ぼくは、1歳9か月でしたから当時のことは記憶にありません。記憶にあるのは、名古屋大空襲の夜、だれかの叫び声で防空壕から逃げ、姉に手をひかれて大通りの時計屋さんに飛び込んだこと、爆風で壁が倒れた家の裏庭で母親にすがりついて泣き叫んでいたこと、きのうまでいっしょに遊んでいた向かいの子が爆弾の直撃で家族もろとも死んだと聞かされたときの哀しみなど、ごく断片的なできごとにすぎません。疎開先での貧乏暮らしもなぜか強く頭に焼き付いています。なぜ戦争が起きたのか、平和憲法を知るなかでだんだんわかってきました。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意」しました。その誓いはどうなったのか、ぼくの人生にずっとつきまとっている問題です。戦争は絶対美化してはいけないことですね。
きょう9歳上の姉から信州リンゴが届きました。腰が痛くてあまり出歩けないといいます。けど口の方は達者なようです。「おいしいりんごを食べて元気をつけなさい」。なによりの薬とうれしく頬張りました。きょうは、麻酔科でブロック注射をして痛みどめの薬ももらいました。まだ、新聞を読んだりパソコンに向かうのはつらいですが、図書館でモーツアルトと桂米朝のCDを借りてきました。あせらずじっくりなおすつもりです。
痛む朝の林檎剥かれて皿の上 拙句
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