ノーやん日記パート2

終戦72周年の日“無反省な人々”

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 雨のち曇り。降ったりやんだり。昼間から公園でカナカナが鳴く。涼しい風が入る。きょうはあの戦争が終わって72年目。きょねんもおととしもこの日記に書いたが戦争が 終わって「嬉しかった」「ほっとした」気持ちはいまも変わらない。72年間、平和の憲法をもちどこの国とも戦争をしなかった。合戦も内戦もなかった。平和ほどありがたいもんはない。すべての戦争犠牲者に合掌。

 三國一郎さんの「戦中用語集」などいろんな戦時中の本を読んでいて、子どもの頃に覚えたコトバを思い返す。ボークウゴオ、クーシュウケイホー、ケーカイケイホー、ケンペイ、ボウカクンレン、ボウカヨースイ、ボークウズキン、ボードクメン、ショウイダン、イットンバクダン、キチクベーエー、ビイニジュウク、コーシャホー、カンサイキ、キジューソウシャ…怖かったなあ。カミカゼトッコータイ、センニンバリ、テツカブト、ヘイタイサン、センカンヤマト、ギョクサイ、ゼロセン、エイレイ、ヤスクニジンジャ…勇ましく思ったけど「キグチコヘイハシンデモラッパヲハナシマセンデシタ」て、天然バカボンのボクには不思議だった。トウジョーヒデキ、ススメススメヘイタイススメ、ホシガリマセンカツマデハ、ムジョーケンコーフク、センパン、シンチューグン、エムピー、パンパン、センサイコジ、デーデーテー…きりがないな。まだ死語になっていないコトバもあるぞ。

 いまだに腑に落ちんのは、あれだけむちゃくちゃなことをしながら戦争を起こした国の最高責任者が処罰もされずにきたこと。そのうえ「平和ボケ」などと人を小馬鹿にし戦争を懐かしむ輩が無反省に歴史の屑篭から這い出しつつあること。戦争か平和かが問われる時代が東アジアも妙に生々しくなってこようとは。名もなき民が声をあげてこんな空気吹き飛ばさにゃあ。いけんぞなもし。これ、2017・8・15に思うことナリ。昼は素麺とサツマイモと南瓜。写真は、猿投村の疎開先で大家さんのおばちゃんに抱かれるノーやん。襟に三ツ星の徽章をつけている。下は、きょねんもアップした写真の再掲。疎開する前の名古屋の長屋で遊び友だちと。右端がノーやん、左はヘイタイサンの帽子をかぶるカッチャン。
         新涼や目覚めは早し雨の音 昇龍子 

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}度し難い狂人が日本にも隣国にも遠国にもいますね。
fm
ボークウズキン被り庭に掘ったボークウゴオに母親と飛び込むボークウクンレンを思い出します。靖国神社に行けば拾ってくれる人が居るだろうと思う馬鹿な女がいる。
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