全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神教会讃美歌「肉となった神が現れた時に示す権威と力」

2018-07-11 06:52:53 | 全能神教会御言葉讃美歌



神の言葉が肉となる」という意味は
「神の言葉が肉体から発される」ということ
この事実を成し遂げるために 神は地上に降りたのだ
旧約聖書のモーセの時代に 神が天から語るのとは違う
それは千年の神の国の時代で実現し
全ての人々がその目で 
そのとおりの成就を見られる
これは神が肉になる深遠なる意味
聖霊の働きは肉と言葉で成し遂げる
「言葉が肉となる」「言葉が肉に現れる」
この言葉の真の意味である

神だけが聖霊の思いを語れる
肉となった神だけが聖霊に代わって話せる
言葉は受肉の神として現れ
全ての者は導かれる
誰もこれを逸れることはできずに
この境界の中で生きている
人々はこの言葉から理解を得る
この言葉を通さなければ 
天から言葉を受けることは
誰ひとり夢見ることさえできない
これが肉となった神が示した権威である
それにより一人ひとりが確信するように
肉となった神によって示された


                       『言葉は肉において現れる』より


全能神の裁きを経験する証し「神の愛の実相とは」

2018-07-10 00:11:26 | 全能神の裁きを経験する証し

41.神の愛の実相とは

黑龙江省绥化市 思秋


 「あなたは、自分がわたしに対して常に忠実であり、わたしを愛しているにもかかわらず、病の苦痛や生活上の束縛、友人や親戚に見捨てられること等の人生における不幸を受けたとしたら、わたしに対するあなたの忠誠や愛は依然として継続するであろうか。」(『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題:裏切り(2)」より』)という神の聖句を目にする度に、私は特に不幸せな気分になります。みじめな気持ちになり、「神様、あなたに忠実で、あなたを愛する人達がなぜそのような不幸な目に合うのですか?」と心の中で不満を口にしてしまいます。結果として、私は、聖霊によって遣われた者の「神の人々に対する最後の要求は愛情のこもった、誠実なものである」という言葉の意味の理解に困っています。

つい最近なのですが、私が一緒に仕事をしていた姉妹が甲状腺機能亢進症に罹ってしまい、次第に彼女は一日に6食も取らなくてはならない状態に陥ってしまったのです。彼女は病気のストレスからどんどん弱くなり、憂うつの中、病弱に、疲労に耐えながら毎日の生活を送っていました。彼女の体は、彼女の本分を尽くしたいという希望通りには動かなくなり、病状も増々悪化していったのです。なぜこんな事が起っているのか、私には理解できませんでした。この姉妹は、自分の本分を尽くすことに専念できるようにと、家族から離れ、待遇の良かった高収入の仕事を辞めただけでなく、非常に忠実でもありました。彼女ほど自分を捧げた人が、どうしてこんな病魔に襲われるようなことになってしまうのでしょうか?…自分の気持ちを外には出しませんでしたが、私の心は動揺し、誰かがこの事を口にする度に、私は冷静さを失ってしまうほどでした。

それから間もなく、私の姉妹と私はそれぞれ別の業務に着手したのですが、私は決して彼女のことを忘れませんでした。ある日、私はリーダーに彼女がどうしているのかを聞いてみると、リーダーはこう言いました: 「最初彼女はとても否定的で、神の働きを受け入れることを拒んでいたのですが、後に、彼女は意識的に自分の状態を調整し、自分の病気に苦しむ中で神の意図を求めようと努力していました。彼女は神の御言葉を通して自分自身を知り始め、真の意味で信仰を得ることができていなかったと気付いていましたよ。彼女の信仰には依然として『交流』しようとする要素や、神に対する信仰を通して神の祝福を頂こうという希望が残っていたのです。彼女はまた、自分自身の中に存在した反抗要素も多く見出していました。彼女が自分自身のこういった所に気が付いたとたん、健康状態も劇的に改善していました。彼女は日々回復していますよ。食事も1日3食にまで減り、状態はかなり良くなっています。自分が滞在しているホストファミリー宅で兄弟姉妹達がそれぞれの状態を調整する手助けまでしていますよ…」この良い知らせを聞いて、私は本当に驚きました。私は病気の苦痛が彼女の決意をすり減らし、彼女をひどく苦しめるだろうと思っていたからです。病気に悩まされていた彼女の将来はどんどん暗くなっていくだろうとまで思っていました。この先、生きて行けなくなるかも知れないとまで感じていたのです。しかし今日、彼女の現状を知った私はショックを受けました。彼女は神への信仰を失っていないだけでなく、病気が精錬されたことを通して神の働きを理解し、自分自身の堕落にも気付いたのです。彼女は経験から学び、自分の生活においても改善を遂げていたのです。この病気は、神の真の愛、そして神によるお救いの実相を現しているのではないでしょうか?

