終日曇り。10月の終わり。ひんやりするのでシャツは長袖、外出も薄手のジャンパー着て。4丁目花壇のランタナやホトトギス、畑のダイコンなどをガラケイでカシャカシャしたがなぜかパソコンに保存できず。写真は偶々保存できたランタナと千里西町にある関西メディカル病院。
お昼は永谷園のお茶づけパスタで。わが老夫婦の駄弁りー3回も出征した妻の父の話。「なぜか戦地・朝鮮の話をしたがらなかった」。愚老の父は。なぜか徴兵されず徴用工で働いていた。「なんか後めたさを背負った感じがしたよ」、敗戦後は、占領軍が島根の山間地まで来てキャラメルをばらまいていたこと、米軍に爆撃され炎上した愛知県の飛行場で薬莢拾いをしたことなど。「いまの若い衆はロシア援軍の北朝鮮みたいにアメリカを助けようと戦争に行くやろか」とも。「それはないやろ」。
「被団協」のノーベル平和賞受賞でよりはっきりしたのは「平和」は「戦争」やその「脅し」で築かれるものではないということ。
十月が終わればすぐに鍋支度 昇龍子