ノーやん日記パート2

終戦の八月来

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 晴れ。風強し。台風10号が太平洋上を東から種子島方面へ向かっているようや。「台風の影響ですかね」。元管理組合理事長のAさん。枳殻の樹に水をやりながらいう。「東から西を向いて走る台風は珍しいですね」。きょうも朝から各花壇とプレイロットのコンテナに水やり。ペチュニアの脇にポーチュラカが顔を出した。去年のこぼれ種か。

 30度を超える猛暑がこれだけ続くとぐったりするのは花だけやない。人もおんなし。よし、泳ぎに行ったろ。きのうはそう思い立って北千里のプールで汗を流した(写真)。気分爽快やった。愚妻はメタボの改善を指導され夕方千里コラボの健康体操教室に行きよった。身体を動かすんは健康にいい。

 ロンドン五輪柔道女子で金メダルを獲った松本薫選手の気迫には圧倒されたネ。すごいぞ。カオルチャン。ファイトやな。きょうは風があるおかげで部屋の空調は要らん。部屋に籠って「アンネの日記」を読む。

 1942年6月12日から1944年8月1日アムステルダムの隠れ家で15歳のアンネ・フランクがドイツの秘密警察に逮捕連行されるまでの身辺の出来事を綴っている。アンネは日記を将来公刊するつもりで登場人物の変名を決めていたという。きょうは1942年7月8日「SSからパパに呼び出し状が来た」ときから、「パパの事務所のある建物のなかにある」隠れ家に移り棲んだ10日にかけての模様を読んだ。手に汗握る「心労と緊張」のさまが分かる。ぼくは名古屋大空襲で姉に手を引かれ逃げまどった頃の地球の反対側の出来事。強制収容所でなくなったアンネは「わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること!」と日記に書いている。すごい!21世紀のいまもなお世界に生きる少女の日記や。自分の意見をはっきり主張することの大事さを教えてくれた。ペンは剣よりも強し。

 昼はざる蕎麦。スーパーで100円の穴子天を売っていたので買う。蝉声はきょうも午後からは油蝉に変わる。きょうから文月。綿雲が浮かびなんとなく秋隣の風情。風は夕方になっておさまる。

文月来口元縛る者あれば 愚老 

コメント一覧

ノーやん
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{%ふつうの顔webry%}fmさん、ぼくら一家が空襲に遭ったのは昭和区洲雲町の長屋です。防空壕から逃げ出した時玄関前の火の手こと、市電の架線が地面に垂れていたこと、夜空に見た恐ろしい飛行機の編隊などいまも忘れられません。
fm
「名古屋大空襲」の時か記憶していませんが、終戦のころ岐阜に疎開していました。東の夜空が真っ赤に焼けていたのを眺めていた記憶があります。
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