ノーやん日記パート2

つわの花

 曇りのち晴れ。きょうも寒い。太平洋戦争開戦の翌日、生後9か月のぼくは名古屋市昭和区洲雲町の一軒家で育児されていた。当時はミルクなどなく母乳だった。40歳の母はすでに貧乳になっていた。虚弱なぼくは母の手で懸命にいのちを救ってもらった。疎開先でぼくが高熱を出しジフテリアと診断されたとき。母は医師から高額の特効薬が要ると言われ必死で医師にお願いしたという。人命より戦争の時代の記憶。

「本朝話人伝」のつづきを読む。名人しん生、初代南竜、扇橋と扇歌、柳橋と柳枝、典山と貞山、一立斉文車など講談師、落語家の逸話が続く。ソファーに寝ころんで読むにはもってこいの話。作者野村無名庵のしっかりした取材の上に脚色を施して読ませる。噺家銘々伝とでも言おうか。お昼はパスタ・ナポリタン。

 午後、市内へ用事。暖房のない部屋に長居をしていると腰痛が出てきた。退散する。

 新団地の芝生の脇の石蕗の花 昇龍子

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