本葬儀は五七日過ぎた翌年1月25日。洛東金福寺で行われた。尾張名古屋から駆けつけた暁台の追悼吟を発句に追善俳諧(一巡歌仙)を行う。几董の社中26名も「正月廿五日葬送」と題する追悼発句を手向けた。
几董による蕪村追善集「から檜葉上下」の発行、蕪村自筆稿本「新花摘」の刊行、「蕪村句集」上下巻の板行など追悼の事業が文化12年(1815)の33回忌ごろまで長く続く。明治15年(1882)の百回忌には、百池の孫の百僊という人が金福寺境内に蕪村の顕彰碑を建てている。すごいな。生誕300年目のことし大阪では銅像が立った(写真上)。
お昼前、歯科の定期検診。「歯はよく磨けてますが、左下の歯ぐきが膨らんでいます」。レントゲン検査。どうも神経が死んでいるらしい。電流を流しても反応がない。当分通院し消毒してもらわんとあかんらしい。えらいこっちゃ。
せんちゅうで缶ビールやら助六やら買うて、長谷池と千里中央公園でひとり花見をする。写真下は、モクレン。
夫婦鴨ときどき潜り口移し 昇竜子
コメント一覧
ノーやん
fm
最新の画像もっと見る
最近の「インポート」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事