

晴れ。風あり。猛暑やや和らぐ。きょうも核兵器の歴史を調べる。きのうは1945年7月のポツダム会談の際にトルーマンのもとに届いた新兵器誕生の電報を巡る話を書いた。ソ連の対日参戦がなくとも新兵器で日本を敗北させることが可能だとトルーマンはふんでそれを広島・長崎で実戦投下した。それが真相に違いない。
きょうは、トルーマンから新兵器誕生を知らされたスターリンがどう反応したのか。1945年8月のヒロシマ・ナガサキ後の米ソの対応はどうだったのか、大量破壊・殺戮兵器の出現に科学者や国際社会はどうしたのか。いろいろ知りたく資料をひっくり返す。ソ連もまた、アメリカに対抗して1949年8月29日、セミパラチンスク実験場で原爆を開発している。1950年代~1960年代にかけては朝鮮戦争やキューバ危機の際、原爆使用の危険が伝えられた。米ソの核軍拡競争は1980年代まで止まることを知らぬ勢いだった。核抑止力による戦争防止、核の傘論が喧伝された。大阪では副知事が非核三原則批判までやり出した。
一方、核兵器非保有国と市民社会の反核平和運動が響き合って核兵器の廃絶を求める国際世論は20世紀後半から21世紀にかけ大きく発展した。2017年7月7日、122か国による核兵器禁止条約は核兵器そのものを違法とし全面的に禁止・完全廃絶する手続きを示している。ことしは、条約採択から2年目。条約の発効まであと26か国の批准が必要である。核保有国の抵抗も根強い。被爆国の一市民としてなにかをしなくては。あすのヒロシマの日を厳粛に迎えよう。千里みどりのさんぽみちを通って南千里の千里図書館へ、核兵器に関わる本2冊返却。牛ヶ首池の四阿付近のパンパスグラスの生長に驚く(写真)。昼はざる蕎麦。
草いきれ小道にはみ出し垂れており 昇龍子