OCTAVEBURG 外伝

ピアニスト羽石道代の書きたいことあれこれ。演奏会の予定は本編http://octaveburg.seesaa.net へ

私の左の手首には

2019-09-28 | 日記

私は腕時計をしているのが好きだ。
という言い方をするのは、腕時計そのものも好きだけど、いわゆる「時計好き」というには詳しくないから。そしてメンズファッション好きな私は「腕時計は男性のオシャレアイテム」と思っているので、ちょっと興味はある。特にスーツの袖口、男性の左手首に光る時計がまぶしかった時、それって何ですかと聞きたくなるくらいのレベルですので、語るほどの時計好きとは違う。

じゃ、お前は何なのだ、というと、「私はスウォッチをちょっとたくさん持っている人」で「時計は全部スウォッチ」というだけです。といっても、記念のモデルを揃えているとかコレクターでもない。ただ結構いっぱい...と言っても現在20本くらい持っているよ、というだけ。
始まりは叔父がスウォッチにハマっていた時期に私たち兄弟に何本もプレゼントしてくれたから。ポップでキュートかつスマートでアート、それまでの「腕時計」とは全然違う「スウォッチ」は自分の憧れるオシャレ感が詰まっていた。また手首にあるから自分でもいつでも眺められて、そう、女子のネイルのオシャレと同じような満足を得られる。(職業柄できませんのよ、ネイル)

その20本は自分で買ったものもあれば、プレゼントのもの(の方が多い、ありがとう 殿)もあるが、修理対応していないので止まってしまったらご臨終というわけだが、なぜだか捨てられない。時を刻んでくれているからかその時の自分の思い出ともリンクしやすく、そしてアクセサリーとしても好きだから捨てられないという感じもある。
その中でもちょっと変わった時計が2本。思い出が詰まっているのとは別で、何せ2本とも「変わっている」。そのうちの1本が先日お逝きになったのでちょっと書いてみようと思ったわけです。

ただものすごいバカみたいな話になります。ご了承を。

両方ともアイロニーという種類でクラシカルな姿。しかもステンレスで重い。ゴツい。すなわちメンズ仕様のそれを友達(男子)がしているのを見て、それってスウォッチなの?という驚きからモーレツ羨ましくなったので、そのモデルを速攻買いに行った。それはネイビーだったが色違いもゲット、それをレッド。もう1本はシルバーと言いましょう。(逝ったのはシルバー)

何が変わっているって、すっごい私の味方でいてくれるんです。

レッドは早くなる。
シルバーは止まってくれる。

...え、それって壊れてんじゃん...。それだけの話なのですが。

まずレッド。数本あるので数日おきにすることになるのだが、まあ早まっている。10分くらいは早い。だからする時にはちゃんと時間を戻してから装着。その日くらいはちょっとの誤差なので困ることはないけど、数日経つと結構な誤差になる。でも、それがギリギリな私を、ほら、早く!みたいに急かしてくれてるみたいで何だかありがたくて、壊れているって思ってない。(いや壊れてるって)

次にシルバー。これはねえ、本当に変なのです。私が望むと止まってくれるのです。
ああもう時間がない、でもこれをどうしてもすませたい...!あと5分、ギリギリだけど...やろう!
と言うような状況の時。めちゃくちゃ集中力を上げてそれに取り組んでいる自分と時間を気にして時計をチラチラ見る自分。まだ1分しか経ってない、まだできる...まだできる...
...って、おかしくない?

...はっ(他の時計を確認)

ひいいいい 15分くらい経ってるんですけど!
そして時計、お前、止まってるんかーい!!

という信じがたいことが何回かあった。(あ、だから練習が間に合わないどうしよう...とかいう不安な期間中も止まりまくってたのかも。笑)
私が「時よ、とまって... !」みたいに強く願うとそのタイミングで本当に止まってくれるので、ある意味この時計もギリギリな私を時計なりに応援してくれてるわけですよ。止めてあげるよ!みたいな。この(いらん)優しさが何だかありがたくて、しばらく自宅のピアノの譜面台に置いていたのですが、ついにはネジがダメになったのでお役御免となりました。まあ、時計として、ダメですよね。

その他は優秀(フツー)で長生きな時計たちがまだまだ元気なので、今後の左手首のオシャレも安泰かなと、ほぼ同じタイミングで電池が止まった時に思うのです。

時間と音楽は不思議な関係だ。何気なく過ぎる日常の時間と音楽に携わる時間、特に本番の体感速度(っていうのかな)があまりに違くて、もしかして時空が歪んだのかなと思うことがある。シルバーが時間を止めてくれるみたいに。でもそんなことはなくて、普通に時間は過ぎていて、ただ始まって終わっただけ。その時間が過ぎただけ。でもそこにかけてきた時間が本番の演奏中には凝縮されてグッと歪むのかも、そういう時は結構いい時間を過ごせているのかも、と思っている。時間を音で埋めていくと、その時間だけ色を塗ったように特別な時空になるなんて面白いなあと。でもそれはサッと消えてしまって形には残らないなんて音楽は儚いものだなあと、最近ますます思うのだ。でも感覚にはすごく残ったりするから、なお不思議。

私は歪んだ時間の中にどれだけいられるのだろうか。逆に言えば、どれだけ時間を歪ませられるだろう。だから私の左の手首には、現実の時間を刻んでくれるちょっと秒針がうるさいスウォッチがいると、いいかも。

以上、写真は本文とは一切関係ない 黒柴・すず様。手が、エックス。かわいい。

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