まるぞう備忘録

無題のドキュメント

クリスマス小話。

2017-12-25 10:01:59 | まるぞうレシピ
 昨日はクリスマス・イブ24日でした。子供が友達を自宅に招いてクリスマスパーティをしたいといいます。

どうぞ。と答えます。

子供は更に、一つお願いがあるのだけれどといいます。

なんでしょう。

できれば父ちゃんは夕方までどこかに出かけていて欲しい。

その日はヨメは一日所用で外出です。ですから私が家でゴロゴロしていたら邪魔だということです。

わかりました。では夕方まで出かけていましょう。

もう一つお願いがあるんだけど。

なんでしょう。

お昼ごはん何か皆の分作っていって。

うむ。父ちゃんが作れるのはいつものトマトのスパゲッティだけどそれでいいでしょうか。

いいよ。本当にいいの? やった〜。ラッキー。



 当日昼前、たっぷりのオリーブオイルに、ニンニクと鷹の爪を刻んでいれてじっくり煮込みます。
 スパゲッティは人数分、1時間ほど水につけておきます。こうすると茹で上がりがモチモチ生麺になり、茹で時間も短くなります。
 そこで子供たちが帰ってきます。どやどや。



 私はもう出かけるので、作り方を説明します。

1,ニンニクを煮出したオリーブオイルにトマト2缶と、この小皿に取り分けた塩とローリエ葉を入れて20分弱火で煮ること。

2,こちらの鍋のお湯にはもう塩は入れてあるので、沸騰させてスパゲッティを茹でること。3分くらいたったら味見しながら、アルデンテで。

3,お湯を切ったパスタはトマトソースの鍋に投入すること。

4,その前に、泡立て器でトマトソースを良く撹拌すること。オリーブオイルとトマトソースが分離しているから充分撹拌して乳化状態にするのがコツ。

5,スパゲッティをソースに戻して、火をつけながらソースを麺になじませれば出来上がり。

6,粉チーズをかけて召し上がれ。



 子供たちにメモを渡しながら、説明をします。みんなわかったようなわからないような反応です。普段料理していないと、この説明は難しいかな。
 ただ一人だけうんうん。とダイレクトな反応の子供がいました。多分この子は料理経験があるのでしょう。

・・・

 夕方私が帰宅すると、子供たちのパーティも終わる頃でした。みんな帰り支度を始めます。
 私は居間に座り、いつものようにパソコンを開いて作業を始めます。しかしどうも視線を感じてふっと見上げると、先程の子供がじっとこちらを見ていたのでした。
 視線が合うとすぐにその子は「お世話になりました。スパゲッティとても美味しかったです。」とピョコンと頭を下げて私に挨拶をしたのでした。

 その子は帰り際に私に挨拶をしたくて、でも声はかけづらいから、じっとそのタイミングを伺っていたようでした。



 皆が帰ったあと、ヨメにあの子はどういう子なのか聞きました。あの子は非常にきちんとしている。
 あの子は福島の子なのよ。311で東京に避難してきているの。ほらお土産ももらった。福島の薄皮饅頭よ。私はこの薄皮饅頭大好き。本物のは美味しいんだから。



 人を気遣う視線とは、人生の宝であります。本人に幸福をもたらすかけがえのない宝であります。
 人を気遣う視線とは、弱いものに寄り添える視線であります。仏教的には慈悲の視線でしょうか。「下から目線」でもあります。
 生まれつき「人を気遣う視線」を持って生まれた人もいるでしょう。でも多くの人は、人生の挫折を通して、「人を気遣う視線」を後天的に獲得するように思います。



 人生の最大の宝である「人を気遣う視線(=慈悲の視線=下から目線)」
 これを獲得する過程で体験する人生の数多くの挫折や辛い経験。
 やはり本当に何が人生の幸いであるのかは、短期の視点ではわかりませんね。塞翁が馬。



 「人を気遣う視線(=下から目線)」が人生の宝である理由は、これが本人の人生を守り、そして幸運を引き寄せるからであります。
 二千年前に実在したと言われるユダヤの聖者青年も同じ言葉を残したようです。一番弱い人の中にこそ神がいる。
 下から目線の眼に神が映る。まさに、その視線は人生の宝であります。



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安売りすることと与えることの考察。後編。

2017-12-22 10:58:38 | まるぞう経営学

 与えるということにも強さが必要なんだ。このシリーズの結論であります。なんだそうだったのか。知らなかったよ。

 安売りをすること。もしそれが自分の甘えや弱さから来るのであれば、それは結局自分も相手も不幸になってしまう。

 与えること。これも短期的な視点で相手を甘やかしてしまう結果になるのなら、それもまた相手も自分も不幸になってしまうことです。



優しさと弱さは別のもの。正反対。

 これは優しさと強さは同じ事象のウラオモテであることを示しています。陰と陽。優しさと強さ。

 一見、優しさは弱さと混同されることがあります。自分が弱いだけなのに、自分は優しいと勘違いしてしまう。
 自分が自分に対して厳しくできないこと。相手に対してきちんとNOと言えないこと。この弱さを、自分が優しいからだ。と勘違いしてしまうこと。そういうこともあるかもしれません。



ハングリーさを失いつつある日本人たち。

 特に現代の日本社会はその傾向があるかもしれません。
 残念ながら日本人の生命力(ハングリーさ)は周囲の国々から比べるとかなり見劣りがするように思います。
 何でも与えられる環境で、人(我が子含む)にも厳しくできず、自分にも厳しくなれず。

 現在日本社会が蓄積されている因子を観察すると、日本人のハングリーさ(生命力の強さ)を試される逆境を自ら招きつつあるように思います。もし「強い優しさ」を持つ日本人の割合が増えれば、逆境の因子は薄まります。しかし「弱さを優しさと勘違いする人」の割合が、増えれば増えるほど、引き寄せている逆境はより厳しいものとなります。

 「自分の弱さが相手への優しさである」と勘違いしている人は、「無防備が日本の平和の道である」と勘違いしている人と同じ色に思えます。



母性が商売繁盛の基本である。ただし。

 母は強し。
 そして本当の母性(男女年齢を問わず)とは強さと厳しさという土台があってのことである。
 商売の成功には母性が必須条件であると思いますが、それは相応した強さと厳しさという覚悟も要求されることであります。