その後、私はある人のフェローシップでこの聖句を読みました。「第5節。『あなたは、自分がわたしに対して常に忠実であり、わたしを愛しているにもかかわらず、病の苦痛や生活上の束縛、友人や親戚に見捨てられること等の人生における不幸を受けたとしたら、わたしに対するあなたの忠誠や愛は依然として継続するであろうか。』(『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題:裏切り(2)」より』)神の働きは人々の観念と一致していないのです。神は全ての時代を通して、人々をお救いになるためにこの原則に従ってお働きになったのです。この神の働きを経験した人は皆この事実を認識するのです。人々は神に対して忠実であり、愛情に満ちています。そして今度は神がその人達に対し愛をお与えになるのです…私達が本当に神に対して愛情を抱き、神に対し本当に忠実であれば、どの様な不幸であっても、それは神の愛の現れということになるのです。私達は、神の御心を真の意味で理解できているならば、神に対してより忠実になるべきであり、最後まで神をもっと愛するべきなのです。試練に直面する中で神の御心を見出すことができず、神を誤解したり、神を裏切るようなことがあれば、神の働きを全く認識できていないということになります。神を愛し、神に対し忠実であったとしても、私達の中には依然として裏切りの要素が存在しています。これについて討論する人はいないでしょう。神は人を清めて救うことができるように、その人を精錬しようとされるのです」。(『キリストの言葉の記録』の「神の人々に対する最後の要求は愛情のこもった、誠実なものである」より)。私はフェローシップの聖句を読んで初めて私はいつも肉に縛られた思考の観点からのみ神の働きを判断していたことに気が付いたのでした。私は、神の愛は寛大な恵みの賜物、そして肉の喜びと安心感を保証していただけるものだと勘違いしていたのです。苦しむことが神からの祝福の一形態であるなどとは考えたこともありませんでした。私は、私の姉妹の経験を知り、苦しみの精錬は神の愛の真の現れであるということを初めて認識することができたのです。神はある状況を作り出し、神の人々に対して不幸をお与えになるのです。それが肉体的な苦痛であろうが、金銭的な苦難であろうが、その他のいずれの苦難であろうが、それは悪意からではなく、神の愛情こもった優しさなのです。人の堕落や欠点を修正するため、神はありとあらゆる状況を作り出し、人を精錬する努力をされるのです。神はこの苦難を通して人を清められ、人の中に変化を起こされ、人に命を与えられるのです。人の肉は精錬の過程を通して、驚くほどの苦難を乗り越える必要があり、それを不幸であったり、対応が困難であると感じることがあっても、それは神が、その人が自分自身を知ることができるように、その人の不純な性情をすべて取り払えるように、その人が神とより普通の関係を築けるようにすることで、心の中に神に対する愛情を少しずつでも深めていけるようにと、お働きになられているのです。このような恩恵はのんびりとした生活していたのでは受けることはできません。人は自分の受けた試練から得た教訓を身に付け、それまで歩んできた道を振り返った時に初めて、神の裁きと刑罰、および懲罰と訓練には神の無限の愛情が行き渡っていたのだと理解することができるのです。神の愛は単に養うためであったり、情け深いということだけではありません。それは肉体的な利益を授けるということ以外にも、精錬、懲罰そして訓練における苦しみを与えることでもあるのです。

神様、私の不合理で誤った物の考え方を是正するため、私を取り巻く環境の側面全てを通してお働きくださったことに感謝いたします。そして、あなたの愛が私達の観念と一致しない時でも、そのお示しは、常に私達を進歩させ、お救いになることに焦点を当てていただいているということも解りました。あなたの愛情こもった働きには、あなたの御心の重大なご苦労と、言葉では言い尽くせないほどの知恵が常に吹き込まれているのですね。私はまた、以前あなたについてほんの僅かも理解できておらず、あなたの愛はよく様々な状況の中に隠されているということを理解していなかったことにも気が付きました。神様、私は、あなたが私達と共有される愛に敬意を表し、あなたをたたえ、感謝の気持ちを捧げます。私も将来このような愛を受けられるようになりたいと思います。私が万一このような愛を受けられる時には、あなたの愛を感じ、証することができるように、どれだけ厳しい苦難でも受け止めることを誓います。

