OCTAVEBURG 外伝

ピアニスト羽石道代の書きたいことあれこれ。演奏会の予定は本編http://octaveburg.seesaa.net へ

話はまずいけどご飯は美味しい〜酒もいいけど酒粕も

2021-01-20 | 日記

寒い。冷たい。
心だけではなく(...)体も氷の女である私は冬中寒い。冬眠した方がいいかも、と思うくらい手足が冷たい。
そして、痛い。
あかぎれ、そして、しもやけ の再発に苦しんでいる私。

今年は手のアルコール消毒のしすぎで手が荒れ気味の方が多いらしいが、私はそこが原因ではなく、ある程度気温が低くなるとこの症状に苦しめられる。なりやすい人となりにくい人は遺伝だとかタイプだとかいうものの、私はピシピシ割れて血だらけになってきました。
指先が割れることもありますが、足の指先の腫れと、一番酷いのは手の甲。キメに沿って割れて酷いと血が出る。今年はそれが鱗のようにカサついてちょっと不気味。
思い出すのは小学校の卒業のお別れの会だっただろうか、私はピアノを弾く機会をもらっていたのだが、自分の手の甲が破れて血が滴り鍵盤に、ヤバい、垂れる...!ということばかり心配してシューベルトの即興曲を弾いた記憶。

今年は関東地方はなかなかしもやけに最適な気温なので、あれ、足先が冷たい、足指が変だ、イタイかも、と思っているうちに、不気味にな感じで手の薬指の側面が腫れ、握ることに違和感もあり、嫌だな菌でも入ったかしらと思っていたら...
ある日ピアノを弾くうちに温まった指に強烈なかゆみを感じ、
この感じ...これ、しもやけか?!!
ということで、皮膚科に行き、内から外からビタミンEを摂取しているところです。(すなわちその瞬間まで温まったことがなかったことになる。ああ氷の女め)

気をつけていても冷えは忍び寄る。とはいえ、きっと私の生活を見たら改善点は多いかもしれない...まずは体を温める食材を積極的に取ろう、なんだっけ...
そうです、酒です。いや、むしろその日本酒を絞ったあとよ。酒粕よ。

酒は好きでも実は酒粕が苦手でした。ですが、数年前よく行く頼りになる酒屋さんに行ったら店先に酒粕が積んであった。しかもよく飲む銘柄のもの...。ものは試し、と買ってみて、そのまま食べてもびっくりするほど美味しくて。今まで口にしたのと違う!とはいえ、そのまま大量に食べるものではなさそうなので、世の中でもお料理に活用するのが流行っているみたいだし、よし、ということで、あれこれ実験をはじめました。

使うコツは、アルコールを飛ばすこと。そして何より美味しい酒粕を使うこと。酒粕は冷凍しておけることもわかったので私は50gずつ小分けにして冷凍庫にストックしてあります。

・フライパンに酒粕とほどほどの水を入れて、しばらく沸騰させて水分を飛ばしていく。すぐ焦げつくのよく練りながらちょうどいいペースト状になれば下準備OK。5分くらいでできます。
*完全にアルコールが飛ぶのかはわからないので、弱い方、運転される方は食べるタイミングなど気をつける方がいいかもしれません。

このペーストをクリームのように使ってパスタを作るのが結構好き。(炭水化物祭りとも言える)
エビをフライパンで焼いて、そこにペースト、だし(めんつゆ)、塩などで味を整え、エビの酒粕クリームパスタ。写真はパセリペースト(これも作っておくととても役に立ちます!刻んで(ミキサーでも)軽く塩少々とオリーブオイルであえておく。)をのせましたが、代わりに黒胡椒をガリガリしても美味しい。カレー粉を混ぜても美味しい。パスタにしなくても美味しい。

その他、酒粕に火を入れずに味噌と混ぜて、魚に塗って、しばらくおいて、焼く。(ビニールの中で混ぜたり漬けたりすると簡単)これも、食材の風味がアップして美味しいんですよねえ。イカもいい。生姜を混ぜるとなお、いい。

というわけで、酒粕クリームパスタ作って食べたら、酒粕効果テキメンでとても体が温まって、しもやけが...かゆいぜ...! という、いいような悪いような、話。
いずれにせよ地獄、というのがしもやけです。経験のない方はどうぞそのまま一生をお過ごしくださいね。