 なるほど〜。このシリーズ終わり。



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安売りすることと与えることの考察。中編。

2017-12-21 10:02:48 | まるぞう経営学

 「与える」ということは人の最も大きな喜びの本質であります。
 生命の本質は自分と他者の区別はありません。から人に与えるという行為の本質は自分に与えるということ。そのものであります。

 ただしこの「与える」は、残念ながら相手を不幸にしてしまうケースがあります。それは相手の甘えと依存を醸造してしまう場合です。


私達は自分が思う以上のしたたかな生命力をもつ。

 人の生命力とは無限の可能性を持ちます。私達の生命力というのは、本来私達が思っているより、もっとしたたかで強いものであります。

 ただしその生命力を発揮させるには、スイッチが必要であります。そのスイッチとは「逆境」と呼ばれます。
 しかし人は、考えられるありとあらゆる逆境に耐えられる力をもっております。本来は。
 逆境こそが、私達の生命力をパワーアップさせてくれる鍵であります。

 そして私達がこの人生から離れる時、振り返って本当にこの人生は良い人生だった。と思える美しさ。その美しさとは、逆境をスイッチとして、自分の生命力が光った時期。これであります。
 そう、人生を振り返り、その時、自分の生命力が光り始めて入るのを改めて客観的に観た時、ああ、なんてキレイな光であるか。そのように感動することであろうと思います。

 生きている時は、逆境とは避けるべき不幸であると思っておりました。もちろん自分や家族が不幸にならないように注意深く生きることは大切です。
 でもそれでも避けきれず直面しなければならない逆境。しかしその逆境こそ、自分の人生が、本来の生命力を取り戻し、光始めたのでありました。

 本当に、生きている人生の舞台。オモテで見えることと、ウラの因子は真逆であります。
 私達は自分の人生を俯瞰する時に、改めてそれを発見することであろうと思います。



過保護は相手の生命力を奪う最強の環境。

 「与える」こと。これが行き過ぎると「過保護」になります。「過保護」は相手の生命力を衰えさせるもっとも効果的な方法です。

 小学校によっては「悪平等」の教育が行われているところがあるかもしれません。子供たちに競争させることは悪だという思想です。その「悪平等」は子供たちに「負ける免疫」「挫折の免疫」を得る機会を奪います。

 挫折の免疫がない子供たちが学校を卒業をして社会に出る。社会は甘くありません。
 「悪平等」「過保護」で、生命力が退化した子供にとって、いきなり厳しい社会に飛び込まさせることは、本当に気の毒です。



「与える」ことは、大切であります。ただしそれは「相手の依存心」を育てないバランスが必要であります。
「与える」のも母性ですが、「与えない」ことも母性であります。



 昨日の「安売りをすること」が必ずしもお客さんのためにならないということ。
 本日の「与えること」が必ずしも相手のためにならないということ。



明日に続きます。



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安売りすることと与えることの考察。前編。

2017-12-20 11:12:36 | まるぞう経営学

 先日読者の方からご質問を頂きました。ご自宅の敷地を駐車場に貸している。与えるの視点からは、また更に値引きするべきであろうか。という内容でありました。

 これについて私は相場を調べて、相場以上には値下げはするべきではない。とお答えいたしました。きちんと駐車場を整備して店子に貸しているのであれば、それ相応の対価を頂くのが、結果的にお互いのためであると思ったからです。

 今回の読者の方とは直接関係ありませんが、値付けの方法については、私も常に思い悩むことであります。今回が値付けに関するメモをここに書き置きたいと思います。



値段とはプロ意識の証明書。

 自分で値段をつけるというのは難しいことであります。私も自分で会社を作って自分のサービスに値段をつけるときに、本当にこの値段で良いのか。と悩みました。

 「値段」というのは、自分はこれだけのプロである。という証明書であります。高い値段をつけるというのは勇気が必要なことです。
 それは自分に対して「プロ意識」がどこまでストイックか。という、自分自身に対する挑戦であるからです。ふうむ。

 「プロ意識の薄い人」「自分に甘い人」は高い値段を自分自身につけることができません。

 安い値段というのは、一見お客さんのためになるように見えます。しかしそれは「プロ意識の薄さと自分に対する甘さ」から来ている。そういうこともあるかもあるかもしれません。

 自分自身の「プロ意識の薄さと甘え」からの安い値段。これは不幸の始まりです。
 お客さんは、相手の自信のなさや甘えは空気で感じます。値段安いけれど、本当に大丈夫かな。という疑心を持つことでしょう。
 あるいは売り手の弱みに漬け込んで、さらに値引きを迫るかもしれません。買ったあとも「これも無料でやってよ」というタダ働きを要求するかもしれません。

 プロ意識の薄い甘えた人が、自分の仕事に安い値段をつける。高い値段をつけるほどには自分がストイックではないから。
 その安い値段。多くのお客はその自信のなさを見抜いて疑心を抱きます。なぜこんなに安いのに売れないんだろう。そういうことになります。

 あるいは自信のなさにつけこまれて、あれもこれもタダでやれ。そのように強い値引き交渉を受けるでしょう。
 おかしいな。自分の夢を仕事にしているはずなのに、何でタダ働きばかりなのだろう。

 「安い値段」は、往々にしてそのような不幸を招きます。なぜならその安い値段とは「自分はプロ意識は自信がない。そこまでストイックになれていない」という態度のあらわれであるからです。



プロとは自分に厳しくあるということ。

 自分の仕事にプロ意識を持つ人は、あえて自分の仕事の値段は高くします。そしてそれは自分自身へのストイックさとの戦いの宣言であります。
 ビジネスによっては、その値段のせいで最初はなかなかお客さんがつかないこともあるでしょう。しかしここが勝負の場所であります。大きな岩は転がりだすときが一番抵抗が大きいのです。

 もちろんどんなにプロフェッショナルな仕事であっても、市場のニーズから離れていれば、失敗に終わります。
 自分のビジネスに対する警告は、自分の生活の中でさまざまな経路で自分に伝えられます。謙虚であること。常に「自分は間違っていないだろうか」というニュートラルなアンテナは感度高くしておく必要があります。
 常に「最悪を想定する」ことは必要です。

