全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「真に従順な者は必ず神のものとされる」抜粋 3

2018-07-21 10:35:14 | 全能神の発表

 聖霊は、実践的な経験を通してあなたを啓蒙し、信仰を通してあなたを完全にする。あなたは本当に、神によって完全にされたいと思っているのだろうか。もしそう思っているなら、あなたの肉を投げ捨てる勇気を持ち、神が述べる通りに行動でき、受け身にも弱くもならないだろう。あなたは神から来る全てのものに従うことができるだろう。そして、神の前で行う、行わないに関係なく、あなたの行動全ては、神に見せることができるものとなるだろう。正直であれ。そして、全てのことにおいて真理を実践せよ。そうすれば、あなたは完全にされるだろう。神の前ではあるやり方で行動し、神の見えないところでは別のやり方で行動するようなずる賢い人は、完全にするに忍びない。彼らは、完全に破滅と破壊の子である。彼らは神ではなくサタンに属する。彼らは、神に選ばれる種類の人間ではない。もしあなたの行動と振る舞いが、神の前で見せられるものではない、あるいは神の霊により見られるようなものでないなら、これはあなたにおけるある問題を露わにしている。あなたが神の裁きと刑罰を受け入れて、あなたの性質を根本的に変えることに重きをおく場合のみ、完全にされる道へあなたは置かれるであろう。あなたが本当に神により完全にされたいと思い、神の意志を実行したいと本当に思うのなら、神の仕事全てに従うべきで、文句を一言も言わず、神の働きを好き勝手に評価あるいは判断したりすべきでない。神によって完全にされるためのまさに基本的条件がある。神によって完全にされることを求める者に対する要求は以下である。すなわち、神への愛を基に全てのことをせよ。神への愛を基に行動することの意味とは何だろうか。これはあなたの全ての行動や振る舞いは、神の前に見せられるということを意味する。正しい意志を貫けば、あなたの行動が正しかろうと間違っていようと、神あるいは兄弟姉妹にあなたの行動が露わにされることをあなたは恐れない。あなたは、神に進んで誓いができる。あなたのあらゆる意図、思想、考えは、審査されるために神の前に見せることができる。もしあなたがこのように実践して、入っていくならば、あなたのいのちの成長は速くなるだろう。

 

全能神教会映画「心の鎖を解き放つ」

2018-07-19 13:34:41 | 全能神教会映像

 

 陳智は貧しい農家に生まれました。学校で教わった「知識で運命は変えられる」「運命は自分で切り開くもの」という考え方をモットーにしていました。一生懸命働きさえすれば、他から抜きん出ることができて、功績と名声を手に入れられると信じていたのです。大学を卒業すると、陳智は高給の外国貿易の仕事に就きました。しかし当時の境遇には全く満足していなかったのです。他から抜きん出るという理想を実現させるべく、彼は仕事を辞めて自分で貿易会社を興します。しかし好業績は長くは続きませんでした。経営がうまくいっておらず、顧客も減り、事業は衰退していったのです。ついには経営不能に陥りました。しかし会社が倒産しても、陳智は失敗を認めようとはしませんでした。自分の知識と能力を持って辛抱していれば、きっと再起できると信じていたのです。それから陳智はインターネットでデジタルマーケティングのウエブサイトを立ち上げ、インターネットで事業を始めました。とことろが数年間猛烈に働いたのですが、また事業は失敗に終わりました。陳智は恐ろしい苦難と絶望に落ち込みました。

 2016年に陳智はアメリカに移住しました。そこで彼は妻の助けを通じて全能神の働きを受け入れました。全能神の言葉を読んだ陳智はやがて人類の運命は神様が握っていて、人は自らの能力に頼って運命を変えることは出来ないのだということを悟ります。また人の人生の中で出くわす苦難の理由も悟り、如何にサタンが人類を堕落させたかという事も知ります。更に意義のある人生を生きるには人は神様の前に出て裁きを受け、神様の言葉の刑罰を受けて清められて神様の言葉に頼って生きるようになって初めて神様の称賛を得るに値するようになるのだと悟ります。陳智は全能神の言葉からいくつかの真理を悟り、人生の正しい見方を得て。自らの人生を神様に預け、神様の支配と手配にゆだねることを知り、「自らの運命を自らの手中に」という心の中のくびきから解放され、それ以来、明るく正しい人生を歩むようになりました。

