ノーやん日記パート2

亡父没後20年

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 きょうはわが父の長眠20年。生きておれば105歳。心筋梗塞と脳梗塞の併発だった。老人病院で寝たきりの母を介護しているときに倒れ、同じ部屋で意識不明の寝たきりになっていた。母も父の死を知らない。悲しい最期だった。きょうは墓参りをせず自宅で亡父をしのぶ(写真はエラブユリ)。

 無口な父は青年時代から俳句を好んだ。晩年句集を2冊出した。「岬」と「瑞穂ヶ丘」。謹厳実直の句風。俳名斗汐。その句集をぼくは、いまもときどき盗み読みして真似ている。ぼくのはそれとは違うおっちょこちょいの句。「分からん句やなぁ」と人によく笑われる。亡父を超えられない。俳句は、開眼するどころか右眼右脳、帯状疱疹後神経痛で故障中。ふらつき俳句。

父の句集から2句を紹介させていただく。

那智三山雲湧き軒へ燕来る 斗汐

鷹渡る明けの伊良湖の寂世界 同

 父は、芭蕉の「鷹一つ見付てうれしいらご崎」の伊良湖岬の村の産。里帰りするとよく、サトウキビや落花生、干し芋、牡蠣を土産に貰って帰った。牛小屋の匂いと潮の波音が聞こえる村だった。子どもの頃父といっしょに遊んだ記憶はない。朝早く出勤し、ぼくが寝入った頃に帰る毎日だった。日曜日には天秤棒を担いで畑仕事にでていた。手紙はたいがい2行か3行。用件だけふるえる手で小さな字を書く癖だった。亡き父に学んで俳句に開眼できるよう頑張りたい。

 けさは、小学校のゴーヤの育ち具合を見て、千里中央のペインクリニックへ行く。「右目と頭の痛いのは変わりがないです」「ちょっとお薬の量をふやしましょう。ふらつくようだったら飲む量を調節して下さい」。自宅で音楽を聞きながら横になる。

水を遣る子らぐんぐんとゴーヤ伸ぶ 愚句

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%泣くwebry%}父母のことは、いくつになっても心の壇上にいます。
fm
私の父は1900年生まれですから、計算が楽です。今年で110歳です。あまり道楽のない人でした。
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