OCTAVEBURG 外伝

ピアニスト羽石道代の書きたいことあれこれ。演奏会の予定は本編http://octaveburg.seesaa.net へ

話はまずいけどご飯は美味しい〜春巻きの「皮」編

2020-04-29 | 日記

春巻き。魅惑の食べ物ですね。サクッとカリッとトロッとハフハフと。定番の具はひき肉と、歯応えの楽しいタケノコとか?ああ、イメージだけでも美味しい。
中華でも出汁の美味しさを活用しますよね。貝柱や干し海老たちの海の恵み系に対抗できる山の代表 干し椎茸。前回のホタルイカに続いて干し椎茸も見た目は怖い。なんかカサカサしてて今でも若干ビビるのですが。戻した汁もちょっと色がついてて最初は恐る恐るでしたが、この風味は最強の助っ人となってくれます。
ただ、子どもの頃は出汁の意味がちっともわかってなかったので、色のついた水=汚れている と思っていたので、母がせっかくとった出汁のお鍋をそれより大きなボールに水を張って冷ましていた状態を見て(何なのこの汚い水は...)と思って、無知な私はそれを台無しにして(捨てたかその中に何か入れた)超怒られた記憶があります。てへ。

では本題に入りましょう。ここまで出汁の話をしておいてこの後紹介するお料理には全く関係ありません。
春巻きの『皮』はめちゃくちゃ便利です。ただ...揚げません、私。残念ですが。代わりに使う調理器具は「魚焼きグリル」。正確に言えば「両面焼きグリル」。これは本当に優秀です。最高です。片面しかないよ、という方もきっと大丈夫。使ったことない方も魚を焼かない使い方を知ったらもう手放せませんよ。

ということで、今回は「春巻きの皮」×「魚焼き両面グリル」で作る自由な 焼く春巻き のご提案です。レシピは私考案ではなく得た知識を適宜アレンジしております。

コツは、スピード(また?)。ささっと巻いてオイルを塗ってすぐグリルへ。
塗るって、ハケで?無いわよ、そんなもの って思った方にこっそり言うなら、私は調理台にサランラップを敷いてその上にオイルをたらし、そこに巻いた状態のものを直接つけるスタイルでやっております。どこも汚れません。(ハケか...使ってみたい気もしてきた。)

まずは季節のものを巻いていきましょう。

★春キャベツ 春巻き
春キャペツを千切りにする。水を切る。
春巻きの皮の上にお好みで生ハムをしいてから、春キャベツをのせて、巻く。
オリーブオイルを表面に塗ってグリルへ。
春キャベツが半生みたいに仕上がって甘みとシャキシャキが楽しめます。生ハムではなく、例えばソーセージを相方に選んでもいいですねえ。
食べるときに粒マスタードをつけながらでも、巻く時に生ハム→粒マスタード→キャベツ でもいい。

★せりと舞茸の春巻き
舞茸はグリルで焼いておく。せり はきれいに洗って水を切って適当に切っておく。
春巻きの皮の上に せり、焼いた舞茸をのせて、巻く。
オリーブオイルを表面に塗ってグリルへ。
これの仕上げは、山椒塩(山椒と塩を混ぜればOK)でいただくこと。これはもう...日本酒が泣いてくれます。

★新生姜と さやえんどう の春巻き
新生姜は千切りに、さやえんどうは軽く茹でてから千切りに。
シャリシャリ楽しい春巻きになります。軽く塩をつけながら、だし醤油をつけるのもいいですね。

皆さん、わかってきましたね。すなわち中身は何でもいいんです。具の水分量だけお気をつけて。川が破れやすくなります。好きなものを巻いて、オイルつけて、焼けばいいのです!

