世話になったねぇ~」「長い間一緒にいてくれてありがとう」などと言っている姿に涙が出た。
そして、みんなが花を入れ終えた後、車椅子から立ち上がり、棺の中の顔周りの花を自分できれいに整え、葬儀場の人に「よろしくお願いします」と頭を下げた。
旅立つ夫の最後の身支度
ドラマでよく見る、若妻が出かける夫のネクタイを整えるみたいな…
96歳が最後まで妻をやっている
改めていい夫婦だったんだなぁ~
羨ましい夫婦愛を感じた。
出棺の後は夫のみ火葬場へ、義母と私は義妹家族と共に家へ帰った。
もらってきた花を仏壇と玄関に飾り、報告がてらお墓に挿してこようと思っていたが、昨日はあいにくの雨、止んだら行ってこようと思っているが、今も本降り雷も鳴っている。早く上がってくれるといいなぁと思っているが、どうだろう???
3月10日(水)のお弁当
タコライス