全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神教会の家庭映画「わが子よ帰っておいで」

2018-12-11 08:32:53 | 全能神教会映像

 李新光は高校生です。彼は、幼い頃から賢く行儀の良い男の子でした。両親も先生方も彼が大好きでした。中学生になると 新光はインターネットゲームにのめり込み、 インターネットカフェに行くため頻繁に授業を休むようになりました。両親は、息子がインターネット依存を断ち切られるようできる限りのことをしましたが、残念ながらそれはひどくなるばかりでした。 彼の魂は蝕まれ徐々に堕落していきました…。両親が途方に暮れていた時、神は人を救いインターネット依存を止めさせて悪魔の堕落から解き放つことができるということを聞いたのです。そのため両親は神への信仰を決意し、神が息子を救って下さることを願いました。二人は神の言葉から、人の腐敗や堕落の根源について学びました。人の暗闇と邪悪の真の姿が見えました。そして、神だけが人を救い、悪魔の堕落と災いから解放することができるとわかりました。 新光はただ、神を信じ真理を学べばよいのでした。そうすれば、インターネット依存から解放されるのです。そして両親は 新光に福音を伝え、神の言葉を読むよう導きはじめました。二人は神に祈りをささげ、息子を救いインターネット依存から解放して下さることをお願いしました…。争いはありましたが、新光は神に祈り、神を信じるようになりました。神の言葉の導きにより、とうとうインターネット依存からも悪魔がもたらす堕落と災いからも解放されました。絶望的にインターネットゲームやインターネットカフェに惑わされていたこの息子は、ようやく家に帰ってこれたのです!


全能神の発表「道の最終行程をいかに歩むべきか」抜粋 14

2018-12-10 01:16:00 | 全能神の発表

 道の最終行程は現在を始点として、今後の苦難が完了する時までである。この行程は、人間の真の霊的背丈と、人間に信仰があるかどうかが明らかにされる時である。この行程は過去に導かれたいずれの行程よりも困難で厳しいため、「道の最終行程」と呼ばれる。実は、これは道の本当の最後の行程ではない。なぜなら、苦難を受けた後にあなたは福音を広める働きを行い、一部の者は用いられるという働きを経験するからである。ゆえに、「道の最終行程」は、単に人間の鍛錬の苦難と過酷な環境を指して語られる。過去において道のその区間では、わたしが自らあなたをあの楽しい旅路を通して導き、手を引いてあなたに教え、口移しにあなたに食べ物を与えていた。あなたは刑罰と裁きを何度も受けたが、あなたは繰り返し軽く打たれたに過ぎなかった。もちろん、そのために神への信仰に対するあなたの視点は大幅に変化し、あなたの性質も大幅に安定し、あなたはわたしに関する多少の認識を得る事が出来た。しかし、言っておくが、道の最終行程を歩む上で、人間が払う苦労の代償はかなり少なく、あなたを現在まで導いてきたのはわたしである。なぜならわたしはあなたに何かをするように要求する事はなく、あなたに対するわたしの要求は全然高くないからである。わたしはあなたに手に入れられることを取り入れさせるのみである。


全能神教会の映画「三自愛国教会は私の傘」

2018-12-08 01:15:30 | 全能神教会映像

 ある日の深夜、ある場所で中国共産党政府は多数の全能神教会の信徒を捕えました。この事件は一帯に大きな動揺を与えました。これを機に三自愛国教会会員の間で議論が起こりました。東方閃電が中国共産党政府による残虐な抑圧や弾圧を受けたものと信じる人もいました。東方閃電を信仰することはあまりにも危険であると、三自愛国教会をで信仰するのが最も安全であると、そうすれば苦難に会うこともなく神の国に入ることができるという者もいました。一方、東方閃電こそが真理の道だと信じる人もいましたが、東方閃電が受ける弾圧はあまりにも凄まじく、信仰するなら隠れてする方が良いと考えていました。もし中国共産党政府が転覆されれば全能神への信仰を公にできるでしょう。東方閃電について詳しく学んだ上で、東方閃電では信者は自分の生死を顧みずに福音を広め神の証人となるので神様から褒められると信じる人もいました。そういう人たちの考えでは、三自愛国教会の下で隠れる人々は臆病者で無目的に人生を漂流するだけで、神の国に入るに値しないのでした…。この白熱した議論の後、神に褒められるのがどのような人たちかを皆はわかったのでしょうか。また怖気づく人々が神の国に入ることができるものなのかを知ることができたのでしょうか?



全能神の発表「道の最終行程をいかに歩むべきか」抜粋 13

2018-12-07 00:05:21 | 全能神の発表

 

 苦難の時は、過度に長引かされるということはなく、一年にさえ満たないであろう。それが一年以上続くならば、働きの次の段階が遅れ、人間の霊的背丈は不十分となるであろう。苦難の時が長すぎるならば、人間には耐えられないであろう。人間の霊的背丈には限界がある。わたしの働きが完了した後、次の段階は人間が歩むべき道を歩むことである。各人が自分の歩むべき道を理解しなければならない。それが苦難の道であり、苦難の過程であり、あなたの神を愛する意志を鍛錬する道でもある。どの真理に入っていくべきか、どの真理を補充すべきか、どのように経験すべきか、どの側面から入っていくべきか、これらの事を全て理解しなければならない。あなたは今自分の準備を整える必要がある。自分に苦難が降りかかるまで待っていたならば、手遅れとなるであろう。各人が自らのいのちのために負担を負わなくてはならない。他人の警告や、他人があなたの注意を引いて話してくれるのを待っていてはならない。わたしは多くを語ったが、あなたは依然として自分がどの真理に入っていくべきか、どの真理を備えるべきかを知らない。それはあなたが神の言葉を読むことに努力していないことを示している。あなたは、自分のいのちのために全く負担を負っていないが、どうしてこれが許されようか。あなたは自分が入っていくべき事柄を明瞭に把握しておらず、自分が理解すべき事柄を理解しておらず、今後進むべき道に関して全く注意していない。あなたはくず同然ではなかろうか。あなたは何の役に立つというのか。あなたがたが現在取り組んでいるのは、自分の道を切り拓き、築く作業である。人間が達成すべき事と、神の人類に対する要求の基準を知らなければならない。すなわち以下のように理解しなければならない。何があっても、私はこれほど堕落しているが、神の前でそうした欠点を埋め合わせなければならない。神が私に語らなかった時は分からなかったが、今や神が私に語り、私は理解したので、私は急いで埋め合わせ、正常な人間性を生き抜き、神の心を満たすことの出来る姿を行動で示さなければならない。ペテロがした事と違わぬ行動までは出来ないにせよ、最低限度として正常な人間性を行動で示さなければならない。そうすることで私は神の心を満たす事が出来る。


