いつの頃からか、私は自分の心に浮かぶことと正反対の言葉を口に出すようになっておりました。さかさ言葉。
「今度これ買おうと思うんだけどさ」
友人がそのような話題をふってきます。なにそれ、ダサいよ。高いよ。そんなもの買うなら○○にしときなよ。
私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
「それいいじゃん。よく見つけたね。」
「へへへ〜」
「今度ここに旅行しようと思うんだけどさ」
友人がそのような話題をふってきます。なにそれ。わざわざこの時期そんなところに行く。遠いじゃん。つまんないよ。そんなとこ行くぐらいなら○○に行けばいいじゃん。
私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
「そこいいじゃん。確か○○が美味しんだよね。」
「そうなんだよ。へへへ〜」
「まるぞう社長の指示が甘いからこんなことになるんです。なぜ事前にきちんと伝えてくれないんですか。」
トラブル案件です。部下が私に苦情です。いやいやちゃんと言ったから。それはあなたが理解してなかったんでしょ。
私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
「う〜む。すみません。確かにきちんと伝わってなかったかもしれない。今度からはもうちょっと丁寧に伝えるようにするよ。すみません。」
「はい。」
なぜ私は人から信用されないのか。
いつの頃からでしょうか。私は自分の心が思うこととは正反対180度逆の言葉を口にするようにしました。
それは意識して180度逆の言葉を口にするようにしている。ということです。
私はいつも口で失敗していました。それは何でもかんでも口を挟んで、自分の意見を通そうとしていたからでした。
それはきっと自分の中に、満たされないものがたくさんたくさん詰まっていたからだと思います。もうその満たされない思いが爆発しそうで、自分の中で抑えきれなかった。そういう衝動でありました。
小さいながらも会社の経営の真似事の立場。その立場の中で私は自分の信用のなさという壁にぶち当たっていました。
私は人から信用されるという能力において、絶望的に欠落していたのでありました。
小さい会社でありますから、社長=営業マンです。しかし人から信用されない私の人間性。これではとてもお客さんからうちの商品を買ってもらうことはできません。
それどころか社員やパートナーの人達に仕事を依頼することもできません。
会社の業績がジリ貧になっていく。お客さんからのクレームが山積みになっていく。どうしたら私は信用される人間になれるのだろう。
そんな状況の中、私はだんだん「自分の心と180度逆のことを言う」というようになっていったのでした。
反射的な言葉を一旦止める。そしてさかさ言葉を口にする。
不思議なことです。相手の言葉から反射的に浮かぶ私の言葉は一度止める。そしてその言葉と180度逆の言葉を発する。そういうサイクルを通して、私はだんだんと人から信用を得られる。そういう役割ができるようになってきたのでした。
できるならこのことを、もう10年前、20年前の自分に教えて上げたいです。
あんたは、思ったことをそのまま口にするから駄目なんだ。一呼吸おいて、180度正反対のことを言ってごらん。と。
180度正反対のことを言おう。そうなって来ると自然と私は寡黙になって行きました。
以前の自分は本当に良く喋っていました。それは自分の中の満たされない思いで爆発しそうな身体でありましたから。常に人に喋りかけていました。
しかし心の中の言葉を一呼吸置く。正反対の言葉を発する。そうなると私から話をすることも激減していきました。
相手の言葉に対して「へえ、そうなんですか」「いいですねえ」「おもしろそうです」そのような肯定の言葉の他は、静かに沈黙している。
気がつくと自分自身がそのような人間になっていました。ふうむ。
これは全ての人にお勧めしているわけではありません。
心の中に浮かんだことを、相手にきちんと伝えることが重要な人もたくさんおります。自分の心を抑圧して正反対の言葉を言え。という意味ではありません。
人にはそれぞれ人生の季節があります。上着を脱いだ方が良い夏の季節の人もおります。防寒具を着込んだ方が良い冬の季節の人もおります。
