◆東京・池袋で11人が死傷した暴走事故で、89歳の被告が「車に、異常が起きて暴走したと思っている」と述べ、無罪を主張した。旧通産省工業技術院の元院長という科学の目を持つ人の知見がせめて「思っている」以上の何事かであることを遺族のために願いたい。どんな主張も被告の権利である。だが責任を認めない態度は、遺族をなお傷つけながらの権利の行使になることを胸に刻んでいただきたい。
【読売新聞 編集手帳 令和2年(2020年)10月9日より】
記事の「読み上げ」を ぜひお聴きください。
「知見」
<見て知ること>
<見て知ること>
という語釈にやや物足りなさを覚えた。
<物事に対してしっかり考える>
といった意味合いが最近強まったかのような気がしている。
あらためて
亡くなられた奥様とお子様のご冥福をお祈りいたします。
ご覧いただきありがとうございました。
【イラスト /みさきのイラスト素材】
【イラスト /みさきのイラスト素材】
わくわくかあさんが言われる「結果をそのまま受け止めることが科学者たるものである。」については、まさしくその通りであり、現在の大問題である日本学術会議への政府の人事介入の問題に通ずることでもあります。たいへん重要な事柄だと捉えております。
科学にかかわる人であればあるこそ、出てくる結果の予想(希望)によって、出てきた結果に私見を挟むこと許されない。予想(希望)どおりでなくても、結果をそのまま受け止めることが科学者たるものである。
尊敬する父がお酒を飲みながらよく話してくれました。
それだけ科学者でも(だからこそ)難しい事だったようです。
でも、特に工業技術の専門家であったと思われる方であればこそ、『思っている』以上の何事かであることを、私も同じように願いたいです。