ノーやん日記パート2

情の厚い人間蕪村

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 晴れ。少し寒い。「蕪村全集」八関係俳書の蕪村句の拾い読みを終わる。鉄道のない時代に近畿一円、四国、北陸、東海、関東に及ぶ俳人と交流していた。それを知るだけで蕪村の行動力に驚く。二十歳ごろ単身郷里を去って江戸に下って以降、俳諧と絵画の修業に明け暮れた蕪村(写真上)。上洛して夜半亭を継いでのちも丹後や四国に修業を続けた。並の努力ではなかっただろう。

 安永7年(1778)、秋来編の「封の儘」に蕪村が跋文と句を寄せている。この句集は雪門という仙台の俳人の三回忌に門人の秋来が、遺族、門人、知友の句を集めて上京し出板した追善句集である。蕪村とどういう関係だったのか見ると、雪門も秋来も蕪村とは直接関係ない。雪門が蕪村と旧知の雁宕から句を学んだという、ただそれだけの関係という。

 普通なら、「雪門さんのこと知らんさかいお断りします」というところや。そこを蕪村は下総修業時代の懐旧の情募ってか、跋文を引き受けた。「雁宕は余がいにしへの知己なり。されば雪門も亦、しらずといふべからず」。人情厚い蕪村を知る。写真下=千里みどりのさんぽみちの乙女椿。

 娘くのが安永六年五月、出戻りして一年経つか経たないかのころ。このころ蕪村は、浪花の旧国(大江丸)と網島に遊び夕方桜の宮を歩いた(安永7年3月9日)り、兵庫・灘へ出かけたり忙しく動いている。
               先賢の顔朧なる蕪村かな 昇竜子
 

 

コメント一覧

ノーやん
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{%笑いwebry%}大阪も寒かったです。でも三寒四温。こころウキウキの寒さでした。
fm
今日は寒くて外に出掛けられなかったのですが、大阪は如何でした。近所の桜も一向に咲きそうもありません。寒さのせいだとおもいます。上の椿は上品に咲いていますね。
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