前編の笛を吹く少女ブロンズ像から少し下りますと、北詰橋門があり、この門を潜って東御苑へと向かったのでした。
この橋の中程から眺めた竹橋方向、正面左側のビルは、毎日新聞社の本社家屋です。その右隣の白いビル・・・、
このビル内に私は5年半近く通勤しておりました。懐かしい場所です。地下鉄東西線竹橋駅の直ぐ傍なんですよ、
ビルの名は”丸紅ビル”このビル内に筆者の務めていた会社のオフィスの一つが在ったのでした。
松の緑に石垣の無機質なグレーの配色もそれなりに・・・・! そして鮮やかな黄葉を楽しんで・・・・!
そぞろ歩む道々に何とも可憐な淡いピンク色山茶花の花・・・、このような花に惹かれますねー!
見物客が大勢行き交う前のkの石垣がその昔の江戸城の天守閣跡なのです。焼失したのは明暦の大火だったでしょうか??
広場には緑の芝生に憩いの人々がのんびりと初冬の陽を浴びて楽しんでいたのでした。
天守台から眺めたこの少し変わった形の建物は、”桃華楽堂”とありました。 またこの東御苑の広い庭園の中には
種々の植物も植えられていまして、何と柑橘類や小さいながらも茶畑までありました。
ピンクのバラも種類は存じませんが艶やかに咲き綻んで・・・!
人はなぜか高い所へ登りたがるようで、皆一様にこの天守台跡に登って周りを眺めていたのでした。
勿論筆者もその内の一人!! 何とかは高い所へ登りたがる・・・?
天守台跡から下りて歩を進めて行きますと、かの有名な松廊下跡の看板と石碑が目につきました、
往時の建物の姿はありませんが、このあたりが浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた刃傷沙汰の場所だったんですねー・・・・!
植え込みには山茶花の花なども咲き残っていました。 向こうには公孫樹の黄葉も太陽に照り映えて・・・・!!
その昔の江戸城へ諸大名が登場するには、大手門前から3ヶ所の厳しい検問番所が設けられていたようです。
この長い建物はその内の城内に入ってから最後の番所、「百人番所」と云われていた建物です。
何とも厳しかったんですねー・・・、伊賀者同心などが詰めていたのでしょうか??
何と桜の花が咲いていました、樹下に”10月桜”と記してありましたが、
最近は春以外の時期でもこのように桜の花が見受けられますねー・・・!
愈々出口近くとなり、歩いて行く内に、この様な鯱の姿など目に入って来ました。解説はこの看板で・・・!
鯱の隣の絵は葉は黄色く色付いていましたが、紫式部(?)の実がびっしりと輝いていたのでした。
人々は大手門へ向かって帰り道・・・、お疲れ様でした。春にはまた訪ねましょう!
その大手門も今はご覧通りの石垣のみを残して建物は残っておりません。 あー 歩き疲れた・・・!
てなことで、考えてみれば昼食も摂らずにずーっと歩き続けてお腹の虫も”パー”ではない”グーッ”となりそうな空腹感。
そんなことで先ずは腹を満たすことが先だとばかりに日本橋界隈へ向かって行ったのでした。 ご笑覧有難うございました。
来年の春はスニーカで桜を見に行こうと思いました
今年は28日が打ち納めです,事前練習でスイングの確認をして来年に繫がる成績と思っています
お互いに,体調管理怠りなく・新年を迎えましょう。
皇居の外堀は歩いた事は有るけど中までは
入った事は無し。勿論入って見たく興味は有るけど
何だか時間が掛るとの事。
君の素晴らしい写真撮影で十分に城内の様子が
伺われ、満足しました。
話変わって、友田君から同級会の写真と集合写真の
各人の名前を記した名簿を送ってもらった。
80人+の名前、良く調べたものと感心する。
お礼のメールをしたけど、多分開けてないだろ~ナ。
機会があれば宜しく伝えておいてください。
それと: 狭山のNakajima(Siba)Sumakoさんから
昨年の関東支部会では狭山の銘茶、今回の
宇和島では「子持ちアユの昆布〆」を頂いた。
お礼の仕様が有りません。
もし何かの機会があれば宜しくお願いします。kk