もうすぐばーちゃんの誕生日。
ばーちゃんの誕生日は5月5日。
ばーちゃんの兄弟はみんな男なのに、ばーちゃん一人女の子で、生まれてすぐからはねえややばーやがいてちやほやされてたけれど、おとーさんが早死にして、病気がちだったおかーさんは寝たり起きたり。
乳母やねえややおっかない女中頭の人も、お勝手やお掃除する人もみーんないなくなっちゃったのが小学2年生の冬。満8歳の時。
おかーさんが具合の悪い日が多くって、子供のばーちゃんがお勝手仕事するんだけど、兄二人とおとーとは、何にも手伝わず。
少し慣れてきたら、お洗濯もおそーじも、ばーちゃん一人のお仕事になっちゃったんだって。
今でいう『ヤングケアラー』だったんだけど、当時の風習で、不公平の不安や不満をぶつける先がなかったのにゃ。

でも、ご近所の人たちはとっても親切で、八百屋さんではお買い物に行けば、少し傷んだものや形の悪いものを、おじさんに内緒でおばさんがそっとかいものかごにいれてくれたり、御用聞きのお魚屋さんは、売り物にならない端切れや、新鮮だけど半端になったお魚などを、ただでもってきてくれたりしたんだにゃ。

小学生だった兄たちは、そろばんで1級と2級を持っていたので、ご近所さんの紹介で、今でいうドラッグストアみたいな薬屋さんの伝票整理のお仕事をさせてもらって我が家の現金収入に。
兄たちは半分以上はおかーさんに渡していたみたいだけど、少しのお小遣いを得ていたんだよにゃ。
それなのに、ばーちゃんのおうちのお手伝いは
「女だからおうちの手伝いはただでとーぜん!。」
すご~~く悔しかったけど、なぁんも言えなかったんだって。
おうちは昔の分譲地で基準が220坪、いわゆるお屋敷町の端っこ、という中にあったばーちゃんのおうちは、お話で聞くと、きれいなお庭に築山があって、スイッチを入れると噴水や滝があり、真ん中に石橋のあるお池があって、季節のお花があちこちに咲き、風流なおうちだったんだって。

でも、おとーさんがなくなって、病気のおかーさんという悪条件。いろんな事情で無職、無収入の、小学生4人を含めた残された5人の生活って考えられないよにゃ><。
だから、ご近所さんの善意だけで生き延びられた、と思う理由に、落ちぶれちゃったけど「○○家のお子さんたち」、という扱いで、ずいぶん助けてもらったんだと思う。
それでも、ばーちゃんは、「女だから!」と、ばーちゃんだけがおうちの仕事で、学校からも部活すら端折っての早帰りや、友達遊びも中途半端。
そのうえほとんど小遣いなしの子供時代だったんだって^^。
そんな中でできたお友達が、83歳の今でもお付き合いできるばーちゃんって、すごいしゃーわせなんじゃないかにゃ!(^^)!。

人生って、幸も不幸も織り交ぜたら、通算ではみんな公平なもので、どこが最高に幸福だったのか、なんてものかもにゃ。
ばーちゃんは「今」(*^-^*)