さて、次は最強レシピです。

★干し柿とクリームチーズの春巻き
干し柿はタネなど外して、少し叩いても、叩かなくてもお好みで。
春巻きの皮の上に、干し柿とクリームチーズをのせて、巻く。
おすすめはココナッツオイル。塗ってグリルへ。

我らのバイブル danchu レシピです。これは秀逸で、お酒にも、もちろんデザートにもなる使える一品です。
干し柿を他のドライフルーツ、またはさつま芋、カボチャ、などに変えるのも好きです。このレシピのおかげで世界が広がりました。

別の楽しみ方。「春巻きの皮」はパイシートなどの代用として使用されるレシピも多く見かけます。やってみたら、成功しました。

★タルトフランベ風 
春巻きの皮を3枚重ねる。(これポイントかもしれません)私はそれを半分にして長方形にしました。
1番上にクリームチーズを塗る。
新玉ねぎスライスをのせる。
グリルでいい焼き色がつくまで焼く。グリルから出してからお好みでトッピング。オススメは釜揚げしらす。(山椒を振っても胡椒でも、コリアンダーパウダーでも)
そりゃ本場のタルトフランベがいいけど。でも、これもなかなか。パリパリ楽しめます。

以上、春巻きの皮の話でございました。

書いてみて思ったのは、巻くと何でも食べられちゃうって感じかも。千切りキャベツだけじゃ何だけど、春巻きの皮で巻くと大量に食べられる。ちょっと面倒くさいな...って取りかかる前は思うけど、その一手間は決して無駄ではなかったなと食べながら満足する。出汁と同じ、ちょっと一手間かければ満足度アップ、というのは…それはもしかしたら、おにぎりとも似てる?

小学校の頃の思い出。その当時産休代理の先生はベテランおばあちゃん先生が多かった。(今思えばおばあちゃんだったかどうか不明だけど)素晴らしい先生たちだった。兄のクラスの話だった気がするが、そのベテラン先生が給食のご飯が欠席者の分など残るとササっと「塩むすび」にしてアレンジしたらしい。すると皆こぞっておかわりしちゃった。むしろ先生、握って!みたいなね。
今で言う食品ロスに大いに貢献できる華麗な技。なんか好きなエピソードでよく思い出します。(一応、戦前じゃないです、私)

ま、今の時代、こんなことはできないんですけどね。大変なことになる。笑
でも昔は昔で、それでいい事もいっぱいあったんだ。

写真は茶色いので全く映えませんが、レンズ豆のビネガーサラダにカレー粉を入れてリメイクしたものにチーズを加えて巻いた春巻き。見ての通り私は強引にパンパンに入れ込むので、切るとぐちゃぐちゃになる危険性が高いので、中身をお見せできないのが私のお料理の難しいところです。

話はまずいけどご飯は美味しい〜春のホタルイカ編〜

2020-03-28 | 日記
自分の一番よくないところは、色々あるけど、口 ではないかと自覚はしています。えーと、喋る 口。
世の中で起きることに対しても ん?これって...って思ってしまうと何か意見を言いたくなってしまって、こうだと思う!を強く言ってしまうところがありまして。ついつい発言欲が高まると演説をしてしまうので...周りの皆様、いつもやっちゃった後に一人反省会はしているんです...そして聞いてくださった優しさに心から感謝しています...

さて、こちらのプロフィールにも一言書いていますが、私は美味しく飲んだり食べたりすることが大好きなので(むしろそれしか考えていないというレベル)、親しい方と集まれば集まるほど、美味しく食べつつも、つい甘えて話を聞いてもらおうと語り出しては、ふと我に帰って
「話はまずいけど、ご飯は美味しい!お酒も美味しい!」
とお詫びも含め、適当に流していただくよう心でお願いしております。

世の中混沌として不安と不満がいつも以上に渦巻いています。
でもこんな時でもお腹は空くのだ。
季節の美味しいものはお店に並ぶ。
私のまずい話なんかわざわざする必要もなく、美味しい話をここでしてみたいと思います。