 

全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 11

2018-07-09 09:04:28 | 全能神の発表

 現在、神に用いられることを追求する者も居るが、そうした者は、征服された後に直接用いられることは無い。現在において語られている言葉については、神が人間を用いる時、あなたがそうした言葉を達成することが出来なければ、あなたは完全にされていない。つまり、人間が神に排除されるか、用いられるかは、人間が完全にされる期間の終了時の到来により決まる。征服された者は受動性と否定性の例でしか無い。そうした者は規範であるが、対照例でしか無い。人間がいのちを得、その人間の性質が変化し、その人間が内面も外面も変化を実現した時にのみ、その人間が完全にされたことになる。現在、あなたは、征服されることと、完全にされることのうち、どちらを求めるであろうか。あなたは、どちらを実現したいであろうか。完全にされる条件を、あなたはいくつ満たしたであろうか。あなたが満たしていないのは、どれであろうか。あなたは、どのように身に付け、不足分を埋め合わせるべきであろうか。あなたは、完全にされる道において、どのように成長すべきであろうか。あなたは、どのようにして完全に服従すべきであろうか。あなたは完全にされることを求めて居るが、それならばあなたは聖さを追求しているであろうか。あなたは、神に守られるために、刑罰と裁きを追求しているであろうか。あなたが清められることを追求しているならば、あなたは刑罰と裁きを受けることを望んでいるであろうか。あなたは神を知ることを求めて居るが、神の刑罰と裁きに関する認識があるだろうか。現在、神があなたに対して行う業の殆どが刑罰と裁きである。あなたに対して行なわれたこの業に対するあなたの認識はどのようであろうか。あなたが経験した刑罰と裁きにより、あなたは清められたであろうか。あなたは、それにより変化したであろうか。あなたは、それにより何か影響を受けたであろうか。あなたは、呪い、裁き、開示など、現在の業に疲れはてているであろうか、それとも、そうした業はあなたにとって大きな利益であると感じているであろうか。あなたは神を愛しているが、その理由は何だろうか。あなたが神を愛しているのは、自分が多少の恵みを授かっているからというだけであろうか、あるいは、平和と喜びを得た後に、神を愛しているであろうか。それとも、神の刑罰と裁きを受けた後に、神を愛しているであろうか。あなたが神を愛する正確な理由は何であろうか。ペテロが完全にされるために満たした条件は、何であろうか。ペテロが完全にされた後、そのことが表現された重要な方法は、何であっただろうか。ペテロが主イエスを愛していたのは、ペテロが主を待ち望んでいたからであろうか、それともペテロが主に会えなかったからであろうか、あるいはペテロが非難されたからであろうか。それとも、ペテロは、苦難を受け、自分の汚れと不服従、そして主の聖さを知ったために、主イエスを一層愛したのであろうか。神に対するペテロの愛が一層清くなったのは、神の刑罰と裁きのためであろうか、それとも別の理由のためであろうか。その理由は、どちらであろうか。あなたが神を愛する理由は、神の恵みであり、現在あなたに対して神が多少の祝福を授けていることである。これは真の愛であろうか。あなたは、どのように神を愛するべきであろうか。あなたは神の刑罰と裁きを受け容れ、神の義なる性質を目の当たりにした後、完全に確信し、神を認識できるように、真に神を愛すことが出来る人間であるべきであろうか。あなたは、ペテロのように、神を十分に愛すことは不可能であると述べることが出来るであろうか。あなたが追求するのは、刑罰と裁きの後に征服されることであろうか、それとも、刑罰と裁きの後に清められ、守られることであろうか。あなたが追求しているのは、どちらであろうか。あなたの人生は有意義なものであろうか、それとも無意味で無価値なものであろうか。あなたが求めるのは、肉であろうか、真理であろうか。あなたが望むのは、裁きであろうか、快楽であろうか。神の業を極めて多く経験し、神の聖さと義を目の当たりにして来たあなたは、どのように追求すべきであろうか。あなたは、どのようにしてこの道を歩むべきであろうか。神に対する愛を、どのように実践すべきであろうか。神の刑罰と裁きは、あなたに何らかの効果をもたらしたであろうか。あなたに神の刑罰や裁きに関する認識があるかどうかは、あなたが何を行動で示し、どの程度神を愛しているかにより決まる。あなたの唇は、自分が神を愛しているというが、行動で示していることがらは、依然と代わらない腐敗した性質である。あなたには神への畏れが無く、いわんや良心など無い。そのような者は、神を愛しているであろうか。そのような者は、神に対して忠誠であろうか。そのような者は、神の刑罰や裁きを受け容れた者であろうか。あなたは神を愛し、信じていると言うが、自分の観念を捨てていない。あなたの働き、成長、あなたが述べる言葉や生活において、神に対するあなたの愛が全く表されておらず、神への畏れが全く無い。それは、刑罰と裁きを得た者であろうか。このような者は、ペテロのようになれるであろうか。ペテロのような者は、認識があるだけで、それを行動で示さないであろうか。現在、人間が真の人生を送ることが要求される条件は、何であろうか。ペテロの祈りは、単にペテロの口から出ただけのものであっただろうか。それは、ペテロの心の底から出た言葉ではなかっただろうか。ペテロは、祈るだけで、真理を実践しなかったであろうか。あなたの追求は、誰のためであろうか。神の刑罰と裁きの間に、あなたはどのようにして守りを得て、清められるべきであろうか。神の刑罰と裁きは、人間にとって全く無益であろうか。裁きは、全て懲罰であろうか。人間のいのちに有益なのは、平和と喜び、物質的な恵み、一時的な快楽だけであろうか。人間が満足かつ快適な環境で、裁きの生活無く生きるのであれば、その者は清められるであろうか。人間が変化することと清められることを望む場合、その者は、完全にされることを、どのように受け容れるべきであろうか。現在、あなたは、どちらの道を選ぶべきであろうか。