 



全能神の発表「真に従順な者は必ず神のものとされる」抜粋 2

2018-07-18 06:43:51 | 全能神の発表

  あなたは、神を信じるのなら、その従順さを一定に保たなければならない。あなたが気に入っているときにだけ従順であり、そうでない時に従わないということはできない。そのような従順のあり方は、神によって認められない。もしあなたが、わたしが今話している新しい働きについていけないのなら、また以前の言葉にこだわり続けるのなら、あなたは霊的に成長できるだろうか。神の働きにおいて、神は言葉を通してあなたに与えるだろう。あなたが神の言葉に従い受けいれる時、聖霊は確実に、あなたの中で働くだろう。聖霊は、まさにわたしが話すように働くだろう。わたしが今言ったように行えば、聖霊はすぐにあなたの中で働くだろう。わたしは、あなた方が見るように新しい光を放ち、あなた方をこの光の中へ連れてくる。あなたがこの光へ入っていくなら、聖霊は直ちにあなたの中で働くだろう。一部の人は反抗して言うかもしれない「私は単純にあなたの言う通りにはしないでしょう」と。それなら、わたしは今、ここで道は終わり、あなたは衰弱し、いのちは終わると告げる。したがって、あなたの性質の根本的な変革を経験する際、今与えられた光についていくことが最も重要である。聖霊は、ただ、神によって用いられている特定の人の中で働いているだけでなく、教会の中でなお一層働いている。神は、誰の中でも働くことができる。神は、今あなたの中で働いているかもしれない。あなたがそれを経験した後に、神は次に他の誰かの中で働くかもしれない。しっかりとついていくことだ。あなたが今与えられている光についていけばいくほど、それだけあなたのいのちは成長していく。聖霊が作用を及ぼしている人たちについていくことだ、彼がどんな種類の人であっても。その人の経験をあなた自身のものとすることだ、そうすれば、あなたは、なお一層高いものを受け取るだろう。そのように行動することにより、あなたはより素早く成長をみることができるだろう。これが、人にとっての完全化への道であり、霊的に成長するために通るべき道なのである。完全化への道は、あなたの聖霊の働きへの従順さを通してたどり着く。あなたは、あなたを完全にするために、神がどんな種類の人を通して働くのかを知らないし、どのような人、どのような出来事、またはどのような事柄を通して、その人があなたに利益をもたらし、あなたが洞察力を得ることができるようにするのかも知らない。あなたがこの正しい道を歩けるのなら、このことは、あなたには、神により完全にされるすばらしい希望があることを示す。それができないのなら、このことは、あなたの未来はわびしく、暗闇の未来となることを示す。あなたが正しい道を歩けば、あらゆる事柄に啓示が与えられるだろう。聖霊が他の人にどんなに啓示を与えようとも、もしあなたが、彼らの認識にもとづいて自らの経験の中で続ければ、それはあなたのいのちとなるだろう。そして、この経験からあなたが他の人に与えることもできるだろう。他の人に単に言葉だけを与える者は経験がない者である。あなたは自身の実際の経験や認識を話す前に、他からの啓蒙や啓発を通じて、実践の方法を見出すことを学ばねばならない。これは、あなた自身の霊的いのちにとってより大きな利益となるだろう。あなたは、神から来るすべてのことに従いながら、このようにして経験すべきである。あなたは全てのものに神の心を求めるべきであり、全てのものに教訓を得るべきであり、そうしてあなたは霊的に成長すべきである。そのような実践が成長をもっともはやく実現する。


