SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

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上手の手から水は漏れる ~ 川上哲治氏 遺言 ~

2020-09-23 19:30:00 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)
私の父は、101年前(大正8年、1919年)愛媛県生まれで、9年前他界しました(享年93歳)。スポーツ好きで、特に野球は、熱心なジャイアンツファン。当時の住居、西宮市浜甲子園(甲子園球場の南側)での父との思い出は、なんと言っても、「海水浴」と「キャッチボール」。当時の野球放送は、ほとんどが巨人戦でしたので、テレビに釘付けでした。

今日の新聞コラムを見ながら、ふと思い出しました。(^^)


【故・川上哲治元監督】
川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、1920年(大正9年)3月23日 - 2013年10月28日)は、熊本県球磨郡大村(現:人吉市)出身のプロ野球選手(内野手、投手)・監督、野球解説者。
【V9時代】
1965年(昭和40年)から1973年(昭和48年)まで、9年間連続してプロ野球日本シリーズを制覇。

●音声ファイルの質向上に取り組んでいます。
【読売新聞 編集手帳 令和2年(2020年)9月23日より】



ご覧いただきありがとうございました。
【イラスト /みさきのイラスト素材】 


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2 コメント

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コメント、ありがとうございます。 (光夫天)
2020-09-24 10:30:29
こんばんは。
メッセージをいただきありがとうございます。
お父さんは、お足が悪かったのですね。また、川上哲治氏が片足が悪く、テーピングでというのは、知りませんでした。

川上さんは、野球選手としても、監督(リーダー)としても、その実績が物語るように、素晴らしい成果を残されました。このコロナ禍で、もしリーダーとして取り組まれるとしたら・・・。「V10」を逃がした理由について と、コラムにありましたが、「先人たちの声」から、コロナ対策のために、今、国も、地域も、個人も、学ぶべきことがあるのではないかと思っています。

今年の春から、『コロナ:考』 ということで、新聞のコラムを題材として取り組みを始めました。記者の書かれた、特に、「共感」した記事を、自らの声を含め、「最良の音声」で音声化したものを残したいと思っています。まだまだ、拙い作りで、時間もかかると思いますが、いろいろ工夫をしながら取り組みたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
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ファンでした! (わくわくかあさん)
2020-09-23 21:43:48
こんばんは~
 小学生の頃川上哲治物語という漫画を読んでから、すっかりファンとなり、当然巨人ファンの女の子でした。
 マンがでは、川上さんは片足が悪くて、それが分からないように、カチッとテーピングをして分からないようにされていたとあったこと記憶にあります。
 父も同じように小さい時にかかった小児麻痺のせいで片足が悪かったので、そのことがとても印象的でした。
 小学生の時の記憶ですから、もしかしたら違っていたかも、勘違いだったかも知れません。
 ただあの鉄壁の一塁手、のちの長嶋さんや王さんのようにはなやかではなかったけれど、幼いながら惹かれるものを感じていたのだと懐かしく思い出しました。
 私にとって川上さん以上の選手はいなかったと今も思っています。
 年を重ねたせいかもしれませんね(苦笑)・・・

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