SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

秋の詩 「美ガ原熔岩台地」

2015-09-27 18:27:55 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
(見出し写真は、昨年8月撮影)

学生時代に、男声合唱組曲「尾崎喜八の詩から」に出会いました。

昨年(2014年8月)第17回富士見高原「詩のフォーラム」記念演奏会に
全国から同窓35名が集まり、40年の時を越え、再演に燃えました。

そして、その『拡がり』を求め、今年も「富士見町」に訪れ・・・

ただ、尾崎喜八が、出くわしたこの詩のような「風景」に、私は、未だに、接することができていません。
いつも、天候悪く、いつか、必ず出会えることを願いつつ・・・。

今は、ただ、「詩を読む」「詩を噛みしめる」「詩を味わう」ことをやってみたいので、
秋の詩「美ガ原熔岩台地」の詩から、「秋」の一つの風景を感じてみたいと思います。


美ガ原熔岩台地

登りついて不意にひらけた眼前の風景に

しばらくは世界の天井が抜けたかと思う。

やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、

この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。


無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、

この風景の情緒はただ身にしみるように本源的で、

尋常の尺度にはまるで桁が外れている。


秋の雲の砲煙がどんどあげて、

空は青と白との眼もさめるだんだら。

物見石の準平原から和田峠のほうへ

一羽の鷲が流れ矢のように落ちて行った。

詩集『高原詩抄』
詩集『二十年の歌』
詩集『歳月の歌』より


男声合唱組曲『秋の流域』作曲:多田武彦

Ⅰ.夏の最後の薔薇
Ⅱ.雲
Ⅲ.美ガ原熔岩台地
Ⅳ.追分哀歌
Ⅴ.隼
Ⅵ.秋の流域

<メロス楽譜出版の男声合唱組曲『秋の流域』巻頭の多田武彦氏のことばより>
それまでの4年間、作曲活動を一時中断していた私は、1974年秋に再び筆を執り、初めて詩人尾崎喜八先生の詩に作曲した。男声合唱組曲「尾崎喜八の詩から」である。「あたたかく、人間味溢れた清廉な先生の詩風」のおかげで、今も愛唱されている。

その後私は、尾崎先生の詩による合唱曲を四つ作曲している。中でも組曲「樅の樹の歌」の第三曲目「故地の花」の詩には深い感動を覚えた。先生が詩作のための旅行先から「伊吹麝香草」の豊かな芳香と共に、酷暑の東京で留守をあずかる愛妻へ送られた、心温まるメッセージであった。

1991年に甲南大学グリークラブから新曲の委嘱があった。
当時私は尾崎先生の秋の詩による組曲を練っていたので、これを完成し、組曲を「秋の流域」で結んだ。

「秋の流域」の副題には「わが娘、栄子に」とあった。栄子様の話によると、栄子様が小学生の頃から先生は栄子様を伴って、よく山野を逍遥された。その折には必ず自然の美しさや厳しさを教え、そこにある鉱物や動植物について解りやすく説明され、山麓や流域に住む多くの人々の生活の尊さを話されたそうだ。

「よく見ることによって理解し、理解することによって愛し、その愛から芸術を生む」という先生の語録を象徴する詩であった。
尾崎先生とは逆に、出不精の私が登山好きの娘に誘われて、美ヶ原に行ったとき「美しの塔」のレリーフの中に拝見した先生の著名な詩「美ガ原熔岩台地」を、この組曲の第三曲に掲げた。

また、先生がよく訪れられた中部信濃の由緒ある追分桝形地区でその地の哀愁を詩われ、これを詩人立原道造が参画していた「四季」に寄稿された「追分哀歌」を第四曲に配した。そして、他の3曲と合わせ6曲による組曲とし、組曲の標題を6曲目と同じく『秋の流域』とした。全体に尾崎喜八先生の人生哲学がしみじみと伝わってくるような作品となった。

【初演データ】
演奏団体:甲南大学グリークラブ・甲陵会合同
指揮者:稲津明克(第32代学生指揮者)
演奏年月日:1992(平成4)年12月23日
甲南大学グリークラブ第40回記念リサイタル(於 神戸文化会館大ホール)