 それでも自分の仕事に対するプロ意識とストイックさは常に最上のものを求め続ける必要があります。



戦略的な「低価格」ならこれもプロの仕事。

 世の中には「低価格」を武器に成功しているビジネスがあります。しかしそれは、それで「プロフェッショナル」なのでありました。

 まず「低価格」で供給できるには、次の2つの要素が必要です。
・従来に対して低価格で提供できるコロンブスのアイデア
・低価格と引き換えにお客さんにNOと言える強さ

 安売りで成功しているビジネスは、逆に無理なお客の要望に対してはきちんと「NO」と言えています。謙虚でありながらも「NO」と言えるのはプロの意識が高い証拠です。

 また安売りの場合もきちんとその理由があります。物流が画期的なのか、仕入れ方法が画期的なのか、製造方法が画期的なのか、販売方法が画期的なのか。いずれにせよ、どこかにコロンブスの卵という逆転の発想があります。
これがなくて、ただ弱い人にタダ働きさせて「低価格」を実現する。というのは、不幸の因子を積むだけであります。



つづく



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伊勢神宮に行って来ました。後編。

2017-12-17 12:49:53 | 今日のひとり言

 私が使っていたスマホですが、いろいろカメラ機能が充実していることを最近知りました。今回はスマホでの写真撮影をいろいろ試してみました。今回の後編は写真をご覧ください。
 その前に伊勢神宮のお参りのポイントをおさらいしてみます。読者の方からご質問を頂きましたので。ただしあくまで私見でありますので一つの参考として。

【参拝順序】
 参拝順序は基本的に「外宮→内宮(→伊雑宮)」です。
 内宮は観光客が多いため、できるだけ朝早くがお勧めです。
 伊勢神宮参拝で良い思い出にならないケースは決まっていて、それは内宮の「人混み」「団体客のマナー」「猛暑炎天下」であります。
 でありますから、理想は朝8時ごろまでには内宮の五十鈴川を渡りたいですね。この時間は団体客もまだ着いていません。真夏でもこの時間帯ならまだ大丈夫です。
 ということは逆算して外宮は早朝6時とか7時のお参りになります。



【参拝所有時間】
 外宮の参拝は、慣れた人がかなり早足で30分。ゆっくりお参りするのなら1時間程度でしょうか。私は下記の順番です。
 社務所(遷宮寄付)→ 御正宮 → 多賀宮 → 水宮・土宮・風宮 → 社務所(剣祓札)
 内宮の参拝時間は、長い参道を早足で往復する御垣内参拝のみだと30分くらい。ゆっくり足で荒祭宮もお参りするなら1時間ぐらい。おかげ横丁もいろいろ見たいなら半日くらい。でしょうか。

 ただし時間に追われる参拝はできれば避けたいところではあります。神域に入ったならば、自分の心のペースでおまかせが一番であります。



【交通手段】
 外宮→内宮、内宮→五十鈴川駅は基本バスです。タクシーはバスの倍くらいの値段です。ということは2人以上であればタクシーでも良いと思います。
 バスの時刻表は三重交通のホームページに記載されています。

 伊雑宮は五十鈴川から近鉄志摩線の上之郷駅下車です。慣れない方は五十鈴川駅で駅員さんにどの電車に乗ればいいかを確認するのが良いでしょう。
 上之郷駅は無人駅です。帰りはホームで整理券を取ります。これで車内の車掌さんか降りる駅の改札口で現金精算をします。



【宿泊】
 最近は伊勢でもドミトリーという相部屋2段ベッドのバックパッカー宿があるようです。一泊素泊まりで2700円前後。
 ただドミトリーはプライバシーに敏感な人にはお勧めできません。他にも下記の問題があります。
・相部屋なので貴重品の保管は自己責任。
・早朝他の人が寝ている間に出発する場合気をつかう。目覚ましは鳴らせないなど。
・お風呂はない。シャワールームか近くの銭湯など。
・ドミトリーによっては、オーナーと宿泊者のコミュニケーションが濃い。中にはスピ系のオーナーがいるあやしいドミトリーも。

 しかし相部屋2段ベッド共同生活宿泊でも大丈夫そうで、オーナーがしっかりしているドミトリーなら2700円前後の宿泊は魅力であると思います。

 伊勢ゲストハウス紬舎
・築100年の古民家を改修。良く言えば風流。悪く言えば不便。
・シャワールームもトイレも一箇所のみ。銭湯は近くにあり。
・女子専用共同2段ベッドルームあり。女子には安心。

積極的にお勧めしているわけではありませんが、外宮から歩ける距離で、ゲストハウスを選ぶなら候補の一つであると思います。検討される方は、ホームページをご覧になって自己責任でご判断ください。



それでは後編。写真でお伊勢参りのお裾分け。始まり始まり〜。

【内宮編】












【伊雑宮編】



伊雑宮の並びの酒屋さんで、奉献するお酒を購入します。初めての人は酒屋さんに「奉献したいのですが」相談するといろいろ教えてくれます。特に指定しないと「白鷹」という銘柄になります。基本は一升瓶2本セットで3600円くらい。




奉献した御神酒はすぐ神前に備えられます。








上之郷駅は無人駅です。帰りは電車に乗る前にホームにある乗車票をとっておくのを忘れずに。



【番外編】



宇治山田駅すぐちとせの月見天ぷら伊勢うどん。早く閉まるのでいつも立ち寄れませんが、今回は来れました。天ぷらが本当にさくさくです。



 今回は思いもかけず、ゆっくりお伊勢参りができました。本当に良かったです。ありがとうございました。



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伊勢神宮に行って来ました。前編。

2017-12-16 11:15:04 | 今日のひとり言

 年末の押し迫ったこの時期。名古屋のお客さんとの打ち合わせが入りました。
 もう最近は出張はないし、今年は伊勢神宮に行くのは無理かな。と諦めていたのです。お陰様で今年もお伊勢参りをすることができました。
 東京在住の私ですが、名古屋か大阪に出張がある時は、半日足を伸ばしてお伊勢様に行けたらなあ。と常日頃から思っておりますの。



 今回は夕方まで名古屋にいなければなりませんので、そのあと近鉄で伊勢市移動して宿泊。翌日早朝お参りとしました。 
 今朝は、5時半頃に起きて、宿を6時過ぎに出ます。夏であればこの時間でも普通にお参りできます。しかし冬至に近いこの時期は1年で一番日が短いです。外はまだ真っ暗。夜です。明ける直前が一番暗い。宿を出て、人気(ひとけ)の無い町を20分ほど歩いて外宮に。

 手水して参道をくぐります。しかし真っ暗な外宮の参道。両側にある灯籠が参道をポツンポツンと照らしています。参拝者はほとんどおらず、森の中の真っ暗な参道を一人歩いて行きます。それは、昼間の参道と異なり夜の参道は別世界への一本道のようでもありました。