全能神教会の映画「ノアの日々が来た 日本語

2018-12-05 06:01:00 | 全能神教会映像

 ノアの時代の人類を振り返りましょう。悔い改めることを考えずに、人はあらゆる種類の邪悪な活動を行いました。誰も神の言葉を聞きませんでした。人々の頑固さと悪は神の怒りを呼び起こし、ついに大洪水の災いに人々は飲み込まれました。ノアと彼の八人の家族だけが神の言葉に耳を傾け、生き延びられました。今日、世の終わりはすでに到来しました。人類の堕落はさらに深刻になってきています。誰もが悪をあがめます。宗教界全体は世界の潮流に従います。人々は真理を少しも愛しません。ノアの時代はすでに到来しました。人類を救うために、人類の中で世の終わりの裁きの働きを行おうと、神はもう一度再来しました。これは神が人を救う最後の時です。人類は何を選べばよいのでしょうか。 これは実話です。四川省の清平镇の住民たちは全能神の国の福音を受け入れることを繰り返し拒否したため、二度の災いを経験しました。汶川大地震の間、全能神を信じる多くの兄弟姉妹たちは神によって奇跡的に保護され、生き残りました。これらの事実は証しを立てられました。神を受け入れ従う人々と神を否定し抵抗する人々です。これらの二種類の人々には、ふたつの非常に異なる結末があります。


全能神の発表「道の最終行程をいかに歩むべきか」抜粋 12

2018-12-04 08:39:08 | 全能神の発表

 わたしが年老いるまであなたに付き添わせようとしても、それは不可能であろう。自らの内面について完全に明瞭な状態の人間が達成されなければならず、そうなれば人間は証しに立ち、活用されることができる。それは遅すぎないであろうか。一層大いなる苦難を受けることにより、万人の中で真の知識が実現されるであろう。それはこの働きの段階のひとつである。今日伝えられたビジョンを、あなたが完全に理解して、真の霊的背丈を得たならば、今後どのような苦難を受けようとも、それがあなたを圧倒することはなく、あなたはそれらを耐えしのぐ事が出来るであろう。わたしが働きのこの最終段階を完了し、最後の言葉を述べ終えた時、将来において人々は自らの道を歩まなければならないであろう。これは前に述べられた言葉を成就することになる。すなわち聖霊は一人ひとりのために任務と、一人ひとりの中で行うべき働きをもっている。今後、各人は聖霊に導かれて歩むべき道を歩むであろう。苦難を受ける時に、誰が誰を世話することが出来るだろうか。各個人には独自の苦難があり、それぞれの霊的背丈がある。ある者の背丈は他の誰の背丈とも異なる。夫は妻の世話をせず、親も子の世話をすることはないであろう。他人の世話が出来る者は誰もいないであろう。現在とは異なるが、相互の世話と支援は依然として可能である。それはあらゆる種類の人間が暴かれる時となるであろう。すなわち、神が羊飼いを打つ時、羊の群れは散らされるのであり、その時あなたがたには真の指導者が不在となる。人間は分割されるであろう。それは信徒団として集うことの出来る現在とは異なる。後に、聖霊の働きがない者は、自分の真の姿を現すであろう。夫は妻を裏切り、妻は夫を裏切り、子は親を裏切り、親は子を迫害するであろう。人間の心は予想出来ない。出来ることは自分のもつものに頼り、道の最終行程をよく歩むことだけである。あなたがたは現在このことを明瞭に理解できず、皆目先の事しか考えていない。この働きの段階を上手に通過するのは、容易いことではない。

 

全能神教会の映画「彼女を追い詰めたのは誰か」 中国における宗教迫害の実録 その4

2018-12-02 00:10:53 | 全能神教会映像

 中国共産党は1949年に中国本土において政権を握って以来、宗教信仰を止むことなく迫害し続けてきました。彼らは狂気のようになって、クリスチャンたちを逮捕、殺害し、中国で活動していた宣教師たちを国外へ追放、虐待しました。また数え切れないほどの聖書を没収、廃棄処分し、教会の建物を封鎖したり破壊したりして、全ての家の教会(家庭集会)を根絶しようとしてきました。このドキュメンタリー映画は、中国本土のキリスト教徒で、中国共産党警察によって逮捕され、神を信じ、彼女の本分を尽くすがゆえに最終的に労働収容所での自殺を招いたあらゆる非人道的拷問を受けた高玉峰の話です。中国共産党の邪悪な支配下で逮捕後の収監でキリスト教徒たちが経験した凶悪な虐待と非人道的な迫害の真実を明らかにし、中国共産党の神に対する憎悪とキリスト教徒たちの虐殺の悪魔的本質を暴露します。