ノーやん日記パート2

没後続いた蕪村の追悼行事

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 晴れ。「蕪村全集」九巻に移る。年譜をみる。蕪村が亡くなったのは、天明3年(1783)12月25日未明。68歳だった。弟子の几董、月圭、梅亭、田福らが看取る。翌26日、夜半亭で几董筆頭に連衆72人が一巡の追善俳諧を興行。

 本葬儀は五七日過ぎた翌年1月25日。洛東金福寺で行われた。尾張名古屋から駆けつけた暁台の追悼吟を発句に追善俳諧(一巡歌仙)を行う。几董の社中26名も「正月廿五日葬送」と題する追悼発句を手向けた。

 几董による蕪村追善集「から檜葉上下」の発行、蕪村自筆稿本「新花摘」の刊行、「蕪村句集」上下巻の板行など追悼の事業が文化12年(1815)の33回忌ごろまで長く続く。明治15年(1882)の百回忌には、百池の孫の百僊という人が金福寺境内に蕪村の顕彰碑を建てている。すごいな。生誕300年目のことし大阪では銅像が立った(写真上)。

 お昼前、歯科の定期検診。「歯はよく磨けてますが、左下の歯ぐきが膨らんでいます」。レントゲン検査。どうも神経が死んでいるらしい。電流を流しても反応がない。当分通院し消毒してもらわんとあかんらしい。えらいこっちゃ。

 せんちゅうで缶ビールやら助六やら買うて、長谷池と千里中央公園でひとり花見をする。写真下は、モクレン。
                   夫婦鴨ときどき潜り口移し   昇竜子
               

 

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}座の文芸には尻取り的なルールはありません。ただ歌仙を巻く場合、順番で花の座、月の座、恋の座などは何番目というルールが決まっています。
fm
今更ながらお恥ずかしい質問ですが。変な喩えですが、尻取りは前の人の言葉の最後の音ではじまる言葉を答えなくてはなりません。

連歌も連句も知りませんが、前の人の歌なり句を内容的に、あるいは一語でも受け継がなくてはいけないのですか。ルールはあるのでしょうか。
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