 たった一人で森の中の暗い広い参道を歩いていると、私は生まれて来た時も、そしてこれから死ぬ時も一人なんだ。そのことを改めて実感します。


 真っ暗な参道の中から現れる社務所の灯り。思わずほっとします。




 2年前まで御正宮があった場所。古殿地から北極星を望む。あいにくの曇り空ですが。


 昼間の同じ場所。ネットからお借りしました。

 私達は外宮において参拝する時、それは北極星を向いて参拝していることになります。そして聖地白山もこの直線上にあります。そうこの場所での参拝は、「参拝者─外宮─白山─北極星」という一直線の参拝なのでありました。そしてその直線は、この日本の丁度中心南北線でもあります。
 冬至の時期の早朝日の出前のこの時間。日の出前の外宮参拝。まだ真っ暗でありますが、その暗い北の空の先に北極星があるのでした。私が日の出前に外宮に参拝させて頂くのが好きな理由であります。




 だんだん日の出が近づいて来ます。一日のうちで一番空気が清く澄む時間帯であります。

 御正宮の鳥居を入ったところ左側に神官さんが常駐している小屋があります。南守衛屋と呼ばれます。
 御垣内参拝は日の出以降から始まります。空が白んで来ましたので、南守衛屋の前で日の出を待つことにしました。



 しばらくすると私と同じように正装した男性が入ってきます。
「ここは正式参拝の。。?」
「はい。そうです。」

 二人で並んでいると、その気配に感づいたのでしょう。守衛屋の中にいた神官さんが中から扉を開けて教えてくれます。「正式参拝の方でしょうか?それなら7時頃となります」
 う〜む。まだ30分ほどあります。後ろの男性は一旦出て行きました。



 またしばらくすると、また黒い正装をした女性が入ってきます。
 南守衛屋の前でたっている私に尋ねます。
「ここは正式参拝の。。?」
「はい。そうです。7時過ぎくらいになるそうです。」
 まだ20分ほどあります。その女性は一旦出て行きました。



 ただ、私はその南守衛屋の脇の場所に30分立っていました。なぜなら朝のその一番澄んだその時間帯。私は本当にその場所に立っていることが本当に心地良かったからでした。
 30分もそこで待っていなければならないのか。ではなく反対であります。私はその時間帯その空間に30分も立っていることができるのでありました。
 しかし実際体感は10分くらい。それはあっという間の時間でありました。



 7時を過ぎ日が上ったようです。空は明るく、もうすっかりいつもの朝の風景です。
 神官さんによる守衛屋縁側の雑巾がけが終わり、扉が開かれるころ、先の男性と女性。そしてあらたに高齢の女性二人組。5人が御垣内参拝に並んでいるのでした。
 わざわざ正装して。そして日の出前の時間から。御垣内参拝の方々が、これほどいるとは驚きであります。

 日本の先行きには心配な点もまだまだありますが、でもやはり、日本は大丈夫なんじゃないかと思います。この伊勢に来させて頂いて、改めてそのように思いました。





 さて、私は心が狭い人間であります。御垣内参拝で他の人と一緒にお参りになることは嫌でありました。せっかくわざわざ手間をかけてはるばる来たのであります。他人と一緒のお参りや嫌です。自分だけでこの特別な場所でお参りしたい。
 毎回のお伊勢参り、私はいつもそのように思っておりました。

 しかし今朝は違いました。我々はみんな縁ある人達なんじゃないか。初めてそのように思えたのでありました。
 この方たちとは、今まで会ったこともありません。そして今後も二度と会うこともないでしょう。しかし一緒に御垣内参拝するこの人達は、この瞬間、縁がある人達なのでありました。

 お清めを受けたあと、神官のあとについて一列になって御垣内を歩く5人。
 歩きながら私は思いました。これは今のこの世で一緒に暮らしている家族や会社の仲間たちと同じだと。今生で知り合う人達のほとんどは、生まれる前にはお互い会ったことがなく、そして死んだ後も会うこともないでしょう。でも生きているこの短い時間は、一緒に一生懸命生きて同時にこの人生を体験しています。

 そう。見も知らぬ人と参拝する。それはこの世で生きる私達そのものでもありました。

 御垣内の鳥居の前。横一列に並んだ5人。年齢も性別も職業も全く異なる初めて会う5人は、二礼二拍手一礼。息があったタイミングでありました。





 この場所で参拝するということ。その意味は本当に深いことであります。時間と手間をかけて、正装して準備して。でも参拝は一瞬であります。その時は頭が真っ白になって、もうあっと言う間に終わります。

 その真っ白になっている瞬間。実は私達は自分の心を神様にお見せしているのかもしれません。私達は神様を見たい、神様を感じたいと参拝に来るのかもしれません。しかし実際は私達が神様に心を観られているのかもしれません。

 そう。その瞬間、私達の心は素っ裸になります。何も隠せていません。人に対して誤解してきつくあたったことも。もう少し思い遣りをもってあげれば良かったということも。そんな恥ずかしいことも、ここでは何も隠せません。
 しかし、それでも、それでも、自分なりに一生懸命生きてきたこと。不器用ではあったけれど、それでもやっぱり一生懸命生きてきたこと。それも神様に観られていたのでした。私は心の中で泣いていたことでしょう。一生懸命生きてきた自分自身に対して。

 そう。その時、神様は私の素っ裸の心をご覧になっている。しかし同時に、自分も自分の心を、ありのままを観ているのでありました。

 なぜ神様としてお祭りされているのが鏡であるのか。
 それは私達が謙虚さをもって神様に向かう時、そしてその謙虚さが真剣であればあるほど。それは神様に向かうとき、私達自身が「自分自身の生き方を観る」。
 だからそれは鏡。きっと多分、それはそういうことなのでしょう。




 外宮を出るともうすっかり空は明るくなっていました。これからバスに乗って内宮にお参りです。



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質素倹約について考察する。その6。

2017-12-13 09:57:11 | まるぞう経営学

 今回の記事は、質素倹約について考える。にまた戻ります。ただいま〜。
 前回貯金とは、誰かに与えること。という視点の仮説を考えてみました。その誰かとは未来の自分も含みます。

 貯金は自分のものと思って貯めると重いです。執着も生まれることでしょう。重さとは執着の度合いの表現です。
 少なくともこの世を離れる時には、潔く全部置いていくものであります。貯金とか財産は。