++++++++++++++++++
梅の花が咲いたら春だってよ
という詩を小学校の時に暗記した記憶がある。そう、春がくれば店頭には春の野菜、特に春しか見かけない山菜なんかが並んで楽しくなってくる。そうなると日本酒も新酒が出てくるな、ロゼのみたいな、などとウキウキしないわけがない。

海の幸にも季節があります。「海なし県・栃木県」出身の私がいつ知ったのだろう、ホタルイカ。きっと日本酒を飲むようになった頃からかしら。多分最初は 干したもの。ライターではないけど(笑)あぶってマヨネーズつけて食べてた。次は瓶の「沖漬け」。最後に茹でたホタルイカに出会ったのだろう、パックの付属の酢味噌で食べた。また、お刺身、なんて珍しいものも食べたこともあった。
そんな中、私のお友達で大のホタルイカ好きの女性のホームパーティーで茹でたホタルイカを何かおしゃれに料理してくれたのではないかという記憶がある。それで
あ、これって料理していいものなのね、
というように、単体でしか食べるアイディアがなかったのに食材として認識できるようになった。少し火が入ると中の内臓がトローっとしてソースのような役割を果たしてくれる。ヒトって残酷...ホタルイカには悪いけど。

ということで、私流 茹でたホタルイカの食べ方をいくつか挙げてみましょう。日本酒、ワイン(もちろんロゼがおすすめです。ピンクですもの)と共に楽しまずにはいられません。(私は。)
サッと温める程度にしか火は通しませんので瞬間的にできます。
コツと言うなら、ホタルイカを入れてからはスピード。味付けはホタルイカが味を持っているのでナンプラーもホタルイカの美味しさを引き出す程度です。

★ホタルイカとスナップエンドウの炒め物
フライパンにオリーブオイルを優しく温め(お好みで 唐辛子 にんにく (入れたとしてもごく少量がいいかと)が入るのもよいかと)、
下茹でしたスナップエンドウ(個人的には2分くらいお鍋で蒸したものが好き)を入れて 温まったら
ホタルイカを投入して
日本酒(ワインでもいいかと思いますが)を少々ふりかけ
ナンプラー少々 
ホタルイカが温まれば完成。すぐにお皿にざっと盛ります。お好みで胡椒をひきます。

ホタルイカのフニャフニャとスナップエンドウのカリサクの食感がたまりません。

同じように
★ホタルイカと空豆
★ホタルイカと菜の花

空豆はもちろん、菜の花も下茹でしてから使います。
こちらは菜の花に味が染みるので、菜の花の風味と相まって噛んだ時に最高に旨味が出ます。

これはパスタに絡め、最後に からすみパウダーと山椒をふりかけたら泣けました。ぜひ多くの方に泣いてもらいたいと思います。(からすみパウダーと山椒の組み合わせが2019年・おうち美味しい大賞 受賞)写真では美味しさが伝わりませんが、一応載せます。(うん、見た目、イカってなかなか怖いよね!それはいつも思ってるよ 私的通称:バルタン先生)

続いて
★ホタルイカ ディルまみれ
★ホタルイカ 新生姜まみれ
もおすすめです。「ディルまみれ」は刻んだ「大量の」ディルをフライパンから取り出す直前にまみれさせます。「新生姜」は最初に「大量に」千切りして、オリープオイルで炒めて香りを出してからホタルイカ。
写真はディルまみれ...(...怖さ倍増。でもこれ食べてるんだからヒトの方がもっと怖いに違いない)


以上。
書いてみると、大したことないな、この料理...って感じですが、私のモットーとしては、すなわちそのものが美味しければ何もしない方がいいのです。シンプルにいただけることは喜びです。
ぷっくりした、色が綺麗な春色のホタルイカさんを店頭で見かけたら迷わずゲットし、迷っても戻ってゲットしていただきたいと思います。

