今も、携帯の電話帳に“彼女”の番号は載っている。「ねえ、そろそろ遊びに行かない?」そんな声が聞こえる様だからだ。久しぶりに古いアルバムを広げて、在りし日の“彼女”を探した。ラストショットとなった1枚は、逆光気味ながらも“彼女”の笑顔を切り取っていた。ずっとロングだった髪をボーイッシュなショートに替えた直後だ。「何故、バッサリといっちゃった訳?」私の問いかけに「何でかなー?」と言葉を濁した“彼女”。それから数か月後に“彼女”は逝ってしまった。最後まで自身の事は語らずに、何時も他人の心配ばかりしていた“彼女”。「マイちゃん」が旅立って10数年の時が流れた。だが、まだマイちゃんの存在を忘れることは無い。娘を始めて抱っこしてくれた時、皆で温泉旅行へ行った時、安曇野を走り回り花火で遊んだ時、入院中に脱走して歩き回り自転車を買って帰り、看護師さんに厳重注意を言い渡された時、仮退院が決まり2ショット写真を撮った時、走馬燈様に思い出は蘇るが、マイちゃんは天国へ行ったまま。そろそろいいかな?マイちゃん!彼女との思い出を振返る旅に出るとしよう。
マイちゃんと初めて会ったのは入院後まもなく、ナースステーションの前だった。凛として前を向いて歩く姿に圧倒された。誰も寄せ付けぬ“ただならぬオーラ”を纏ってはいたが、その美貌と群を抜くスタイルは“場違い”な程に輝いていた。勿論、口など聞けるはずも無かった。マイちゃんの心は“氷河に閉ざされた金庫”に厳重に終い込まれている様に見えた。「鉄の女だな」と私は思った。しかし、突然にマイちゃんと話す機会は訪れた。それは、法事で1週間の一時帰宅を終えて帰って来た日だった。洗面台の前で車椅子の操作に悪戦苦闘しているマイちゃんを助けた事が始まりだった。ゴミ箱を避け切れずに進むも引くも出来ずにいた、マイちゃんの車椅子を軌道修正してやり「どうして突然、車椅子なの?」と私が問いかけると「やっと一時退院の許可が出て、ヤッター!って階段でジャンプしたら踊り場で両足をねん挫したの!馬鹿みたいでしょ!」と笑って答えてくれた。「ありがとね」と言うとマイちゃんは病室へ戻って行った。初めて見るマイちゃんの笑顔は眩しかった。荷物を病室へ戻し、病棟着に着替えて“喫煙所”に陣取っていると、マイちゃんがやって来た。「ごめん、火貸してくれる?」私はライターを手渡した。“マールボロのメンソール”がマイちゃんのお気に入りの銘柄だった。豪快に煙を吐くと「さっきはありがとね。暫く見なかったけど一時帰宅?」とマイちゃんから話しかけられた。「ああ、法事でね。ここに慣れると家に居るのが苦痛だよ」と私が言うと「私は、早く家に帰りたいな!犬と遊びたいし・・・、好きなモノ食べたいし、夜更かししたいな!」と無邪気に言い出した。お互いに自己紹介をして、携帯の番号とメルアドを交換するのに対して時間は掛からなかった。「私さぁ、今度こそ真面に退院するつもり。足、ねん挫したけど絶対に戻って来ないから!」マイちゃんは力を込めて言った。「ちなみに“今のセリフ”は何回目?」と私が問うと「うーん、それを言われるのはツライ!4~5回目かなー?」と小首をかしげた。ひょんなことから“氷河に閉ざされた金庫”は、少しだけ開いた。「まあ、当分は家でヒマしてるからメールでもちょうだい。後、“〇ッシー”って呼んでもいい?」マイちゃんは、いきなり私の略称を決めた。「いいよ」と私が言うと、「〇ッシー、どうぞよろしくお願いします!退院まであと少しだけど」と言って手を振って病室へ戻って行った。こうして私とマイちゃんとの関係は始まった。予定通り、翌週にマイちゃんは退院して行ったのだが、半月も経たないうちに病院へ救急搬送されてきた。原因は“大量服薬”であった。後に知ることになるのだが、マイちゃんは母親との折り合いが悪く、家でも小競合いが絶えなかった様だ。ICUから病棟へと舞い戻って来たマイちゃんは「あーあ、〇ッシーまた宜しくね」と言ってタバコを吸い始めた。「見舞いに来てくれるかと思ったら“お帰りなさい”だね。まあ、ここの暮らしも悪くはないさ!」私が言うと「うん、さっき“ボスがお帰りになった!”って女の子達に言われた。悔しいけど、何かホッとしたような気分。〇ッシー、ここに溜まってる事多いけど、何か理由があるの?」マイちゃんは屈託のない笑顔で聞く。「まあ、病室に居てもヒマだし、本も音楽も聞き飽きたってのが理由かな?