 だから貯金は貯めた時点で、自分の手を離れたと考えるのが良い。そういう仮説です。
 困っている人に、母性の気持ちから分け与えるもの。それが貯金であります。その困っている人とは、将来老後の自分かもしれませんし、私の死後のヨメからもしれませんし、子供たちや縁者かもしれませんし、災害で困っている人達かもしれません。



貯めたいときは逆に与える。

 陰と陽の科学では、オモテに見えることとウラの因子は真逆であります。
 もし私達がお金を貯めようとした時、「これは与えるお金だ」と定義して貯めると、陰と陽のバランスが最初からとられていることになります。という仮説です。

 お金は欲しい欲しいという人からは去っていきます。
 自分のことより人に与えたい。そういう人のもとに集まっていきます。
 これは陰と陽の因子の考察からは当然であります。お金が去る因子というものがあります。お金が集まるという因子もあります。

 人は自分が望む因子を蓄積していくことで、自分の人生を自分の手で創っていくことができます。



 表面の出来事と、ウラで蓄積される因子は真逆なので、私達は人生に振り回されることが多い。そういう印象を持ちます。なぜ人生は自分のままにならないの?それは自分が望むのとは逆の人生の因子を蓄積しているからであります。



貧乏神が出て行く因子。

 私も小さい会社の経営者でありますから、資金繰りはいつも大きな悩みであります。自営業の方々の多くは同じ悩みを持っていることでありましょう。

 資金が足りない時、もうこのお金がないと会社が潰れてしまう。そのような切羽詰まった心理状態では、お金は更に去ってしまいます。貧乏神の心理状態であります。

 しかし全てを手放してゼロの状態。もう失うものは何もない。そういう心境の時は、そういって腹をくくった時は、貧乏神の因子が消滅するのでした。



失うものが何もない。人生で一番強い思い。

 これはお金に限らず、幸運と呼ばれるもの全般に通じることでしょう。全てを手放してゼロの状態。もう失うものは何もない。
 もちろん実際は今の生活でしょうが、ここで述べているのは心の中の覚悟です。全て手放すという腹のくくりによって、貧乏神の因子が消滅し、プラスの因子の蓄積が始まるのであります。

 オモテに見えることと、ウラの因子は真逆であります。
 手放す覚悟、ゼロの腹くくりによって、集まってくる、与えられる因子がゆっくり蓄積されるのでありました。



つづく



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質素倹約について考察する。その5。

2017-12-07 10:39:44 | まるぞう経営学
この世を離れる時に(おそらく)思うこと。

 多くの私達は贅沢な暮らしに憧れます。楽をして贅沢に暮らせないか。そのように願います。
 しかし自分がこの人生を終えて、振り返って見た時、贅沢だった生活は幻でありました。なにわのことも夢のまた夢。

 そして自分の人生で本当に宝であるのは、人から「ありがとう」と喜ばれたことでありました。あの世の世界であっても、人から喜ばれたこと。これは質量をもつ実態なのであります。

 ということは本当かどうかはわかりません。死後の世界というのもあるのかどうかもわかりません。
 死んだら無になる。という人もおります。本当のことはわかりません。

 私も見えない世界のことは全くわかりません。ただ自分が何十年も生きてきた経験を、そのまま演繹するならば、きっとこの世を離れる時にそう思うだろう。そのように感じます。
 あんなに羨ましかった贅沢なことは浮世の夢。そして自分が忘れていたことでも、人から「ありがとう」と思われていたこと。人に与えてあげたこと。これこそが、本当に珠玉の宝でありました。そのように思います。



節約倹約の本質とは実は人に与えること?

 毎月月末にヨメと「質素節約会議」をすることにいたしました。そういう行為をしてみて改めて思います。来月倹約するお金の額。来月使えるお金の額。それらを決めていきます。
 節約というと「本当は欲しいものがあったのに。我慢する。」そのように思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし節約の本質は違います。

 節約の本質とは「人に分けてあげる」であります。
 親は自分が満足に食べなくても、小さな我が子に食事を分け与えます。これが母性であり父性であり、親の心であります。
 その親は「自分が我慢して」とは思いません。子供が喜ぶのなら、子供が喜ぶ顔を見ることができるのなら、それがもう最大の喜びであります。



 「節約倹約」とは、自分の欲望を抑圧して禁欲してお金を残すことではありません。我慢することではありません。
 「節約倹約」とは、人に与えることであります。



 今の生活を質素にして、将来に備えて貯金する。老後の暮らしのために貯金する。
 その場合、今の私達は、将来の自分に「お金を与えている」ということになります。
 特に、平均寿命から推定すると、ヨメは私より10年は長生きすることでしょう。今の生活を質素倹約して貯金するとは、未来のヨメに与えている。ということになります。

 その貯金は我々の老後のために使われるとは限りません。もし親族や親しい人が本当に危機になった時に少しは援助ができるかもしれません。あるいは災害があった地域への支援に少しはお役に立てるかもしれません。

 この貯金は、将来誰を助けるかわかりませんが、誰かを助ける。このことは確実です。



 つまり私達は今の生活の中で、いろいろ工夫して、お金を少しずつでも貯金する。それは未来の誰かに与えている行為なのであります。最近の私の発見でありました。

 自分の欲望を抑圧する倹約ならば長くは続かないでしょう。心の底では「贅沢がしたいのに、お金がなくて叶わない」そのように思っていると、節約倹約はなかなか難しいかもしれません。

 しかし誰だって、人が喜ぶ顔を見ると喜んで与えたくなります。
 私達の日々の生活の質素倹約というのも本質は同じであります。

 貯金をするというのは、未来の誰か、本当に助けを必要としている誰かに与える行為なのであります。



ケチケチでも執着すると重い。

 人によってはケチケチ生活をして、大金貯金が趣味の人もいるかもしれません。人は信じられない。信用できるのはお金だけだ。
 しかし残念ながら、こういう人も、最後は後悔の思いを見出すことでしょう。
 なぜなら、貯金したお金は、自分のものであって、自分のものではないからです。

 ケチケチ生活。これは人に与えるためのケチケチなら良いです。
 しかし自分の貯金に執着するためのケチケチであるならば辛いことです。なぜなら溜め込んだ貯金は、いずれは手放さなければならないからです。少なくとも死んだあの世には、持っていけません。