最後に、私が好きなホタルイカ エピソードとしては、(前述の人とは別の)若い女性が男友達に「一番好きな食べ物は何?」と聞かれて考えに考え抜いたあげく「ホタルイカ」と言ったらドン引きされ「そういうのやめた方がいい」みたいなアドバイスをされた(とかされなかった)とか。と言って彼女は怒っていました。...私は好きよ、ホタルイカ女子。笑 
やっぱり すず様のように「好きな食べ物は イチゴ かな」という女の子もいいと思うけど(いやいや、皆イチゴも好きなんですよ)ホタルイカ と言われたら「えっ、干物?それともあの内臓のトロッとした...」と同調してくれる殿方が実際は必要なのかもしれません。

写真のこと

2020-01-26 | 日記

今ちょっとあれこれモノを整理しなければいけない状況にあり、そこでモノ、その中でも写真というものについて思っていることがある。
写っている自分を見るのは、そんなに好きではないのだが。現実って、ねえ。

ところで、紙の写真って意外と重くて、母がアルバムに整理してくれた物ががとんでもなく重すぎて手に負えないので、 数年前にほぼ徹夜の勢いで簡易なアルバムに選抜し直したことがあった。選抜も苦労...正確には苦痛を伴った。だってだって、なかなかひどい写真も多いわけですよ、フィルム時代。一か八かだったから。それでも今見れば、あーここ行ったー とか、わー〇〇さんじゃん とか、この服好きだったー とか、単純にやっぱり思い出の一部が切り取られてそこにあるわけなので、思い出、すなわち自分の半生を自然と振り返ることとなった。良いか悪いかはともかく、こうやって生きてきたことは間違いはない事実だ。

もう1つ、写真の整理はデータの世界も忘れてはいけない。いつの間にこんなにあるんでしょ、データの写真...。
私は何を撮ったのか分からないと言われるほどに撮ることに全く技術がないのだが、フィルム時代とシャッターを切る「重み」が全く違うので、私ですら大量にあるんですよ、データ。以前に比べればずいぶんパシパシ撮っちゃうようになりましたね...。時々はカメラロール内も整理しているし、私の周りの優秀な母になったお友達たちの話を参考にフォトブックたるものにしてなんとかしています。(これは心からおススメします!)

最近とある写真を探して年代別にカメラロールを見ていたときに、それとは別にふと目に止まる写真があった。それはもう2度と会えない人の、私のカメラロールの中では多分唯一一緒に写っている写真だった。その日はお祝いの日で短い時間だったが楽しく皆で過ごしていたから、普通に見直してもいい写真だと言えるのだが、もう2度と、と思うとまた少し違う気持ちで見えてしまった。

今の状況からして、素直に、やっぱり、写真は、いいものなんだと思えた。でも胸がキュッとした。それ以降何度も脳裏にその写真が浮かんでくるので、これを書いてみようと思った。

やっぱり写真はデータであっても重いのだ。紙の写真と同じだ。人生の記録の1つの方法だから重いのだ。動画や録音はもっと直接的だから、もっと優しく寄り添ってくるだろうし、そしてある意味もっと残酷だろう。写真は記憶や思いを気づかせてくれるくらいのちょうどいい立ち位置なのかもしれない。
別にいらないよ写真なんて、と昔は思っていたけど、もっともっと先輩の方がデータの写真ですら「いらないよ、もう「終活」で写真も全部捨てたんだ」とおっしゃった時に、私の「いらないよ」とは違う「いらないよ」だと、ドキッとした。その分、実際一緒にいられる時間を作りたいと思った、それができるうちに。

でも、写真が思い出となって見えるようになってきて、ああ、私も歳めちゃくちゃ取ってるじゃん、が1番の結論です。(脳内BGMは「古いーアルバムの中ーにー」 これまた古いわ、怖いわ)

自分を取り巻くあれこれが、生きているうちにどんどん溜まってきた。モノのことは考え始めたら、もはや全部いらないんじゃないのか、全部捨てるか...という域に達しがちですが、そういうことでもないのです。今年はその点、色々と知恵を絞ったり決断を迫られる年になりそうです。(写真よりも楽譜ですよ、楽譜。どうしたらいいの。)
大事なモノまで勢いで捨ててしまわないように気をつけます。