こんなことがあると、暖かな春よ早く来い...とも思いますが、人間とはわがままなもので、冬至が過ぎたあたりから、ああ日が伸びていくのか...冬も終わりなのか...など去り行く季節を少し名残惜しんでしまうようです。(でも2月になってまた寒いに違いない)
そんな私のグダグダはともかく、現実はナルニアの氷の魔女に支配された冬の国ではないので、黙っていても季節は巡り、今年も春に着実に近づいていく。
そこに希望はあるのか。僕たちは希望を持って、いいのか。
大好きなコートをあと何回着られるのか、数えつつ。



ピアノと私だけだと できないこと

2020-10-25 | 日記

先日また自宅のピアノの弦を切ってしまった。あーあ。切りそうな時は予感がある、あまり良くない...って縁起の話ではなくて、自分の状態があまりよくない時。大体はちょっと一生懸命やろうと思って音が硬くなっている時に...嫌だな...と思いながら弾いているとブチッと逝く。ああ、ガッカリ。

でも初めて弦を切った時はガッツポーズだった。藝高時代に友達が切ってる話をしていて内心憧れがあり、初めて切った時はちょっとレベルが上がった気持ちになった。そうしたらその後からは切りまくるようになってしまっていいような悪いような...

こうなったら我々(自分で張れるピアニストもいると思うけど)は調律師さんに電話するしかない。つまりこれが、ピアノと私だけだとできないこと。
大学時代に実家でやっと自分のグランドピアノを手にした私は(やっと?ええ、そうです。このエピソードはまた後日)そのピアノもやっぱりブチブチ切っていたので、その度に「ハイいいですよー、仕事の合間に寄りますねー」と明るく答えてすぐきてくれた。そして宇都宮で演奏する時はステージのピアノも出来る限りお願いし、いつも演奏も聞いてもらった。「よく鳴ってますね、よく練習するから」と嘘か誠か、いつも励ましてくれた方だった。
いつでも誰にでも平等に接し、丁寧で笑顔で明るく、ピアノをキレイな音にしてくれた。栃木県内で行われた主要な演奏会のほとんどをその方が担当していたのではないかと思っている。
誰にでも出来る仕事ではなかっただろう、体力的にも大変なお仕事だろうが、たくさんのピアニストとピアノをいつも助けてくれた。

ピアノってつくづく、いつでも、大変大掛かりな事になる。持ち歩かない(できない)という点だけで言えば自分は楽だが、その分現場で調達、そして調律師さんが必要。調律は昨日したから大丈夫...っていうんじゃない、今整備してもらいたいのです...というのがピアニストの本音だ。名器だってピアノ庫から出せばいいわけではない、そこから開演時間までにどう覚醒させるかがピアニストの腕、だけじゃなくて、調律師さんの腕との共同作業だ。限られた時間で行うことなのでそこが勝負の時間なのだ。
分かっているんです、本当にこれがどんな贅沢な話か。調律しなくても音は出るから。でもね...、ピアノってすみません、でも1人でどうしようもできないんです...と大掛かりな準備に恐縮しつつも、心の奥底では「待ってましたこの時を!」という「やっと本物のピアノを弾ける」時間がやってきたことに興奮してしまうのも事実。

分かりやすく言ってみればシンデレラと一緒。魔法の杖を一振りされて、輝くドレスで舞踏会(タイムリミットあり)って感じ。
たとえ舞踏会に行けたとしても、ボロボロの普段着じゃ自信持てないじゃないですか、それをキラキラにしてくれるのが調律師さんだと言ってもいいかも。だから、その魔法使いとの趣味と合っていないとまたそれも問題発生、となるので...とシンデレラも1回だったらあの有名な水色のドレスでよかったけど2回、3回となれば「えーと、前回のもいいけど...髪型変えてくださる?」とか「実は馬車よりロールスロイスが...」とか言うに決まっている。より良い状態を求めてしまうのが経験の副産物(?)だが、それをこちらが言わずとも、いや、期待以上のキラキラに仕上げてくれるのが魔法使い(つまり調律師)の腕だろう。