貯金の時点(与えた時点)で、それは自分のものであって自分のものではない。

 自分の貯金は、自分のものであって、自分のものではありません。
 大切に運用する。騙されて失わないように最大限の誠意をもって管理する義務はあります。私達は自分たちの貯金に対して、そのような義務があります。
 しかしその貯金は、すでに自分の手を離れたものでもあります。自分や親族や縁者を守るための貯金であります。
 この貯金は、老後の自分たちの生活を守るかもしれません。私が死んだあとのヨメの生活を守るかもしれません。あるいはその他。困窮する親族縁者に少しでも援助ができるように。そのように使われるかもしれません。

 貯金とは貯めた時点で与えたと同じである。のかもしれません。未来の自分に与えた。未来の親族縁者に与えた。
 だからこそ知恵をしぼってやりくりして、節約倹約する行為は「与える行為」なのであります。



つづく



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質素倹約について考察する。その4。

2017-12-06 09:54:35 | まるぞう経営学

私達にはお金を大切に守る義務がある。

 毎日の労働で「どうもありがとう」という気持ちで貰える給料。これは本当に貴重なものです。これは自分と家族を守ります。ですから 私達もこのお金は大切に守らなければなりません。

 ただし、大切に守るといっても、執着するのとは違います。
 またこのお金を元手に、一攫千金を狙いにいくのももっと違います。

 世の中には詐欺話も多いです。いつも最悪を想定して、大切なお金を失わないようにする注意が必要です。
 またタンス預金は災害があった時に無くなってしまう可能性が大きいです。大切なお金は利息が低くても、きちんと銀行に預けるなどの配慮は必要かと思います。



そのうえで執着しないこと。

 ただ自分が最善を尽くして注意しても、大切な虎の子を失うことも、人生においては起きうるでしょう。そういう場合は「仕方ない」とすっぱり諦めることも大切であろうと思います。

 もともとあの世にはもっていけないものです。お金とはいつかは手放すものです。最大限の注意を払っても、失うものはもう「仕方ない」ことであります。

 本来お金に執着しないことは大切でありますが、その大前提が、最大限の注意をもって「守る」という行為があったればこそ。であります。実は「執着しない」という想いは「最大限大切にする」という行為とペアなのでありました。
 人生の達人とは、最終的には生に執着しない心境でありましょう。ただしそれは、この社会の一員を生ききった行動を通してのみ、自然と生まれるものであります。これと同じであります。



因子は消えることがないから。

 もともとあの虎の子貯金の本質は、社会からの「どうもありがとう」という気持ちが具現化したものでありました。その具現化したお金という表面的な形が、消えたとしても、その因子は消えることはありません。
 それは陰陽の科学であります。陰と陽は同時に生成される。片方は目に見える事象として、片方は目に見えない因子として。
 社会に対して労働する。社会に与える。その労働という表面事象は同時に、今度は自分が社会から与えられる。守られるという因子を生み出します。これが給料の本質であります。

 このため私達の労働の対価の給料が、自分や家族を守ってくれる。「労働と給料」これに対して、そのような見方ができます。
 そしてこの見方がユニークな点は、表面のお金の執着。この見方も変えてくれることであります。

 たとえ表面上のお金が消えたとしても、「どうもありがとう」という因子は消えずに残っております。したがって、その因子は「お金」という目に見える形ではありませんが、「幸運」という目に見えない形で、自分や家族を守ってくれます。

 自分が社会に労働という形であたえ、相手から「どうもありがとう」とう気持ちを受け取ったならば、それはその因子を使い切るまでは、残るのでありました。

 ただし自分が不注意で甘くて虎の子を失った場合。この場合は「どうもありがとう」の因子も大部分は消えてしまいます。私達は生きている限りは、生活の中の些細な警告に注意を払う義務があります。
 周囲の人が注意してくれていたのに、自分でもちょっとおかしいかなと思っていたのに。そういう中で、自分の甘さで失ったもの。それは帳尻があってしまいます。相手からの「どうもありがとう」因子も、自分の油断と甘さで帳消しになってしまいます。



つづく



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質素倹約について考察する。その3。

2017-12-05 10:22:29 | まるぞう経営学
今月も働いてくれてありがとう。

 わたしのまるぞう株式会社も毎月の給料日。社員のみなさんに給料が支払われます。
 Aさん、今月もありがとうございました。Bさん、今月もありがとう。
 その「どうもありがとう」という気持ちが、給料=お金という形で、Aさんとその家族。Bさんとその家族を守ります。

 うちの会社の毎月の売上げ。これも「まるぞう株式会社さん、ありがとう。」というお客さまの気持ちが、お金という形になって、我々の口座に振り込まれます。お客さまのその気持ちが、うちの会社を守ります。

 みなさんが、社会から貰う給料。これは社会からみなさんに「今月もどうもありがとう。助かりました。」という気持ちであります。
 この社会からの「ありがとう」という気持ちが、みなさんとみなさんの家族を守ります。

 そのお金で、安全な清潔な場所を住まいとすることができます。そのお金で、健康的な食事を摂ることができます。そのお金で、親しい人と思い出を共有することができます。



世の中には恨みがまとわりついたお金もある。

 しかしこの社会の仕組み。正反対のこともあります。相手から感謝されずに、逆に恨みの感情をつけたまま、お金を受け取ることもできます。

 畜生。騙された。そういう恨みの感情で。しかし世の中は騙された方が悪い。世の中そういう面もあります。不承不承、心の中で泣きながら、お金を払うこともあります。そうして稼いだお金。そうして受け取った恨みの感情であります。



 相手から感謝される「どうもありがとう」という感情。これはその人を守ります。しかし「畜生。騙された。」そういう恨みの感情。これはその人を損なって行きます。



 真面目な庶民ほど尊い。陰日向無く、見かけの損得に関係なく、自分の仕事で、自分や家族を地道に養える人。これが一番尊い。なぜならば、その人が稼ぐお金は、社会から「どうもありがとう」という、感謝の気持ちのお金だからです。
 お金の金額は決して多くはないかもしれませんが、どうもありがとう純度が高い給料でありますから。
 その感謝の気持ちは、御本人と家族を守ります。

 逆に「悔しい」感情がべったりこびりついているお金。銀行通帳のゼロの数は多いかもしれません。しかしそんなお金は、本人とその家族をゆっくりゆっくり蝕んでいきます。



お金を支払った人の感情。それはお金についてくる。

 多くの人はお金には色がないといいます。良いお金も悪いお金も同じだといいます。しかし本当は違います。お金に色があります。感謝の色のお金もあれば、恨みの色のお金もある。
 恨みの色の大金を稼いでいる人は、観えていないゆえに。。。恐ろしいことです。

