安永7年(1778)、秋来編の「封の儘」に蕪村が跋文と句を寄せている。この句集は雪門という仙台の俳人の三回忌に門人の秋来が、遺族、門人、知友の句を集めて上京し出板した追善句集である。蕪村とどういう関係だったのか見ると、雪門も秋来も蕪村とは直接関係ない。雪門が蕪村と旧知の雁宕から句を学んだという、ただそれだけの関係という。
普通なら、「雪門さんのこと知らんさかいお断りします」というところや。そこを蕪村は下総修業時代の懐旧の情募ってか、跋文を引き受けた。「雁宕は余がいにしへの知己なり。されば雪門も亦、しらずといふべからず」。人情厚い蕪村を知る。写真下=千里みどりのさんぽみちの乙女椿。
娘くのが安永六年五月、出戻りして一年経つか経たないかのころ。このころ蕪村は、浪花の旧国(大江丸)と網島に遊び夕方桜の宮を歩いた(安永7年3月9日)り、兵庫・灘へ出かけたり忙しく動いている。
先賢の顔朧なる蕪村かな 昇竜子
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ノーやん
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