自我の満たされない反射言葉の正反対の言葉。
私が心に浮かんだことの正反対の言葉。さかさ言葉。これを口にするようになって、改めて思います。
私が口にしてた言葉。これの大半は口にしなくても良いことでした。だって正反対の言葉を言った方が、信頼されるようになるのだから。
満たされない自分。自分を認めて認めて。私の言葉はそういう言葉でした。だから正反対の言葉が重要なのでした。
「私を認めて」という言葉のさかさ言葉。「あなたを認める」。ふうむ。
さかさ言葉とは、私の自我のさかさ言葉でありました。私の心の奥の本当の心の言葉でありました。
私の心の奥の自分は、自分と他者との区別がありません。
相手を批判したいのは、私の表層の自我でありました。相手を批判して結局は自我を認めて。という衝動にしか過ぎませんでした。
しかし心の奥の自分は、他者との区別がありません。他者を肯定する時、それは私自身を肯定することでありました。
ヨメが美容院で髪型を変えて来ました。
私の表面の自我は反射します。「なんだその髪型。なんでそんな髪型に○千円もかかるんだよ。勿体ない。」
しかし私は、自分の脊髄反射を抑えます。自分の満たされない自我の反射とは正反対の言葉を発します。
「なんかモダンな感じだね。よい美容師さんじゃない?わざわざ行った甲斐があったね。」
そのさかさ言葉を言い終わる頃、私は本当にそのヨメの髪型はヨメに似合っているんじゃないかな。と思い出しています。
こんなに喜ぶ顔をヨメが見せるのであれば、その金額は全然高くないじゃない。そのようにもう思っています。
最初はさかさ言葉と思っていますが、言葉が終わることには、私の心の奥底の本当の言葉である。それに気がつくのでした。
(上記の会話はさかさ言葉のサンプルです。この会話に内容にくいつく方は、逆に旦那さんにさかさ言葉を試してみてはいかがでしょう。)
表面の自我が反射的に出す言葉。のさかさ言葉こそが、自分の心の奥底の言葉。自分と他者の区別がない心の言葉なのでありました。
表面自我のさかさまの言葉とは、相手を肯定する言葉でした。相手と心を共有する言葉でした。
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「今度これ買おうと思うんだけどさ」
友人がそのような話題をふってきます。なにそれ、ダサいよ。高いよ。そんなもの買うなら○○にしときなよ。
私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
「それいいじゃん。よく見つけたね。」
「へへへ〜」
「今度ここに旅行しようと思うんだけどさ」
友人がそのような話題をふってきます。なにそれ。わざわざこの時期そんなところに行く。遠いじゃん。つまんないよ。そんなとこ行くぐらいなら○○に行けばいいじゃん。
私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
「そこいいじゃん。確か○○が美味しんだよね。」
「そうなんだよ。へへへ〜」
「まるぞう社長の指示が甘いからこんなことになるんです。なぜ事前にきちんと伝えてくれないんですか。」
トラブル案件です。部下が私に苦情です。いやいやちゃんと言ったから。それはあなたが理解してなかったんでしょ。
私の心はそのように言います。しかしさかさ言葉。私は心に浮かんだ言葉と180度逆の言葉を口にします。
「う〜む。すみません。確かにきちんと伝わってなかったかもしれない。今度からはもうちょっと丁寧に伝えるようにするよ。すみません。」
「はい。」
なぜ私は人から信用されないのか。
いつの頃からでしょうか。私は自分の心が思うこととは正反対180度逆の言葉を口にするようにしました。
それは意識して180度逆の言葉を口にするようにしている。ということです。
私はいつも口で失敗していました。それは何でもかんでも口を挟んで、自分の意見を通そうとしていたからでした。
それはきっと自分の中に、満たされないものがたくさんたくさん詰まっていたからだと思います。もうその満たされない思いが爆発しそうで、自分の中で抑えきれなかった。そういう衝動でありました。
小さいながらも会社の経営の真似事の立場。その立場の中で私は自分の信用のなさという壁にぶち当たっていました。
私は人から信用されるという能力において、絶望的に欠落していたのでありました。