人間観察に適している場所でもあるし、先生とか看護師さんの動きを見てるだけでも、意外に飽きないからね。お陰で“指定席”と化してる訳」自重気味に私が言うと「そうだね。確かに、ここはオアシスだよね。〇ッシー、今度、他の女の子達を連れてきてもいい?お互いヒマだし。女の子と喋るの平気そうだし」マイちゃんが真顔で聞く。「ああ、別にいいけど」やや気圧され気味に私が言うと「女の子達もヒマしてるから、相手をしてあげて。〇ッシーなら“人畜無害”だと私は思うから!」マイちゃんはサラリと言ってのけた。知らず知らず内に、私はマイちゃんに“モニタリング”されていた様だ。だが、不思議と違和感は無かった。「承知しました“ボス”!」私は神妙に答えた。
マイちゃんもそうだったが、当時の女性入院患者の約8割が「摂食障害」と言う“食行動に問題がある”病気だった。食べ吐きを繰り返し、自傷行為に及ぶことも珍しくない。原因は「ダイエット」に端を発する事が多い。過酷なまでに食事を制限すると、人間は“防衛本能”を働かせて、食事を摂る様に脳がシグナルを発する。その際、今までの反動からついつい“ドカ食い”をしてしまう。「今までの努力は何だったのか?」彼女達は自己嫌悪に陥る。こうして「過食嘔吐」が始まり、自己制御が効かなくなる。負のスパイラルへと転落してしまうのだ。過食をしても、吐けば体形は変わらない。故に症状は加速度的に悪化する。マイちゃんの両手首にも“無数の切り傷”が刻まれていた。正に“底なし沼”である。だが、そうした事は精神科病棟では“当たり前”の事であり、気にする要素にはならなかった。ただ、彼女達が途轍もない“心の闇”を抱えて戦っている事の証ではあった。暗黙のルールとして“個人的な事は聞かない”事が求められた。誰でも知られたくない“心の闇”はあるものだ。私も自身のことで、とやかく言われるのは嫌だった。女の子達と話す上で、私はまず“聞き役”に徹した。自身の事を聞かれれば、差し障りのない範囲では答えたが、とにかく“聞く”ことが必要だった。誰でもそうだと思うが“胸の内を吐き出したい”時はある。ましてや病院と言う閉鎖空間に長くいれば、息は詰まるものだ。マイちゃんは、私の“聞く姿勢”を見ていたのかも知れなかった。暫くすると、雑談会が始まった。マイちゃんは、知り合いの女性患者を連れてはタバコを吸いに来るようになり、自然と私の周りには女性患者の輪が出来上がって行った。話の内容は、たわいもない事や先生、看護師、病院食等々から始まり、クスリの事まで多岐にわたった。彼女達の中心には、マイちゃんが居て、何かとフォローを入れてくれた。やがて、喫煙コーナーは、雑談室へと変貌し、私は午前と午後の2度“指定席”で話の輪に加わって行った。
マイちゃんと初めて会ったのは入院後まもなく、ナースステーションの前だった。凛として前を向いて歩く姿に圧倒された。誰も寄せ付けぬ“ただならぬオーラ”を纏ってはいたが、その美貌と群を抜くスタイルは“場違い”な程に輝いていた。勿論、口など聞けるはずも無かった。マイちゃんの心は“氷河に閉ざされた金庫”に厳重に終い込まれている様に見えた。「鉄の女だな」と私は思った。しかし、突然にマイちゃんと話す機会は訪れた。それは、法事で1週間の一時帰宅を終えて帰って来た日だった。洗面台の前で車椅子の操作に悪戦苦闘しているマイちゃんを助けた事が始まりだった。ゴミ箱を避け切れずに進むも引くも出来ずにいた、マイちゃんの車椅子を軌道修正してやり「どうして突然、車椅子なの?」と私が問いかけると「やっと一時退院の許可が出て、ヤッター!って階段でジャンプしたら踊り場で両足をねん挫したの!馬鹿みたいでしょ!」と笑って答えてくれた。「ありがとね」と言うとマイちゃんは病室へ戻って行った。初めて見るマイちゃんの笑顔は眩しかった。荷物を病室へ戻し、病棟着に着替えて“喫煙所”に陣取っていると、マイちゃんがやって来た。「ごめん、火貸してくれる?」私はライターを手渡した。“マールボロのメンソール”がマイちゃんのお気に入りの銘柄だった。豪快に煙を吐くと「さっきはありがとね。暫く見なかったけど一時帰宅?」とマイちゃんから話しかけられた。「ああ、法事でね。ここに慣れると家に居るのが苦痛だよ」と私が言うと「私は、早く家に帰りたいな!犬と遊びたいし・・・、好きなモノ食べたいし、夜更かししたいな!」と無邪気に言い出した。