ノーやん日記パート2

長崎被爆74周年


 晴れ。きょうも猛暑。長崎は被爆74周年の平和祈念式典。午前11時02分、鐘の音とともに自宅で黙とうす。広島同様長崎もたった一発の爆弾で7万4千人もの命が奪われました。その後も10数万人の犠牲者を出し続けました。被爆者は差別され二重三重の苦難を背負わされました。市の式典で85歳になる被爆者代表が自身の被爆体験を生々しく語り、独学で学んだ英語も駆使して全世界に核兵器の廃絶を訴えました。田上富久長崎市長が核兵器を巡る危機的状況を訴えそれを救うのは市民社会だとその力の発揮をよびかけました。安倍首相は、広島同様、核兵器国と非核兵器国の橋渡しをすると言いました。

 ICANの川崎哲さんの「核兵器はなくせる」を読み終える。唯一の戦争被爆国である日本政府が被爆者の声に背を向けてなぜ「核兵器禁止条約」に反対するのか。その疑問に答えるところがありました。「第4章 いま日本が立っている場所」。それは、日本が1968年に署名した核兵器不拡散条約(NPT)です。

 同条約は、「核軍備競争の停止をできる限り早期に達成し、及び核軍備の縮小の方向で効果的な措置を取る」というもので、米英ソ中仏の核兵器国には保有を事実上合法化しました。核兵器の禁止条約ではありません。日本政府はこの条約で一歩一歩核兵器廃絶に近づくという立場のようです。

 世界の安全保障環境の厳しい現実を見ると核兵器は戦争防止に有用(必要悪)で、簡単にはなくせないという考えらしい。被爆者の核兵器をなくせという思いは分かるが非現実的というわけです。こんな理屈が通用している間は核兵器は「役立つ兵器」ということにりいつまでたってもなくせないでしょうね。

 もう一つの疑問は、核兵器の開発に関係したのは優れた科学者だったのではないか。その社会的責任・倫理観はどうだったの。核物質の兵器化が人道上の問題を引き起こす危険は予見できなっかたのでしょうか。もちろん、軍人・政治家の責任が第一でしょうが。「非人道の兵器」だと分かりながらそれが「役に立つ」という為政者のなかにあるおぞましい考え・意識はいったいなんなんでしょうね?お昼は、カルボナーラ・パスタ。
          背の弟を弔うけふの長崎忌 昇龍子
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