全能神の裁きを経験する証し「霊の慢性疾患たる嫉妬」

2018-07-17 09:31:30 | 全能神の裁きを経験する証し

58.霊の慢性疾患たる嫉妬

広西省賀州市 何潔静

 私は、姉妹の1人と一緒に文章の校正を行いまいた。私達が会う時、歌も踊りも神の言葉を授かることも、真理に関して話すことも、その姉妹は、あらゆる面で私よりも優れていました。ホストファミリーの兄弟姉妹は皆、その姉妹を好み、その姉妹と話をしたがりました。そのため、私の心は全く落ち着かず、冷たくあしらわれているように感じ、彼女がそこにいる限り、私の居場所はないと感じるほどでした。心の中では、彼女に苛立ちを感じるようになり、彼女と組になって本分を尽くすことが嫌になってきました。彼女が去り、兄弟姉妹が私を好み、高く評価するようになることを、私は願っていました。

 ある日、リーダーが私達の元を訪れました。その姉妹は、当時その女性が受けていた感情的精錬が原因で否定的な状態となっていることを理由として、別の任務へ異動することを希望しました。彼女がそう述べるのを聞いて、私は期待に胸が膨らみました。私は、「あなたが去るのを常に望んでいた。あなたが去れば、私は苦境を脱することができる。」と考え、すぐにリーダーがその姉妹に別の任務を割り当てるのを熱望していました。しかし、私の期待に反し、リーダーはその姉妹に新たな任務を割り当てなかっただけでなく、その姉妹と真理について粘り強く話し合い、その姉妹の状況を変えるよう支援しました。私は、それを見てとても不安になり、その姉妹が去ることを一層強く臨むようになりました。私は、「今回彼女が去らないならば、一体私はいつこの苦境から脱することができるだろう。いや、私は彼女を早く立ち去らせる方法を考えなければならない。」と考えました。結局、私は彼女がいない時に、そのリーダーに「彼女はいつも感情的精錬のために文章校正に集中できないでいます。彼女は聖霊の働きを失っているので、文章校正はできないでしょう。それが原因で、既に教会の校正編集作業に影響が出ています。彼女に新たな役割を与えた方が良いと思います。Xさんは作文力に優れているので、Xさんを抜擢して文章の校正させることができると思います。現在私が組になっている女性よりも、Xさんの方が、育成する価値が高いかも知れません。」と説明しました。私は、そう言い終わるとすぐに、「人類とはなんと残酷で残忍だろうか!狡猾で陰謀を企て、互いに争い、名声や富の為に争い会い、殺し合う――そのようなことは一体いつ終わるのだろうか。神は何十万の言葉を話したのに、誰も理解しなかった。……自分たちの地位を維持するために周りの人たちを圧迫も差別もしない人たちは何人いるだろうか。」(『言葉は肉において現れる』の「悪人は罰せられなければならない」より)という神の言葉が私の中に浮かび、私を咎めました。神の裁きの言葉に対して、あたかも神が私に面と向かって叱責しているかのように感じました。私はすぐに恐怖で震え、私が直前に述べた言葉を恐ろしく感じざるを得ませんでした。私は神の言葉の中で現されている「自分たちの地位を維持するために周りの人たちを圧迫し、差別する」という者に当てはまらないでしょうか。私が一緒に作業をしている姉妹が、あらゆる面で自分よりも優れていて、兄弟姉妹全員がその姉妹を好んでいることを知り、私は心の中で嫉妬を感じました。私は、彼女に苛立ち、彼女を差別し、自分が苦境から脱するため彼女が早く去ることを望みました。兄弟姉妹が私に注目して、私が兄弟姉妹の中に居場所があると感じられるようにするため、私はその姉妹の芳しくない状況を利用し、教会の利益を守るという名目で、リーダーにその姉妹のことを告げ口しました。リーダーを利用して彼女を去らせるという私の取り組みは、無駄に終わりました。私の行動により、私の真の姿が露呈され、私は邪悪で悪意に満ちたへびであり、私がまさに赤い大きな竜の子であることが明らかにされました。赤い大きな竜は、独裁政権を確立するため、必要とあらば、あらゆる手段を用いて反体制派を根絶します。私は、自分の兄弟姉妹の中心的存在となり、兄弟姉妹に囲まれるようにするため、自分にとって有利ではない者を奸智で排除しようとしました。赤い大きな竜は、自分自身よりも偉大な存在に嫉妬し、高貴な大志を抱く者を滅ぼします。私もまた、その姉妹があらゆる面で私よりも優れていたために、その姉妹に嫉妬し、不適切な手段により、その姉妹を排除しようとしました。赤い大きな竜は、自らの目的のために人々に対して有罪判決を下した上で殺戮を行ないます。私は自らの目的を達成するため、故意にその姉妹に関して大袈裟に話しました。私の行動は、まさに赤い大きな竜と同じです。私は明らかに過度に傲慢であり、邪悪であり、悪意に満ちていました。教会は、私達ふたりが心を1つにして優れた作業を行い、神を満足させられるよう、共同作業して互いに助け合うよう決めました。また、そう決めたのは、私達ふたりが一方の長所で他方の短所を互いに補い合い、一層多くの真理を得て、ふたりの性質を変化させられるようにするためでした。しかし、私は神の心を少しも理解していませんでした。私は、その姉妹が良くない状況にあるのを知ると、その姉妹を愛により助けなかったばかりか、自分の立場を守るために、その姉妹が早く交替させられるように待ち望んだのです。私は本当に極めて邪悪です。私の本性は極めて堕落しています。私には、正常な人間にあるべき愛がありませんでした。私は自分の目的を果たすためなら手段を選ばない程、人間性を完全に失っていました。すぐに悔い改めないならば、赤い大きな竜とともに、永遠に滅ぼされてしまうでしょう。