お互いに自己紹介をして、携帯の番号とメルアドを交換するのに対して時間は掛からなかった。「私さぁ、今度こそ真面に退院するつもり。足、ねん挫したけど絶対に戻って来ないから!」マイちゃんは力を込めて言った。「ちなみに“今のセリフ”は何回目?」と私が問うと「うーん、それを言われるのはツライ!4~5回目かなー?」と小首をかしげた。ひょんなことから“氷河に閉ざされた金庫”は、少しだけ開いた。「まあ、当分は家でヒマしてるからメールでもちょうだい。後、“〇ッシー”って呼んでもいい?」マイちゃんは、いきなり私の略称を決めた。「いいよ」と私が言うと、「〇ッシー、どうぞよろしくお願いします!退院まであと少しだけど」と言って手を振って病室へ戻って行った。こうして私とマイちゃんとの関係は始まった。予定通り、翌週にマイちゃんは退院して行ったのだが、半月も経たないうちに病院へ救急搬送されてきた。原因は“大量服薬”であった。後に知ることになるのだが、マイちゃんは母親との折り合いが悪く、家でも小競合いが絶えなかった様だ。ICUから病棟へと舞い戻って来たマイちゃんは「あーあ、〇ッシーまた宜しくね」と言ってタバコを吸い始めた。「見舞いに来てくれるかと思ったら“お帰りなさい”だね。まあ、ここの暮らしも悪くはないさ!」私が言うと「うん、さっき“ボスがお帰りになった!”って女の子達に言われた。悔しいけど、何かホッとしたような気分。〇ッシー、ここに溜まってる事多いけど、何か理由があるの?」マイちゃんは屈託のない笑顔で聞く。「まあ、病室に居てもヒマだし、本も音楽も聞き飽きたってのが理由かな?人間観察に適している場所でもあるし、先生とか看護師さんの動きを見てるだけでも、意外に飽きないからね。お陰で“指定席”と化してる訳」自重気味に私が言うと「そうだね。確かに、ここはオアシスだよね。〇ッシー、今度、他の女の子達を連れてきてもいい?お互いヒマだし。女の子と喋るの平気そうだし」マイちゃんが真顔で聞く。「ああ、別にいいけど」やや気圧され気味に私が言うと「女の子達もヒマしてるから、相手をしてあげて。〇ッシーなら“人畜無害”だと私は思うから!」マイちゃんはサラリと言ってのけた。知らず知らず内に、私はマイちゃんに“モニタリング”されていた様だ。だが、不思議と違和感は無かった。「承知しました“ボス”!」私は神妙に答えた。
マイちゃんもそうだったが、当時の女性入院患者の約8割が「摂食障害」と言う“食行動に問題がある”病気だった。食べ吐きを繰り返し、自傷行為に及ぶことも珍しくない。原因は「ダイエット」に端を発する事が多い。過酷なまでに食事を制限すると、人間は“防衛本能”を働かせて、食事を摂る様に脳がシグナルを発する。その際、今までの反動からついつい“ドカ食い”をしてしまう。「今までの努力は何だったのか?」彼女達は自己嫌悪に陥る。こうして「過食嘔吐」が始まり、自己制御が効かなくなる。負のスパイラルへと転落してしまうのだ。過食をしても、吐けば体形は変わらない。故に症状は加速度的に悪化する。マイちゃんの両手首にも“無数の切り傷”が刻まれていた。正に“底なし沼”である。だが、そうした事は精神科病棟では“当たり前”の事であり、気にする要素にはならなかった。ただ、彼女達が途轍もない“心の闇”を抱えて戦っている事の証ではあった。暗黙のルールとして“個人的な事は聞かない”事が求められた。誰でも知られたくない“心の闇”はあるものだ。私も自身のことで、とやかく言われるのは嫌だった。女の子達と話す上で、私はまず“聞き役”に徹した。自身の事を聞かれれば、差し障りのない範囲では答えたが、とにかく“聞く”ことが必要だった。誰でもそうだと思うが“胸の内を吐き出したい”時はある。ましてや病院と言う閉鎖空間に長くいれば、息は詰まるものだ。マイちゃんは、私の“聞く姿勢”を見ていたのかも知れなかった。暫くすると、雑談会が始まった。マイちゃんは、知り合いの女性患者を連れてはタバコを吸いに来るようになり、自然と私の周りには女性患者の輪が出来上がって行った。話の内容は、たわいもない事や先生、看護師、病院食等々から始まり、クスリの事まで多岐にわたった。彼女達の中心には、マイちゃんが居て、何かとフォローを入れてくれた。やがて、喫煙コーナーは、雑談室へと変貌し、私は午前と午後の2度“指定席”で話の輪に加わって行った。