そしてこういう写真を撮る人間(職種?)になるとは思わなかったな...。もう色々なところで使っていますが、私の新しい「顔」でございます。写真は撮るに至るまでが本当に大変、(そんなに好きじゃないから)でも、素晴らしい方にご協力いただいたできた写真です。たくさん使えますように。
あっ、昔から知る方、言ってくださいよ、「髪」。笑 これについてはまた今度。

本堂誠 BARITONISM Ⅱ CD発売につき

2019-12-21 | 日記

たまには音楽のことを。

今年の下半期は本当に、本堂誠氏とたくさんのステージを経験させていただきました。ご本人にも、お世話になった方々にも心から感謝しております。

彼のステージがなかなかすごいなと思うのは、お客様に「与える」圧倒的カリスマ的なものだけではなく、それ以上にお客様から次は何をやってくれるの?!という期待を「いただく」こと。それを客席からリアルタイムで感じるので一緒にステージで音を出す私としはそのプレッシャーに緊張もしますが、お客様も演奏に参加してくださっているかのような一体感に助けれらる部分もあって、それをさせちゃうのが本堂くんの力でもあるのですごいもんだなと。思っているわけです。
そしてそれがこの時代に珍しい「その時」「その場所で」「その人たちしか」味わえないクラシックの演奏会の「ライブ感」っていうものなので、私が大切に思っていることを何度も確認させてもらえた感触があり、1人の「クラシックの演奏会のファン」として本当に嬉しかったなと、思っているところです。(演奏家としての個人的な反省もあるけど、それはそれで。)

と共に2枚目のCDの作成もありまして、それが2019年12月18日に発売となりました。
先述の演奏会とはまた別の楽しみ方である「録音」されたものを聴くというのも音楽の楽しみ方の1つであり、それも相当楽しんできた自分としては、自分がCD側(?)に立つことになるとはなあ...と1人の「クラシックのCD(録音)のファン」として冷静に感慨深いと思っているわけです。そうよねえ、たまたま手に取ったCDを聞いて感動し、いつかこの人の演奏を生で聴きたい!と願ったり、この曲をいつか弾きたい!とか、それが叶ったりしたこともあり、ファンとしてもクラシックを十分に楽しんできたもんな。人生って面白いものです。

今回は本堂くんの音楽のルーツということでフランスの作曲家の作品がずらっと並びました。私がそんなフランス音楽のCDに関わっているなんて、昔から私を知っている人はのけぞっているんじゃないでしょうか。笑 おいおいお前が?的な。まあ一番のけぞっているのは私ですが、実はサクソフォーンとお付き合いが長いんですもの、いつの間にか気がつけばそこはフランスでした、というのが私の人生です。流れ着いて不思議。

でも、割と長くなってきた私の人生の中の「覚えていることの1つ」として、大好きだったレコード(言い訳のようですがCDも出てきた頃だったんですが、親の宝物としてレコードが家にたくさんあったのです、ええ、人生が長いんです)は、ハイスペック オシャレオヤジの サンソン・フランソワのドビュッシーのアルバム。
その前、もっと幼い頃はプロコフィエフの「ピーターと狼」ベルリンフィル×カラヤン、坂本九のナレーションという歴史的名盤が繰り返し流れている家庭だったので、これも完全に私のルーツになっている自覚もあるのですが、自分の意思でレコードを手に取って聴く、というのはフランソワのドビュッシーなのです。繊細な作業としてレコードに針を落とすのも聴く楽しみの1つでしたが、その行為が成功した瞬間「ベルガマスク組曲」のプレリュードがスピーカーからガツンと流れてきて、私、本当にびっくりしたことを覚えています。晴れた日曜日の朝の光とともに音が溢れてきた!と。
でもフランス音楽って大人っぽくて難しいので、私が弾かせてもらえる曲ではなかった。どれも弾けないと思っていた。(今も思ってるけど。)
それが自分が録音に関わっちゃうなんて、ねえ。人生ってわかりませんわ。

