先日、映画を作りたくなる、と書いたが、この本のようなテーマだと、きっと今ならドキュメントが作れる、だろう。 ただし、やはり撮影させてくれるかどうか??
いろいろと、個人的な片付けをしていて、処分しようとした中にあったのを、読み返してみたら、また違う印象で、訴えてきたものがある。
放射能は、大丈夫、「すぐに影響はありません」と、東電の原発事故当時、枝野さんが、ニュースで懸命に発表していたし、ニュースのコメンテイターとして、何やら、普段出てこないみていてまさに胡散臭い専門家が、○○シーベルトなら、大丈夫、とか、心配しないでください、とか、言えば言うほど、変じゃない? と思うほど、どのチャンネルも同じように放送していたなあ~。(時には、いつも間にか、基準値が変わっていた? ~これも、誰かの都合であって、決して私たちの健康を考えてのものではない!し~)
というようなことが、チェルノブイリ(当時はソビエト連邦がまだあった!)でもあったようだ。
広河 隆一 さんは、このところ、週刊誌を賑わせていて、どこかの議員とよく似た扱いで、セクハラだとか、パワハラだとか? なので、ここで、一気に、いままでの業績が、パーになるのか??
それは、今回横においといて、この本の中での取材からの引用を紹介~~~~~
「事故の時、放射能の雲がモスクワに向かいそうになったので、このあたりに人工的に雨を降らせたというのはほんとうですか?」
「私はあの日、ここにいました。最初は晴れて、雲はひとつもなかったのですが、とても強い風になって、びっくりしました。私には飛行機の音は聞こえませんでしたが、うわさでは何かが投下されたと聞きました。そして突然雲がわきあがり、そして雨になったのです」
4月28日のこと~銀色の雨? ~~~ 1986年4月26日午前1時23分爆発~チェルノブイリ原発事故~
別のところで、>>>
広島大学原爆放射能医学研究所(原医研)の佐藤幸男教授はIAEAの関係者に、IAEAの調査が「どういう目的でやられたのですか」と質問しました。
するとその人は、はあっきり答えました。
「これは現場で何が起こっているかを調べる仕事ではないのです。ソ連がやった調査や対策が、本当に正しいのかどうか調べてほしいと頼まれてやっただけです」
IAEAの調査は、現場で何が起こっているかを調べるものではなったと、はっきり言われたのです。
でもそれにしてもこの調査団は、被災地では何もおこっていない、住民の放射能の影響は何もないと言っています。 日本の学者も代表で混じっていて、その人も、放射能の影響は何もない、と発表している。
それはおかしいのでは・・・・・・・・ その人、重松 逸造 氏 とは? いったい何者??
当時は政府と軍の間に争そいがあった、と・・・ 軍部はチェルノブイリ事故の被害を深刻に考えていて、60キロから100キロ圏を居住禁止に・・・
「救済と研究というのは別問題として考えていかないと、実際の被害者にとってはマイナス面が大きいのです。日本の場合公害問題も、研究結果を待ってから対策を立てようとし、疫学という非常に一面的な研究を絶対視している側面があるなと感じます。 広島でも、何十年もたってから胃ガンが多いと証明されました。それからしか行政からの被害者への胃ガン対策はなされなかったのです。日本の被爆者対策というのはずっと後手後手になっています」 ~~~広大原医研付属国際放射線情報センター=宇吹 暁 さん
「ヒロシマからどこかへ出かけて行って、被害を調べてあげるのも一つの方法。しかし、調査の主体はあくまでも現地の人たちでなくてはだめ。その基本を忘れると、ABCCが広島でやった愚を繰り返すことになる。現地の人たちが主体性を持って被害を調べ、被害者を治療できるようにするには、どんな方法があるか―――。世界のヒバクシャへの援助を考えるうえで、忘れてはならない視点だと思う」
~~(中国新聞 90年7月27日付) 故:於保 源作さん談 >>>>>
と、このような、記事を読むと、怖い、ですね。
怖い、とばかり言ってられない、ので、いつも行く酒場で、「こんな場合、自分ならどうする、こうする」とか、だれだれが、何々で入院したらしいので、見舞いやら、どうやって気をつけるのか? などなどの話題で、大盛り上がり?
良い酒場の、見本みたいなもんだな? って、ほんと?