第三回目、苦難の伊賀越えは愛知県常滑市(大野)が見える白子港まで到着することが出来ました。柘植から加太峠越えは苦難の一つに数えられるようです。「伊賀由緒書」による、伊賀国鹿伏兎山越御案内人御供者は伊賀者200人とあり。「加太川に沿って険しい山道であった」実際に歩くと道路が造られ苦難は想像できませんでした。峠越えは民家のない山間部を加太川に沿って道路を歩きました。当時は木々の茂る山道だったであろうと想像しました。
加太駅までの間に大和街道(山道)が一部残り、梶ケ坂(鍛冶ケ坂)峠を歩き当時の面影を感じました。白子港から対岸に知多半島を見た家康一行は安堵された事と感じました。