たとえば「春雨や椿の花の落る音」。兵庫の連衆の句だが、「あまた聞たる趣向也」―よくあるありふれた句、と手厳しい。こういう調子で「古き心地」「古き場也」「古き処」「古くさき所」「古キ詩」…と短評し、古風を戒めている。「しほからき」という言葉の批評もあるが、これも「古くさい芸風」という演劇用語を使っての句評。
「玉子酒内儀が下戸を恨けり」の句には「悪句く」の酷評。「卵酒主は飯を喰ふ音す」句には「きたない様な句じや」。
発句の古臭さを戒めるいっぽう、蕪村は秀句には「眼前致景」と点評を記している。漢詩文に親しんだ蕪村ならではの評語と思うが、「新たな視点から目前の景をとらえて絵のごとき景趣を発見した句」評と全集解説者は解読する。漢詩人たちの「目前ノ景」「如画」の主張にもとづく言葉のようや。蕪村の句が多分に絵画的・演劇的なのと通じているのだろう。
漢詩にせよ絵画にせよ蕪村の教養はいつどこで培われたのだろうか。自分史を語ろうとしなかった蕪村の謎でもある。謎めけばそれを知りたがるのも俗人の哀れなさが。か。写真上=千里竹見台付近、下=同公園
雛つ子の籠出るごとく野を遊ぶ 昇竜子
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ノーやん

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