写真の未来。

野町和嘉「写真」を巡って。

野町和嘉はサハラから始めた。(1-3)

2007年01月22日 | サハラ

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石英粒子の砂 (C)Copyright 2005 Kazuyoshi Nomachi. All Rights Reserved.

野町は、今、サハラの砂にレンズを向けている。
目をあげると、青空に太陽。
そして、360度地平線まで、赤褐色の砂丘がうねり続いている。
サハラ砂漠のランドスケープには、それしかない。

青空は、宇宙につながって無限。
太陽は、人間の能力では表現できない色で輝いている。
砂丘の造形は、風が創ったものだろうが、今は無風。
だから、空間は無音。吐く息が最大の音になる。

陰は光から、光は視覚から、視覚は自分。
匂い。写真からは想像できない。

以上で、サハラ砂漠の説明のほとんどは済んでしまう。

自分のこと、話すことは沢山あるが、
でも、一人だと言葉を発する必要がない。

日射しは熱いが、遮ると暑くはない。
手で掬うと、灼熱の太陽に焼かれた赤褐色の砂粒が、掌を焼き、指からこぼれ落ちる。
サハラの砂は、無機物。人間は有機物。無限につづく青空は、何に分類するのだろうか。

写真から、感じたままを話して行くと以上のようになる。

野町和嘉の写真は、自己の「原点にもどれる写真」と言われます。
サハラ砂漠の写真を見ながら、21世紀に生きる人類の自覚で、続きを考えてみよう。

水と食料があれば、不毛の砂漠でも、生物として生きて行ける。
若い女性が一人いれば、子孫を残せ、数が増えれば、何千年何万年後には、ファミリーがアメリカ合衆国程になる夢を持てると思う。
孤独は理性を浸食し自己破壊に導くが、人間だけが持ちうる宗教があれば、克服できるのではないかと思う…。
人類は今までそうして来たではないか。

死を考えてしまう。
しかし、自分の生まれた時と場所のことを、忘れた記憶から掘り起こせば、生まれ変わって、今ここに生きていることが分かってくる。何も恐れることはない。
人類は今までそうして来たではないか。

人間の記憶(脳)には、人類発生以来からの記憶(情報)が、総て畳み込まれているという。脳は、一分一秒、五感で感じたままの記憶情報を、どんなフォーマットなのか定かではないが、大脳をスルーし、無意識に、脳のハードディスクに記録しているという。死の瞬間には、走馬燈のように、糸巻きをとくように記憶が現れ出て来て(ハードディスクが暴走するように)、その様子を、心としての大脳は、唖然として眺めているという。

ここまで来ると難しくなるが、深部まで進めないと。サハラの歴史、その何千年何万年もの記憶の琴線を探ることは出来ないと思う。

準備は出来ただろうか、砂漠の大部分を占める砂になってしまった大地のこと、つまり自分を取り巻くサハラ砂漠の無機物と、有機物である人間のことを考えみることにしよう。

サハラの無機物を知ると言うことは、私が未来から、タイムマシンに乗って、一瞬に出てきたところが、ニューヨーク5番街でなくて、砂漠のド真ん中とすると、コンクリートのビルディングと、砂丘の砂の比較と言うことになる。コンクリートのビルディングが砂になるには、自然の力を頼るしかないが、しかし、砂をビルディングにするのは人間の得意技である。乱暴に言えば、この得意技を分析すれば、有機物としての人間とは何か。が分かることになる。
古今の思想哲学、科学、歴史、たぶん宗教も、ここを拠り所にしていて、その違いとは、建築様式の違いであり、コンクリートのビルディング以外の話ではない。だから、科学では、有機物が無機物に変化するのを自然現象と言い、無機物が有機物に変化するのを、今、研究中と言うことにしている訳なのだ。

つまり、有機物である人間とは、「自分はどこから来てどこへ行くのか。」「無機物はどこから来てどこへ行くのか。」の両方を考える者なのだが、そのいずれも、言葉で語ると、こぼれ落ちてしまうものでもあるらしい。つまり道具が不完全なのだ。

サハラ砂漠では、自分を見つめる以外の時間は持てないと言う。
でもそれは、私も含めて、サハラ砂漠で一夜を過ごすことが無かった人が言うことだと思う。
サハラ砂漠に不時着した郵便飛行機のサン・デグジュベリが、満天の星空で過ごした「星の王子様」の夜は、「自分はどこから来てどこへ行くのか。」と「無機物はどこから来てどこへ行くのか。」の両方を考えていたように思う。「人間(有機物)は死を迎え、灰になってしまう。」と「コンクリートビル(無機物)は死ぬと、砂になってしまう。」という対比は、詩的を越えて、人間には耐えられない重さであるらしい。砂漠の乾燥が一神教を生んだと言うのも頷ける話になる。

野町和嘉は、「この耐えられない重さ」についてこう語っている。
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砂漠といっても全部が全部美しい褐色の砂と言うわけではなく、礫岩だらけの場所もいっぱいあるんです。そういうどこまでも石ころだらけの茫漠とした広がりというのは、日本なんかでは体験することが出来ない。ところが、人間がそこに住んでいる。何を心の糧に、ここの人たちは生きていられるんだろう。そういう場所で人間が何百年も世代を継いで生を営んでいるということが、何より一番のカルチャーショックでした。
---(彼らの心の糧は何ですか?)
イスラムという宗教ですね。日本には一神教の厳格さは全く分からないし、肌にあわないでしょう? でも、私は実際そこに行ってみて納得しました。つまり、あの不毛の真っ只中にひとつの泉が出現した。つまり、オアシスがある、井戸があるとか、それがあること自体が神の慈悲だということなんですね。広漠としたなかではオアシスに至る道、生存につながる道は一つ、一神教の一つですね。だから、コーランの最初には、「慈悲深く、慈愛あまねきアラーの御名において」という文言が入っているでしょう。それは日本の仏教的な慈悲とは全く違うわけです。一神教の根底を成しているのは、そこに生存できていること自体がが神の慈悲であって、それに対する感謝というか、神と人との関係性だと思うんです。
70年代80年代の日本の物質文明の真っ只中にいた私には全く異質の世界との遭遇で、私の考え方の原点になったと思います。
(明治屋刊「嗜好」別冊麦ブックより インタービュアー・安田容子)
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何かが足りない気がしている。「人間は考える葦である」以外に、何かがなければ、サハラ砂漠の砂が、ニューヨーク5番街のビルディングにはならないと思うのですが…。
…次回へ続く


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