 株で稼ぐのはどうでしょう。
 自分が応援したい会社に、その応援の気持ちとしてその会社の株を買うことは良いことです。儲からないかもしれないけれど、10年20年スパンで持ち続ける。そういう応援の心の株は良いことです。
 その会社の事業が成功した時、配当として報われます。
 「うちの会社を応援してくれてどうもありがとう。おかげさまで成功することができました。」
 そのように感謝の気持ちが、配当というお金で配られます。そのお金は良いお金です。あなたや家族子孫を守ることでしょう。



 しかし株を短期で売買して儲けを出す。このお金は怖いお金です。株の売買は、まず証券会社が手数料を取ります。そして残ったお金を半分個。負けた人から巻き上げて、買った人に渡す。そういう仕組です。

 株で儲けた人のお金。それはどこから来るのでしょう。だれかが「あなた、どうもありがとう」そういってくれるのですか?ちがいます。負けた人達の「畜生」というお金。その負けた人達のお金を巻き上げて、証券会社が手数料を取った残りを、一部の勝った人に配るのです。

 株の短期相場で勝負する人。その人の大半は、お金を巻き上げられます。畜生あの時売って、あの時買ってりゃ。その後悔と恨みの気持ち。大切な財産をつぎ込んで溶かしてしまった。家族の恨み。そういうった負の因子がついたお金を、みんなで我先に奪い取ろうとする世界。怖い怖い。



なぜ宝くじを当てた人は不幸になるのか。

 宝くじで大金を得た人。そのあと不幸になる人が圧倒的に多い。そのような調査があります。
 宝くじの賞金。もしお金の色が観えるなら、それは魑魅魍魎の因子の塊であることでしょう。楽して儲けたい。楽して儲けたい。俺が欲しかったそのお金。お前が持っているのか。羨ましい。恨めしい。
 そういう魑魅魍魎の因子。それが何億円分も凝縮されて、本人の口座に振り込まれるのです。

 何十万円かのありがとう。という気持ちの、毎月の給料のお金とは、同じお金であって、同じものではありません。



犯罪で奪ったお金にまとわりつく負の因子。

 株相場でも宝くじでも、私は好みませんが合法です。一番怖いのは犯罪を犯して得たお金です。
 悪銭身にづかず。これはそのとおりでありましょう。犯罪を犯して得たお金。これは本人または家族を大きく傷つけることでしょう。お金としては普通にものを買うことができます。しかし彼がそのお金と同時にしまいこんでしまった負の因子。

 場合によっては彼の命の危機にもなるかもしれません。本能的に、身を守るために彼はそのお金を手放すことも多いでしょう。無駄遣い。散財して、なるべく身体から離したい。それが彼の無意識の生存本能なのかもしれません。
 悪銭身につかず。それは彼が自分を守るための結果でありました。

 ただそのお金を手放したからといって、彼の負の因子が昇華されるわけではありません。少なくとも最低でも社会において正当な裁きを受けなければ。逃げ得のうちは、彼はその負の因子からは逃げられません。



 世の中には、せっかく稼いだ大金を、無駄遣いして生きているように見える人がたまにおります。その人は、ひょっとしたら、そのお金にまとわりついた負の因子を、本能的に払い除けたい。そのように感じているのかもしれません。

 「今月もどうもありがとう。」正当な仕事で汗をかいて稼いだ給料。それは尊いお金です。御本人と家族を守ります。



つづく



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質素倹約について考察する。その2。

2017-12-04 09:47:33 | まるぞう経営学
抑圧すればリバウンドが起きる。

 質素倹約とは食事のダイエットに似ているかもしれません。
 江戸時代の観相(人相を観る人)の大家、南北先生も「素食と少食が開運の極意」とおっしゃっていることにも通じます。

 しかしダイエットといって、無理に食事の制限を行うと、リバウンドといってその跳ね返りが起きてしまいます。
 なぜリバウンドが起きるのか。いろいろなパターンがあるでしょうが、私が思うのは、それは本人の心の乾きが満たされていないから。そのようなこともあると思います。

 身体が必要とする以上に高いカロリーの食事を摂りたくなる理由。それはその時だけ、心の乾きが一瞬癒されたように脳が感じるから。
 しかし、抑圧我慢をすればするほど、心の乾きは「満たされない〜」と叫び、そしてそれがある一定以上を超えた時に、リバウンドが起きる。陰陽の振り子のように。そういうケースもあることでしょう。

 従って、ダイエットに大切なことは、自分の中の心の乾きにじっと向き合う。自分が満たされていないものの正体を、意識下に押さえてあったその正体を、静かに見つめる。そういうことかもしれません。



人生で本当に必要なものはとても少ない。

 質素倹約もダイエットに似ています。買いたいものを我慢する。そういう我慢であれば、それはどこかに歪を持ちます。
 本当はあれも欲しい、これも欲しい。でもお金を貯めるために倹約倹約。そういう我慢。そういう我慢の蓄積は、ある一定基準を超えるとリバウンドします。

・毎日温かいお風呂に入れること。
・毎晩清潔な布団で眠れること。
・親しい人達と「美味しいね」と感謝して御飯を食べられること。

 私が人生で幸せと感じる3つの要素です。個人的な主観です。そしてこの3つ以上の贅沢は、あれば嬉しいですが、なくても全く構いません。

 もちろん清潔な身だしなみは必要です。周囲の人が不愉快に思わないように。現代日本社会においては、身だしなみの清潔さにきちんとお金を払うことも必要です。
 たとえば高い革靴じゃなくても、毎朝履く前には磨く。ワイシャツはきちんとアイロンをかけておく。帰宅後スーツをハンガーにかけるときは、起毛ブラシをかける。ビジネスマンなら必要な服装のエチケットであります。
 しかしそれ以上の贅沢は、なくても全然構わない。


物欲が薄くなってきている現代日本人。

 今日本経済はデフレだといいます。日銀がいくらお金を刷っても、個人消費が全然上がりません。もちろんそれは消費増税や、今後の年金不安など、財政政策での理由もあることでしょう。
 ただ私が感じるのは、日本人全体が、物欲が枯れてきた。ということです。「給料が安いので欲しいものを我慢している」という面はもちろんあるでしょうが、「そもそもそこまで欲しいものがない」という空気。それが日本社会を静かに覆っているように思います。
 人に見栄をはって、人と張り合って、高価なものを手に入れたい。そのような欲求が枯れてきた。そのように思うのです。