小さい会社でありますから、社長=営業マンです。しかし人から信用されない私の人間性。これではとてもお客さんからうちの商品を買ってもらうことはできません。
それどころか社員やパートナーの人達に仕事を依頼することもできません。
会社の業績がジリ貧になっていく。お客さんからのクレームが山積みになっていく。どうしたら私は信用される人間になれるのだろう。
そんな状況の中、私はだんだん「自分の心と180度逆のことを言う」というようになっていったのでした。
反射的な言葉を一旦止める。そしてさかさ言葉を口にする。
不思議なことです。相手の言葉から反射的に浮かぶ私の言葉は一度止める。そしてその言葉と180度逆の言葉を発する。そういうサイクルを通して、私はだんだんと人から信用を得られる。そういう役割ができるようになってきたのでした。
できるならこのことを、もう10年前、20年前の自分に教えて上げたいです。
あんたは、思ったことをそのまま口にするから駄目なんだ。一呼吸おいて、180度正反対のことを言ってごらん。と。
180度正反対のことを言おう。そうなって来ると自然と私は寡黙になって行きました。
以前の自分は本当に良く喋っていました。それは自分の中の満たされない思いで爆発しそうな身体でありましたから。常に人に喋りかけていました。
しかし心の中の言葉を一呼吸置く。正反対の言葉を発する。そうなると私から話をすることも激減していきました。
相手の言葉に対して「へえ、そうなんですか」「いいですねえ」「おもしろそうです」そのような肯定の言葉の他は、静かに沈黙している。
気がつくと自分自身がそのような人間になっていました。ふうむ。
これは全ての人にお勧めしているわけではありません。
心の中に浮かんだことを、相手にきちんと伝えることが重要な人もたくさんおります。自分の心を抑圧して正反対の言葉を言え。という意味ではありません。
人にはそれぞれ人生の季節があります。上着を脱いだ方が良い夏の季節の人もおります。防寒具を着込んだ方が良い冬の季節の人もおります。
自我の満たされない反射言葉の正反対の言葉。
私が心に浮かんだことの正反対の言葉。さかさ言葉。これを口にするようになって、改めて思います。
私が口にしてた言葉。これの大半は口にしなくても良いことでした。だって正反対の言葉を言った方が、信頼されるようになるのだから。
満たされない自分。自分を認めて認めて。私の言葉はそういう言葉でした。だから正反対の言葉が重要なのでした。
「私を認めて」という言葉のさかさ言葉。「あなたを認める」。ふうむ。
さかさ言葉とは、私の自我のさかさ言葉でありました。私の心の奥の本当の心の言葉でありました。
私の心の奥の自分は、自分と他者との区別がありません。
相手を批判したいのは、私の表層の自我でありました。相手を批判して結局は自我を認めて。という衝動にしか過ぎませんでした。
しかし心の奥の自分は、他者との区別がありません。他者を肯定する時、それは私自身を肯定することでありました。
ヨメが美容院で髪型を変えて来ました。
私の表面の自我は反射します。「なんだその髪型。なんでそんな髪型に○千円もかかるんだよ。勿体ない。」
しかし私は、自分の脊髄反射を抑えます。自分の満たされない自我の反射とは正反対の言葉を発します。
「なんかモダンな感じだね。よい美容師さんじゃない?わざわざ行った甲斐があったね。」
そのさかさ言葉を言い終わる頃、私は本当にそのヨメの髪型はヨメに似合っているんじゃないかな。と思い出しています。
こんなに喜ぶ顔をヨメが見せるのであれば、その金額は全然高くないじゃない。そのようにもう思っています。
最初はさかさ言葉と思っていますが、言葉が終わることには、私の心の奥底の本当の言葉である。それに気がつくのでした。
(上記の会話はさかさ言葉のサンプルです。この会話に内容にくいつく方は、逆に旦那さんにさかさ言葉を試してみてはいかがでしょう。)
表面の自我が反射的に出す言葉。のさかさ言葉こそが、自分の心の奥底の言葉。自分と他者の区別がない心の言葉なのでありました。
表面自我のさかさまの言葉とは、相手を肯定する言葉でした。相手と心を共有する言葉でした。
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