
晴れ。ヒロシマ・ナガサキの日が近づいてきた。クマゼミらの鳴き声も朝から激しくなってきた。広島・長崎になぜ原爆が落とされたのか。ことしも考える。第二次世界大戦の末期、1945年7月17日米英ソ三国間で戦争終結対日宣言を巡るポツダム会談が行われた。トルーマン、チャーチル、スターリンの三巨頭の会談。会談の前日、トルーマンにはスチムソン陸軍長官から「赤ん坊たちは満足に生まれた」という電報が届いた。原爆が完成したという知らせだった。この新兵器とソ連参戦で日本に降伏を迫ることが可能になった。しかし、7月26日のポツダム宣言には米英中の軍事力の誇示はあるが、ソ連参戦も新型爆弾のことも書いていない。トルーマンから新兵器のことを知らされたスターリンは無反応のふりをしながらソ連の原爆開発部門の責任者に研究促進を指示したという。
原爆がどういうものか、トルーマンもスターリンも知るまい。それを知ったのは広島と長崎の市民である。残虐極まりない兵器だった。アメリカはいまも戦争終結のためにやむを得なかったという立場だが、原爆を戦争の手段として使うこと自体許されない。非人道の兵器なんや。被爆の実相を被爆者たちが国際社会にも訴え続けてようやっと、非人道の核兵器を違法とする条約が2017年7月、国連で採択された。効力をもつには50か国の批准が必要である。アメリカの核の傘に頼る日本政府は核兵器禁止条約に反対し続けているが核兵器のない世界に向かって努力するのが当然の務めだろう。市民社会の力を強め条約の早期発効を実現したいものである。昼は、パスタ・ミートソースプラス茄子・パセリ・納豆。
ひと休みひと休みして雲の峰 昇龍子