 脚注:

 a. 原文では「それ」となっている。

 

全能神教会の御言葉「人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く」 その2

2018-07-07 13:55:09 | 全能神教会御言葉朗読

 全能神は言われます「一旦、征服の働きが完成すると、人は美しい世界に連れて行かれる。もちろん、この生活はまだ地上にあるが、今日の人の生活とは全く似ていない。それは全人類が征服された後の生活で、地上の人間にとって新しい始まりであり、人類にとってそのような生活を送ることは、彼らが新しく美しい領域に入ったという証拠である。それは地上における人と神の生活の始まりである。そのような美しい生活の前提として、人は清められ征服され、造り主の前に服従しなければならない。そして、征服の働きは人が素晴らしい終着点に入る前の、神の働きの最終段階である。そのような生活は地上における人の未来の生活であり、地上で最も美しい生活で、人が待ち焦がれている生活で、世界史上人が決して達成したことのない生活である。それは六千年の経営の働きの最終的結果で、人類が最もあこがれる、神が人に約束したものでもある。」 


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全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 10

2018-07-06 01:47:16 | 全能神の発表

 あなたが満たした条件は、何であろうか。あなたが満たしたのは、最後までわたしに付き従うことのみであるが、そのほかに何があるだろうか。あなたはわたしの言葉を遵守しただろうか。あなたは、5つあるわたしの要求のうち、1つを満たしたが、残り4つを満たす意志は全く無い。あなたは、単に最も手軽で簡単な道を見いだし、それを追求しつつ、自分が幸運だと思っている。あなたのような者に対するわたしの義なる性質は、刑罰と裁きであり、それは義なる報いであり、邪悪を行う者全員に対する義なる懲罰である。わたしの道を歩まない者は、その者が最後まで付き従ったとしても、全員確実に懲罰を受けるであろう。これが神の義である。この義なる性質が人間の罰において表される時、人間は茫然として、神に付き従いつつ、神の道を歩まなかったことを悔いる。その時、その者は神に付き従いつつ多少の苦難を受けたが、神の道を歩まなかった。どのような申し開きがあるだろうか。刑罰を与えられるのは不可避である。しかし、その者は心の中で「いずれにせよ私は最後まで付き従ったのだから、あなたが私に刑罰を与えられたとしても、それは厳しすぎる刑罰ではあり得ないでしょう。そしてその刑罰を与えた後も、あなたは私を求めるでしょう。私は、あなたが義であられ、私を永遠にそのように扱われないことは知っています。結局、私は排除されるような者ではありません。排除される者は厳罰を受けますが、私の刑罰はそれよりも軽いでしょう。」と考える。神の義なる性質は、あなたの言うようなものではない。自分の罪を告解することが上手な者が寛容に取り扱われるということは無い。義は聖さであり、人間の侵害を容赦しない性質であり、したがって不浄な物事や変化していない物事の全てが、神の嫌悪の対象となる。神の義なる性質は、法ではなく、行政命令である。それは神の国の中の行政命令であり、その行政命令は、真理を備えて居らず、変化していない者全ての義なる罰であり、救いの余地は無い。人間がひとりずつ区分される時、善良な者は報償を受け、邪悪な者は罰を受ける。この時、人間の終着点が明確にされ、救いの業が終わり、人間を救う業はそれ以後行われず、邪悪を行った者全てに懲罰が与えられる。「神は、自身の傍らにしばしば居る者全てを覚えている。私はそうした兄弟姉妹の一人であり、神はそうした者をひとりも忘れることは無い。私達は神により完全にされると保証されている。私達の目下の者達のことを、神は覚えておらず、そうした者のうち、完全にされる者の数は、しばしば神と対面している私達よりも少ないことが確約されている。私達のうち、神が忘れられた者は一人も居らず、全員が神に認められ、神により完全にされると保証されている。」と言う者も居る。あなたがたには皆そのような観念があるが、それは義であろうか。あなたは、真理を実践したであろうか、それともしなかったであろうか。実のところ、あなたはそのような噂を広め、何も恥じることが無い。