シンデレラの話はともかく、調律師さんの魔法にかかったピアノに出会えば、私はもはや言い訳や言い逃れはできない。ここからは本当に自分の腕1本だな...という覚悟が生まれる。だが魔法のピアノは驚くほど私を後押ししてくれるのだ。その調律師さんはそんな経験を何度もさせてくれて、私はずっと育ててもらっていたのだ。駆け出しの未熟な私にでさえ偉そうにしなかったし、無駄なお喋りをして私を迷わせたりする人ではなかったから、あくまでピアノを通して。そんな舞台裏での気遣いや落ち着いた存在も多くの方に信頼された1つだろう。

音楽のいいところは、必ず「誰か人間の仕事」と思えるからだ。ピアノの奥の「人間の仕事」を信じて私は音を出す。
ピアニストは孤独なものだが、ステージで弾いているときはピアノが頼り、でもそれを直前に万全に整えてくださるのは調律師さん。
ピアニストにとっていつしか同士のように思える人が現れたら最高だ。そんなエピソードをお聞きになった方もたくさんいるだろう。

だけど、お別れの時が来てしまった。
とても、寂しい。お別れは言えなかった。
仕事に誠実で、ピアノと向き合っていい音を、いい音楽を、愛した人だった。
ああ、私は若い時にいい人に出会えてたんだなあ。
私の感謝も弾く前の弱音もきっと分かってくれているだろうから、心の中でまた言えばいい。
そして、私はまた弾けばいい。

どのピアノたちも喜んでいたでしょう、いつもキレイにしてくれるから。ピアノだってキレイなのが好きだもの。
私とピアノをいつも助けてくださった事に心からの感謝と、ご冥福をお祈りいたします。
信頼のピアノ調律師・岡田 孝 さんへ。






手が飢えていることも忘れていた

2020-07-26 | 日記

お料理ではなく、音楽のことをかける日がきた。少し、気持ちが動くことがあったから、書いてみたい。

この事態になってからも私は多分ちょっとツイてたはずだ。有難いことだった。6月に人前で演奏させていただく機会があった。合わせ(練習)から本番まで、何か「昔みたい!」な感覚を得て、嬉しかった。(終わったら感極まって...という美しい話ではなく、終わったら反省に包まれまくった自分に、通常運転だなという実感を持ったというのが実際のところ)

そのうち少しずつホールでのオーケストラの演奏会などが再開され、その活動に(ちょっぴりの羨ましさを持ちつつも)音楽関係者であるからにはご心労とご苦労にエールと、そして、どんどんうまく事が進むよう祈っている。そんなところに、聴きに行かねばならない!と思える演奏会の情報が入ってきて、心を決めてチケットを購入した。内容も変更があっての演奏会だった。演奏会に行くのは3月末以来だ。

久しぶりのホールは入り口から徹底した防犯・ならぬ防菌?のアイディアに溢れており、チケットは自分でもぎって箱に入れる(それも座席で区分けされているのである意味その後効率的)。もちろん手指のアルコール除菌の確認、センサーで検温もある。プログラムは机に置かれていて自分で取る。大した手間ではない。
使える座席は1つ置きに設定されているようだが、その限られた座席はほぼ満席だった。が、私は多分一番人気のないエリアの座席を買っていたので(音はいいと思っているんだけど)私のいるエリアは私を含め2人しかいない贅沢な貸し切りだったので、失礼ながら見やすいようにちょっと浅く腰掛けるなど(浅く座るのは得意な私)パーソナルスペースも広々と自由に鑑賞させていただいた。

演奏会のアナウンス後、しばらくして開演。チューニングが終わって少しの静寂。
ソリストが登場した時、慌ててプログラムを膝に置いて、拍手を送ったとき、泣けた。
もともと泣く覚悟で来ていたんだが(笑)自分でもびっくりした。早いな、泣くの。
何にって、尊敬するソリストが出てきたからだけではなく、それよりも自分の手が「拍手をしている」ことが泣けた。