 神よ、感謝します。神の裁きと刑罰により、私は手遅れになる前に目覚め、私の行いが赤い大きな竜と同じであること、そして私が名実共に、真に赤い大きな竜の子であることを理解することができました。これにより、私は自分の中にあるサタンの本性を忌み嫌うようになりました。今後、私は自分の中にあるサタンの本性と訣別します。私は自分のために争うことを止めます。私は、その姉妹との共同作業を向上させ、私達ふたりの本分を尽くし、神にご満足いただけるようにします。私は一層真理を求め、赤い大きな竜の毒を抜き取り、これにより神に安心していただける、真の人間として生きてゆきます。


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全能神教会ショートスケッチ「歴史からの警告」

2018-07-16 07:45:10 | 全能神教会ショートスケッチ

2000年前、主イエスが現れ、働きをなされた時、パリサイ人たちは律法にこだわり、イエスの働きを聖書から外れていると非難した。自分たちの地位と生活基盤を守るため、彼らは人々が主イエスの働きを求めるのを必死で止めようとし、ローマ政府と手を組んでイエスを十字架に釘付けにした。終わりの日において、主イエスが再び働きを行なうために肉において現れると、宗教界の指導者たちは、パリサイ人が主イエスに抵抗した歴史的悲劇を繰り返す。どうして彼らは終わりの日における神の働きに抵抗するのか?劇中でパリサイ人の役を演じる牧師をとおして、この寸劇は現代の牧師と長老たちが聖書に執着して神に抵抗している実態を暴露し、彼らの歩む道がパリサイ人たちの道と全く同じであることを明らかにする。


全能神教会讃美歌「最も人を愛するのは神だけである」

2018-07-14 13:31:31 | 全能神教会御言葉讃美歌

 


終わりの日に神は肉となる
愛する人を救うため
愛に駆られ、愛を基礎として
神は今日の業を行う
神は肉となり、恥辱を受け
汚れ傷ついた者達を救う
この痛みに耐え
神は、何度も計り知れない愛を示す
どの魂も神は失くしたくない
自分の将来を気にせず
いのちをどう慈しむのか知らない
人を、神だけが愛す Oh..oh...