とはいえそれも、フランスの風を吹かせてくれる人がいるから私はその香りを嗅いでやっていけているようなもので。そしてその風はいつも強く私を誘うので私はそれを信じてそちらに行けるだけで。人の力を借りて、自分の力を引き出してもらって、できないと思っていた大好きな曲が弾けたなんて、こんな嬉しいことはあるだろうか。この歳で何言ってんだと言わないでほしい。だって、ピアノ1人で弾けない弾きたい曲が世の中に山ほどあるんだから。

その中で1人で弾ける曲を2人で弾いているものもある。こういうアレンジの存在に関してはもしかしたら賛否両論あるかも。でもそれは名曲の力で、それこそ本当はピアニストが独り占めできる世界の一部を弾かせてほしいって曲も世の中には山ほどあるんだから。

「レントより遅く」は私の大好きなドビュッシーの曲の1つで、このCDの収録曲を考えている時にふと脳内に流れてきたので本堂くんにオススメした。むしろ弾きたくて結構推した。
とある解説には「何の取り柄もない平凡な曲」書かれていてちょっと胸も傷んだが、いやいや、梅雨のようなしっとり感を味わえるこのアンニュイなワルツを1人ではなく2人で楽しめたことを心から感謝している。想像してほしい、静かな部屋で美味しいワインを1人で味わうのもとっても素敵なことだけど、誰かと2人でその味わいを各々が感じて「美味しい」と口に出さずとも「美味しい」を「共有している感覚」がその場に漂う、静かで豊かな時間があることを。その感想は本当はもしかしたら違うかもしれないけど、その一瞬の時間を共有したことが素敵なことだと思いたい。
こうやって私は色々な楽器や歌から音楽を学ばせてもらっているのだ。自分と自分のピアノだけではこうはいかなかった。

こうしてまた素敵な世界を知ってしまうと音楽って楽しいなあと、もっと知りたいなあと思ってしまうわけですよ。もう少し弾きたい曲もあるので、この得た経験と感覚を加齢による劣化と引き換えにしているわけにもいかないので、「捨てずに得ていく」努力をしたいと思います。モノは捨てても自分を捨てるなってことで。

+++++++++++++++
本堂誠 BARITONISM Ⅱ
バリトン サクソフォーン:本堂誠 ピアノ:羽石道代
https://tower.jp/article/feature_item/2019/11/20/1102






私の左の手首には

2019-09-28 | 日記

私は腕時計をしているのが好きだ。
という言い方をするのは、腕時計そのものも好きだけど、いわゆる「時計好き」というには詳しくないから。そしてメンズファッション好きな私は「腕時計は男性のオシャレアイテム」と思っているので、ちょっと興味はある。特にスーツの袖口、男性の左手首に光る時計がまぶしかった時、それって何ですかと聞きたくなるくらいのレベルですので、語るほどの時計好きとは違う。

じゃ、お前は何なのだ、というと、「私はスウォッチをちょっとたくさん持っている人」で「時計は全部スウォッチ」というだけです。といっても、記念のモデルを揃えているとかコレクターでもない。ただ結構いっぱい...と言っても現在20本くらい持っているよ、というだけ。
始まりは叔父がスウォッチにハマっていた時期に私たち兄弟に何本もプレゼントしてくれたから。ポップでキュートかつスマートでアート、それまでの「腕時計」とは全然違う「スウォッチ」は自分の憧れるオシャレ感が詰まっていた。また手首にあるから自分でもいつでも眺められて、そう、女子のネイルのオシャレと同じような満足を得られる。(職業柄できませんのよ、ネイル)