以前、友人の結婚式に参加した時、新郎新婦が祝福の拍手を浴び、参列者が皆心からの拍手を送っているのを見ながら、ぼんやりと私たち演奏家はなんて幸せな職業なんだと思ったことがあった。毎回ステージでいただく拍手が、結婚式の祝福の拍手と重なったからだ。また、こんなに拍手を浴びている姿を皆さんに見ていただけるなんて幸せなことは普通人生の中で多くないのだ。(ん?ちょっと意味合いが違うんじゃない?と気を悪くされた方がいるなら謝っておく)
それと同時に、普段から私たちは拍手を「いただく」だけではなく、たくさん拍手を「している」人種なのではないだろうか。だから拍手に意味を込めるテクニックも知っている気がする。ただ単に手を叩いているのではなく、我々は「お疲れ様!」「おめでとう」「ありがとう」も、「すごいよかった!」「よくぞ頑張った...」「今後も期待しているよ!」などのメッセージを込めたり感じ取ったりすることが日常に組み込まれていたのではないか。演奏後に演奏者に会える機会もあるが、直接声をかけられない時、相手だっているから、演奏後の拍手にうんとメッセージを込めているはずだ。思い出してみよう、めちゃくちゃいい演奏会に1人来てしまって誰ともこの感動を言葉で分かち合えない、でも感動で胸がいっぱい!という時に演奏者に送る拍手の腕と手のひらの疲れと言ったら、言葉以上の感動が体に残る。それを私の手は思い出したらしい。私は感動を、したかったんだ。
だから、心から泣けた。

ポジティブなことだっていくらでも言える。まだ、大丈夫。ただ、ネガティブな気持ちだって吐かないと、ちょっと無理だ。
今だからではない気もするが、この状況下で人は前向きな気持ちを伝えたり逆に弱音を吐いたり、希望を持ったり不安を持ったりしている。ただずっとどちらかの気分でいるほど人類は暇じゃない、って感じだろうか。
私の気持ちは、何か翼を切れと言われたから切って待機。でも切られても羽って生えるんですって。そこに安心しつつも羽がお家仕様になってしまったらどうしようって心配している。
とはいえ、自分でできることを探していかなければ羽も生えて来なくなっちゃうんじゃないか。でも翼が生えてもいつ使えるの?考え始めたら全て否定的になるから希望が持てない日だってある。
ただ自分でも面白いのは、時間があるから考えて考えて1周してもまだ時間があるので、冷静になって自分でつっこめるくらい、このネガティブとポジティブの間を行ったりきたりしてはニュートラルに戻って日常を送っている。皆もそうかもな、とか仲間の顔を思ったりしてね。(...皆は違うかもしれない、と思うとまた1周できるよ)

ただ、この間にも私のようにグルグルしないで真っ直ぐな光を与えてくれるような演奏家の方もいて、結論 いい演奏、いい音楽には救われる自分がいた。(この場合の「いい」は自分の心にフィットするという意味でいかがでしょう)
私もアホみたいなこと考えていないで何かやるか...と正気に戻らせてくれたその方々には感謝している。お家で。
私は、これから何ができて、何をしたいのか。その立派な方のようにはなれなくても。
そうしてまたネガティブとポジテイブの間をグルグルサーキットし続けるだろう、なぜなら「私」だから。

話はまずいけどご飯は美味しい〜特別編・犬のお食事

2020-07-18 | 日記

あらあら。
とある髪型が怖い印象があるから、事件に巻き込まれるから禁止、ですって?
私がこういう話を聞いて一番最初に関連づけて思い出されるのは「人は見た目が9割」という話。...100%じゃないかしら、と心が呟く、いや、叫ぶ。この件については体験談を交えたら3日くらい本気の議論を交わせるので深くは触れませんが、髪型だけじゃないだろう、印象というものは。偉い人よ、教えてくれたまえ、大人はいまだにそうやって人を見て判断しているのかな。

そんな私のまずい話ほどではないが、弱さがウリのすず様でさえ、「柴犬」な上に「黒い」ので、ちょっと敬遠されているのかなと思う時もあります。柴犬は主人に忠犬なだけに他人にガウガウしてしまう傾向にある、とか、黒い子は特に気が強い(黒ってイメージね)とか。でもすず様はまだ何もしていないのに「...おとなしいですね」と見抜かれることの方が多いけれど。