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全能神教会讃美歌「誰も神の到来に気づいていない」

2018-07-04 12:44:37 | 全能神教会御言葉讃美歌

全能神教会讃美歌「誰も神の到来に気づいていない」


誰も神の到来に気づかず
誰も歓迎しない
まして神の為そうとする
全てのことを知らない そう、誰も知らない
人の生活は変わらず 同じ心で日常を過ごす
神は平凡な人のように
最もささいな信徒、ありふれた信者として
私たちの間に住む
彼には自分の追求と目標がある
そして人にはない神性がある
誰もその神性の存在に気が付かず
また、誰も神と人の本質の 違いに気が付いていない

私達は神と共に生きる 拘束も恐れもなく
それは私たちが彼を
ささいな信者に過ぎないと 見なしているから
彼は私たちの動きの 一つ一つを見守り
私たちの思いと考えの
全てが彼の前であらわになる 彼の前であらわになる
誰も神の存在に興味を持たず
彼の役割を想像もせず
まして何者なのかと疑いもせず
私たちは神と関係ないかのように 自分の追求を続ける
『言葉は肉において現れる』より

 

もっと見る:神は人類が生き続けるのを願っている

 


全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 9

2018-07-03 13:51:40 | 全能神の発表

全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 9

 わたしは、あなたの資格がどれほど多く立派であるかは気にせず、あなたがわたしの道を歩んでいるか、真理を愛し、渇望しているかどうかだけを勘案する。あなたに真理真理が無くわたしの名を辱め、わたしの道に従って行動せず、注意や配慮なく、単に付き従うだけであれば、わたしはその時あなたの邪悪のためにあなたを打ち倒し、罰するであろう。その時、あなたは何と言うであろうか。あなたは、神は義ではないと言えるであろうか。現在、あなたがわたしの言葉に応じているならば、あなたはわたしが認めるような人間である。あなたは、常に神に付き従いつつ苦難を受け、良い時も悪い時も神に付き従い、神と苦楽を共にしてきたと言うが、あなたは神の言葉を行動で示しておらず、毎日神の後を追いかけることだけを望み、有意義な人生を送ることについて考えたことが無い。とにかく、あなたは神が義であると信じている、と言う。あなたは神のために苦難を受け、神のために奔走し、自分を神に捧げ、褒賞を受けないにもかかわらず努力を続けてきたが、神は確かにあなたを覚えている。神は義であるというのは正しいが、その義はいかなる不浄にも汚されていない。その義には人間の意志が一切含まれておらず、肉や人間の取引に汚されてもいない。反抗的で反逆的であり、神の道を遵守しない者は皆、懲罰を与えられ、誰も赦されず、誰も容赦されないであろう。「今日、私はあなたのために走り回っていますが、終わりに日が来たとき、あなたは私に少しばかりの祝福を与えて下さるでしょうか。」と言う者も居る。そこで、わたしはあなたに尋ねるが「あなたはわたしの言葉に従ったであろうか。」あなたの言う義は、取引に基づいている。あなたは、わたしが義であり、全ての者に公平であり、最後までわたしに付き従う者は、確実に救われてわたしの祝福を得るとだけ考えている。「最後までわたしに付き従う者は、確実に救われる」というわたしの言葉には内在する意味がある。つまり、最後までわたしに付き従う者は、完全にわたしにより得られるであろう者であり、わたしに征服された後に  を求め、完全にされた者である。

 

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