その20本は自分で買ったものもあれば、プレゼントのもの(の方が多い、ありがとう 殿)もあるが、修理対応していないので止まってしまったらご臨終というわけだが、なぜだか捨てられない。時を刻んでくれているからかその時の自分の思い出ともリンクしやすく、そしてアクセサリーとしても好きだから捨てられないという感じもある。
その中でもちょっと変わった時計が2本。思い出が詰まっているのとは別で、何せ2本とも「変わっている」。そのうちの1本が先日お逝きになったのでちょっと書いてみようと思ったわけです。

ただものすごいバカみたいな話になります。ご了承を。

両方ともアイロニーという種類でクラシカルな姿。しかもステンレスで重い。ゴツい。すなわちメンズ仕様のそれを友達(男子)がしているのを見て、それってスウォッチなの?という驚きからモーレツ羨ましくなったので、そのモデルを速攻買いに行った。それはネイビーだったが色違いもゲット、それをレッド。もう1本はシルバーと言いましょう。(逝ったのはシルバー)

何が変わっているって、すっごい私の味方でいてくれるんです。

レッドは早くなる。
シルバーは止まってくれる。

...え、それって壊れてんじゃん...。それだけの話なのですが。

まずレッド。数本あるので数日おきにすることになるのだが、まあ早まっている。10分くらいは早い。だからする時にはちゃんと時間を戻してから装着。その日くらいはちょっとの誤差なので困ることはないけど、数日経つと結構な誤差になる。でも、それがギリギリな私を、ほら、早く!みたいに急かしてくれてるみたいで何だかありがたくて、壊れているって思ってない。(いや壊れてるって)

次にシルバー。これはねえ、本当に変なのです。私が望むと止まってくれるのです。
ああもう時間がない、でもこれをどうしてもすませたい...!あと5分、ギリギリだけど...やろう!
と言うような状況の時。めちゃくちゃ集中力を上げてそれに取り組んでいる自分と時間を気にして時計をチラチラ見る自分。まだ1分しか経ってない、まだできる...まだできる...
...って、おかしくない?

...はっ(他の時計を確認)

ひいいいい 15分くらい経ってるんですけど!
そして時計、お前、止まってるんかーい!!

という信じがたいことが何回かあった。(あ、だから練習が間に合わないどうしよう...とかいう不安な期間中も止まりまくってたのかも。笑)
私が「時よ、とまって... !」みたいに強く願うとそのタイミングで本当に止まってくれるので、ある意味この時計もギリギリな私を時計なりに応援してくれてるわけですよ。止めてあげるよ!みたいな。この(いらん)優しさが何だかありがたくて、しばらく自宅のピアノの譜面台に置いていたのですが、ついにはネジがダメになったのでお役御免となりました。まあ、時計として、ダメですよね。

その他は優秀(フツー)で長生きな時計たちがまだまだ元気なので、今後の左手首のオシャレも安泰かなと、ほぼ同じタイミングで電池が止まった時に思うのです。

時間と音楽は不思議な関係だ。何気なく過ぎる日常の時間と音楽に携わる時間、特に本番の体感速度(っていうのかな)があまりに違くて、もしかして時空が歪んだのかなと思うことがある。シルバーが時間を止めてくれるみたいに。でもそんなことはなくて、普通に時間は過ぎていて、ただ始まって終わっただけ。その時間が過ぎただけ。でもそこにかけてきた時間が本番の演奏中には凝縮されてグッと歪むのかも、そういう時は結構いい時間を過ごせているのかも、と思っている。時間を音で埋めていくと、その時間だけ色を塗ったように特別な時空になるなんて面白いなあと。でもそれはサッと消えてしまって形には残らないなんて音楽は儚いものだなあと、最近ますます思うのだ。でも感覚にはすごく残ったりするから、なお不思議。

私は歪んだ時間の中にどれだけいられるのだろうか。逆に言えば、どれだけ時間を歪ませられるだろう。だから私の左の手首には、現実の時間を刻んでくれるちょっと秒針がうるさいスウォッチがいると、いいかも。

以上、写真は本文とは一切関係ない 黒柴・すず様。手が、エックス。かわいい。