すず様のお食事は決まっています。ドライフード。すず様は最初来たときは特に、今までの暮らしの中で犬のご飯以外食べたことがなかったようで、私たちが食べているものには全く興味がありませんでした。犬の中にはグルメさんもいて、猫様のようにコロコロ好みを変える子もいるようだが、すず様は全然。我々が真剣に選んだ柴犬専用のドライフードをお出しすれば常に完食。ただ、辛い人生があった(と思われる)すず様には色々な経験をさせてあげたい気持ちがあるので、機会があったときに犬のフレンチ(まるでフルコース!)を試してみました。それはとても丁寧に考えられて作られた美しいお食事だったのですが、初めてのドライフード以外の食事ってどうかな...と見守る中、長い時間をかけつつ完食した時はこちらも大変嬉しい気持ちになったと同時に、...美味しいものはわかるのね....という素直な驚きとプレッシャーを感じたわけです。(私がブロッコリーを茹でてご飯に混ぜてあげたとき、すっごい嫌そうにかつ器用に口から出していた思い出があったので。)
でもわがままはおっしゃらないし、やはりいつもの食事は調子が良さそうなので基本は変えていませんが時々変化をつけるために、犬にあげてもいい食材をほんの1口だけ味見の機会を設けています。
今までの人気の食材・圧倒的1位は いちご (とちおとめですっごい甘い美味しいやつ、しかも先っぽのところ)。あとはもちろんお肉・お魚 (ささみは特に。馬肉、マグロ、くじらも経験済み。どれもほんのちょっとですけどね)は好きなご様子。
体にいい食材(かつオシャレ)という動きはペット業界も同じなので、素敵な売り場にいくと、ちょっとヒトも食べてみたくなるようなものもたくさん置いてあって目移りします。見た目も可愛いいパッケージのフリーズドライのご飯。食材もあれこれ入っているようで、美味しかったようです。うーん、...犬もいいもの、食べてるな!

ただ私がうすーく感じているのは、同じものをあげても
「殿がくれるものはとっても美味しい、カサカサ(私の呼び名。私は侍従なので)がくれるものは普通」
というすず様のいじらしい乙女心。(殿が大好き過ぎる。)
そうよね、食べるときに一番大事なことは好きな人と「美味しいね」という気持ちを分け合ったり、与えて(って人には使わないけど、選んで)くれたことに感謝する気持ちとかね。一緒に食べると美味しいね!は犬だって思っているようです。
誰と、どこで、何を。一緒に食事をする人の顔を思い浮かべながら作ったり、お店を探したりするのは、その時から楽しい、美味しい。さて、今日も明日も何を作りましょうか。
(1人でこっそり食べるチーズとワインも、美味しいし、適当に作った1人ご飯がすっごく美味しいこと、あるけどね。内緒ってやつです。)

話はまずいけどご飯は美味しい~愛しの・鴨のコンフィ〜

2020-06-28 | 日記

私は本当に食い意地が張っているので、食べることを考えて過ごす時間は他の人に比べて長いと思っています。
明日のお弁当はアレを作るから、食材はこれがあるから、買い物に行きたくないから、夜はあのワインを飲むから...。
最近はこのブログもお料理のことなんて書いていい感じの印象を生んでしまっているかもしれませんが、多分他の人の方が美味しく作ってると思う。笑 ただ私は食べる欲も作ってみたい欲も他の人より強いから、ということだけだと思っています。

ここ数ヶ月は外食する機会も限られ、自分でお料理するしかなかった。それはそれで別にいいのですが、当たり前の事に気が付きました。
食材がある時(豊富)とない(限られる)時の、料理の豪華さ(それはやる気・インスピレーションによる)が違う。
食材が豊富な時はアレもコレもとメニューも浮かびますが、時は缶詰と乾物の偉大さに頼るものの、これしかないか、みたいなメニューにはなります。でも、ない時のアイディア勝負は1つのトレーニングみたいなもので、自分の脳への刺激と今後の頼りになるストックの再確認みたいになるので、いいことなのです。その結果、メニューはそこまでマンネリではないと言ってもいいと思うけれど、買い物がマンネリになる傾向にあるかもしれないと思い始めました。
野菜などもやはり同じお店だと同じものが並びやすいし、お肉も使いやすいタイプのお肉を選びがち。この根本的解決は「お店を変える」が手っ取り早い。ですので、出来る限りは(気晴らしも兼ねて)変化をつけることにしています。