癒し、励まし、裁きと呪い
暴露、そして約束
どの神のことばもみな、神の愛による
神の業の真髄だ
こんなにも大勢が、近づいて従い
力を得ているのはなぜ?
それは、神の愛と救いを見たから
神は遅れず、タイミングは完璧だ
どの魂も神は失くしたくない
自分の将来を気にせず
いのちをどう慈しむのか知らない
人を、そう神が、神だけが愛す

自分を一番愛するとは
どんな愛なのか?
神の愛こそ真実だと、あなたは知るだろう
受肉せず、導かず、人と生きぬ神なら
その愛を知ることは出来ない
どの魂も神は失くしたくない
自分の将来を気にせず
いのちをどう慈しむのか知らない
人を、そう神が、神だけが愛す
そう、神だけが愛す。ああ神は
こんなにも人を愛している
『言葉は肉において現れる』より


全能神の発表「真に従順な者は必ず神のものとされる」抜粋 1

2018-07-13 01:24:04 | 全能神の発表

 聖霊の働きは、日々変わり、段階ごとに高まっている。明日の啓示は、今日の啓示よりもなお一層高くなる、そして段階毎になお高いところへ上がっていく。神が人を完全にする働きも同様である。もし人がついていけなくなったら、人はいつでも見捨てられるだろう。もし人が従順な心を持っていないのなら、人は最期までついていくことができないだろう。古い時代は終わった。今や新しい時代である。そして、新しい時代には、新しい働きがなされなければならない。特に、人が完全にされる最期の時代において、神は新しい働きをなお一層素早く行うであろう。したがって、心から従順でないのなら、人は神の足跡を辿ることが難しくなるだろう。神は、規則によって生きるのではなく、自身の働きのあらゆる段階を不変なものとして取り扱っているのでもない。むしろ、神によってなされる働きは、常に新しく、また常により高いものである。神の働きは、各段階においてより実践的になり、人が実際に必要とするものとますます合致する。人はこのような働きを経験した後にだけ、自らの性質の、最終的な変革を達成することができる。人のいのちに関する認識も常により高くなり、したがって、神の働きも同様に、常により高くなる。この方法によってのみ、人は完成に達することができ、神の役に立つことができる。一方で、神は人の観念に対抗し、それを反転させるためにこのように働き、また他方で、人をより高く、現実的な状況に導き、神への信仰の最も高い領域へ導くためにこのように働く。その結果、最終的には神の意志は実行される。従順でない本質と反抗心のある者全ては、この迅速で力強い働きに見捨てられることとなる。従順なる心を持ち、また、謙虚な意志を持つ者こそが、この道の終わりまで進むことになるだろう。このような働きでは、あなた方全てが従順でなくてはならず、かつ自らの観念を脇に置く方法を学ばなければならない。あらゆる段階が、慎重に踏まれるべきである。もしあなた方が軽率ならば、あなた方は、聖霊から嫌悪され排除される者の一人となるだろう。そして、神の働きを邪魔する者になるだろう。働きのこの段階を経験する前に、古い時代の人の規則や法律は、彼らが調子にのってしまうほど数が多く、その結果、彼らはうぬぼれ、自らの場所を忘れてしまった。これらはすべて、神の新しい働きを受け入れる人にとって障害であり、神を知るようになりつつある人の敵である。人が心の中に従順さをもたないこと、あるいは真理を追求しないことは危険なことである。もしあなたが簡単な働きや言葉のみに従い、より深い言葉や働きの何も受け入れることができないなら、あなたは、古い方法から離れず、聖霊の働きにはついていけない人である。神が為す働きは、時代によって違っている。もしあなたが、ある段階において従順さを見せるが、次の段階では従順さがより少ないか、全くないとしたら、神はあなたを見捨てるだろう。もしあなたが、神がこの段階に昇るとき、彼についていくことができるなら、あなたは次なる段階に昇る時にもついていくことを続けていかなければならない。そのような人のみが、聖霊に対して従順である。

 

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