 かつて、多くの日本人は「ステータス」と呼ばれるものを購入して手に入れることが人生の喜びでありました。しかし今は、「自分の人生で余計なものを削ぎ落とす」「自分一人が独占するのではなく、人と共有する。人に与える。」こういう行為が自分の人生の喜びである。
 そんな日本は世界に先駆けてそういう時代に入った。そのように思います。



 さて明日は、質素倹約が出来ないもう一つのパターンを考察してみたいと思います。
 それは、厄落としのために、無駄遣いせざるを得ないパターン。溜め込むと寿命が縮まる。全然羨ましくないお金持ちについて。



つづく



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質素倹約について考察する。その1。

2017-12-03 11:38:19 | まるぞう経営学
質素倹約こそが、人生幸せの土台である。

 お恥ずかしいことに我が家にはほとんど貯金がないのです。老後に備えて貯金をする必要がる。遅まきながら、私はヨメに任せていた家計簿を一緒に見るようにしました。

 月1回、給料日直後の週末は、二人で次月の予算を組みます。
 なかなか家ではお互い忙しいので、その時は、朝から近所のファストフードの店で100円コーヒーを飲みながら、頭を突き合わせることにしました。

 私は生来ケチな性分でありますが、経営者として社会でいろいろな経験をしていくと、やはり、日頃の生活で、質素であることが重要である。いかに固定費を抑えて生活できるかが重要である。そのように思います。

 老子先生は、質素倹約が幸運の鍵であると仰っておりますが、誠にその通りであると思います。


本当の幸せはお金はかからない。(個人の感想です)

 私の個人的な幸福感でありますが、毎日温かいお風呂にはいれて、清潔な布団で眠ることができて、時々は、親しい人と「美味しいね」と感謝して食事をすることができる。もうこれだけで、私の人生は幸せであります。

 そしてそれ以外のお金は、なくても良い。とさえ思っております。

 だって、私は自分一人では美味しいものを食べても、ちっとも楽しくはありません。それは人によるでしょうが。やはり他の人の「美味しいね」と言う顔が最高のご馳走であります。

 でありますから、週末など私が一人暮らしとなる日は、トマトソースを大量に作っておき、数日はそのソースで暮らします。キャベツの千切りや、豆腐や納豆など。単価が安くて身体に良いもの。そのような食事が私の身体に合っております。



軽量化こそ最大の「正義」という設計者マインド。

 私が工学部出身であることは先日ちらっとお話いたしました。自動車にしろ飛行機にしろロケットにしろ、いかに軽量化するかが、もう本当にそれが設計の一番の要であります。

 アメリカ人などの考えは、大きなエンジンにすればいい。たくさんエンジンを増やせばいい。そのような考えですが、そうなると全体重量も増えてしまいます。

 日本人は、コンパクトが得意。というか軽量化という職人ワザが得意であります。

 もうね。何百トンもの総重量でも部品を1グラム単位で削っていく。その知恵が創造性なのです。
 日本の軽自動車のように、衝突安全基準を確保しながら、しかし車重を軽くする。など本当に日本人の職人技術の真骨頂であります。(話すとまた長くなるのでやめておきます。)



設計者の創造とは。時間とお金の制約あったればこそ。

 自動車でも飛行機でもロケットでも。とにかく「軽量化」が最も重要であります。軽量でさえあれば、燃費も良くなるし、操縦性も高まります。良いことづくめです。

 しかし各部品からその1グラム1グラムを削るのは、本当に至難のワザなのです。もちろん高価な材料を惜しげもなく投入すれば、それなりに軽量化になりますが、予算も大きな縛りであります。そうそう使えるワザではありません。

 設計者の仕事とは、開発期間と予算という2大縛りの中で、どれだけ性能の良いものを創り出すか。という仕事であります。

 そしてこれこそが「創造」の典型パターンであります。本当の「創造」とは、厳しい制約の中で、どれほど「生み出せるか」「生き残れるか」なのであります。



根源の創造爆発を考えてみる。

 はるかはるか昔の太古。宇宙に時間も空間もなかった時代。根源の爆発によってこの宇宙が誕生したと言われます。
 この宇宙に「創造の連鎖」が生まれた瞬間でありました。

 私達生き物はみなその「創造の連鎖」を体現しています。限られた厳しい環境の中で、「如何に生き抜くか」「如何に自分の彩り遺伝子を次世代に残すか」。弱肉強食、生存競争と呼ばれる世界ではありますが、それが「創造の連鎖」であります。



主婦の家事の倹約の中に宇宙創造が凝縮されている。

 私達の社会の営みもすべて「創造の連鎖」であります。家事育児もまた、時間と予算の戦いであります。一日にやらなければならない仕事は山ほどある。使える予算も限界がある。
 時間とお金をやりくりする。やりくりやりくり。この毎日のやりくりこそ「宇宙の創造」そのものであります。



 話は飛んでいるように思われるかもしれませんが、私には同じに思えます。マクロ(極大)とミクロ(極小)は同じです。
 宇宙は大小さまざまの同じパターンの、無限の組み合わせで成り立っています。フラクタル。

 主婦の毎日のやりくりの中に宇宙の「創造」のエッセンスが凝縮しています。



 だからこそ。であります。節約=創造。なのであります。
 質素倹約な生活=軽量な人生=宇宙の創造の知恵の集大成。



一人ひとりが芸術家。自分が生きた人生という芸術作品。

 多くの人は贅沢な生活に憧れます。しかし宇宙の創造の視点では、贅沢な生活などは一瞬であります。
 しかし自分の生活の制限の中で、やりくりしながら、自分が生き抜く。家族を養う。これはもう「宇宙の創造そのもの」であります。

 寿命が来てこの世界を去る時、誰しも自分の人生という芸術作品を俯瞰して観ることになるでしょう。
 創造性に富んでいればいるほど、その芸術作品はキラキラ輝いています。
 その芸術作品(自分が生きてきた人生)は、人から褒められるかどうかは関係ありません。自分自身が納得できたかどうか。もうそれだけであります。

 自分の人生で贅沢できた瞬間などは、全然美しくなかったことがわかります。
 それよりはやりくりしながら頑張っていた生活。もうこれこそが、本当に美しい造形であることを知ります。
 そして自分が我慢しても、誰かを喜ばせた。自分は質素倹約した分、誰かを喜ばせた。もうその部分は、本当に、七色黄金に輝いております。

 生きていた時は本当に大変だったけど、頑張って生きて良かったわ〜。と心から満足できる瞬間であります。



つづく



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