ところでいきなりですが、私は宣伝、広告、CMといったものが結構好きです。テレビのCMも好き、映画館でも最初の新作の予告が大好き、というように、広告といっても姑息なものではな、よくできてる!という宣伝に興味を持ってしまう人間です。私は凡人ですのでこの時期もSNSも結構見ていますが、それに挟み込まれる広告も(怖いですねえ、私の好みを知ってて。誰かに見られてる感は否めませんが)面白く見ることにしています。もちろんそこから具体的な行動に移るまでは注意深く検証してドキドキしながらクリックするわけですが。

その広告は突然私に「鴨」をすすめてきました。山形県産です。鴨...カモ...
そうです、私は「鴨のコンフィ」という殺し文句に弱いのです。すぐ「私はそれで」って言っちゃう。そのコンフィ用のもも肉もある...
ここで食べる欲と作ってみたい欲がムクムクと湧き上がります。
お店に行けないなら、作るか。やるしかないでしょ、これ。だって食べたい。作ってみたかった。しかも時を同じくして、好きな作り手さんのワイン(日常の私にしては高級)があって、相方を探していたところでした。
これは、ワインにも食材にも失礼のないように、やるしかないな。

*コンフィはちょっと気を使うけど、時間が調理してくれます。意外とできます。
一晩解凍して(冷凍で送られてきたので)、一晩味付けして(塩1.5%、砂糖0.3%)とハーブ(今回はローズマリー)、半日オイルで(70度をキープしつつ私は保温鍋)火を通して、最後はフライパンで焼き目をつけて、食卓にお連れしました。コンフィ!(焼き目をもっとつけたかった)

風味も味わいもしっかりしていて美味しくいただきました。それより、生のお肉を手に取った時の美しさ!マッチョさ!皮のハリ!大事に育てられて最後までキレイにしてもらったんだなと、生産者の方のお仕事ぶりと、大事な命に感謝をせずにはいられませんでした。その生産者の方のページには白い可愛い鴨たちの写真と動画もあって、ガアガアしているお姿を見てしまうと事実少し申し訳ない気持ちもチラッとありましたが。(生きているトリも好きなので。)
でも、その分、美味しくいただきました。ありがとう。

感動する食材を手に取った時の喜び。それを生かす方法を考えて「美味しい」に進んでいく期待。ただその「美味しい」は儚い。時間をかけて作ったのに一瞬で終わる。美味しければ美味しいほどに...。でもそれは食材を手にした時、またはその食材に「なるまで」(...人生、って言わないよな )を知ったり想像することができれば(そしてそれに納得できれば)、儚いけれど「美味しい」の余韻が長い。それって現在の食の楽しみ方の一つだと思っています。でも気をつけないと情報で食べちゃう。実際目の前の食事とちゃんと向き合うことが、食べる1番の礼儀。こんなことを「いっぷく亭」時代の父と何度も話したなー。

食に限らず、最近自分が大人になったからなのか、メデイアでも様々な職種の方を特集したりする番組があるからなのか(アレね、アレ)、全ては誰かの仕事でできている、と思うようになりました。なんでも黙って勝手にできたわけじゃない。だからパッとは見えないところの「誰か」のお仕事を想像できる人間でいたいなと思います。

まあ、今回は美味しい話で終わっておこうかしら。まずいのは、ますます美味しいものを食べたい作りたい欲が高まり過ぎる傾向にあるのと、お取り寄せに想いを馳せすぎて(結局そんなにしてないけど)悩んじゃったりする時間が長いこと。時間がかかるラーメンのスープも今ならいけるかも?「いっぷく亭」のレシピも入手済みよ。

+++ワイン+++
     オート コート ド ニュイ ルージュ オー ヴァロン 2016  ドメーヌ ミッシェル グロ
     Hautes C tes De Nuits Rouge Au Vallon Domaine Michel Gros
優しくシルキー。久しぶりに美味しいピノノワールを飲めました。こちらも感謝。