きょうは与謝蕪村没後234年の忌日や。摂津国・東成郡毛馬村生まれの蕪村。本名谷口信章。いつの日か若かりし頃、毛馬を出て京・江戸・下総など各地を巡って画・俳両道を極めた。画号謝春星。陰暦の天明3年(1783)12月25日、京都で没し京・金福寺に眠る。子規・藤村ら近代文人が高く評価した。墓所・金福寺や画巻など作品が遺る池田の逸翁美術館にはわが輩も再々訪ねた。出生地の毛馬は淀川の改修工事で川底に没しているが毛馬界隈も徘徊した。淀川神社に蕪村像ができ句碑が並ぶ蕪村公園もある。
画俳両道の研鑚は、漢詩に通じていた。蕪村という名前じたいが陶淵明の「帰去来辞」から得たという。「霜百里舟中の我月を領ス」など漢詩調の句は実に多い。望郷の思いを込めた代表作「春風馬堤曲」しかり。京都には歴史的な見どころが多いが、浪速の蕪村ももっともっとやで。写真上=千里南公園にある張継の「楓橋夜泊」詩碑。下=千里の時雨れ。
蕪村追う千里丘陵冬の虹 昇龍子
謝春星まつる出窓の花育て 同
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ノーやん
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