初めてこの客車(SER)に出会ったときの写真です。
公式試運転が3月19日との事ですから、営業開始した直後ですね。
ヒガハスはお天気が悪かったようですが、派手な車体と機関車に度肝を抜かれた覚えがあります。
アーチ状のRAINBOWロゴの無いサイドですが、撮った時は左右でデザインが違うとは知らず...
列番不明、EF651019
1987年3月23日撮影、原板は135ポジ(PKL)
公式試運転が3月19日との事ですから、営業開始した直後ですね。
ヒガハスはお天気が悪かったようですが、派手な車体と機関車に度肝を抜かれた覚えがあります。
アーチ状のRAINBOWロゴの無いサイドですが、撮った時は左右でデザインが違うとは知らず...
列番不明、EF651019
1987年3月23日撮影、原板は135ポジ(PKL)
今では、派手派手列車も多く、何を見てもそうそう驚いていられないですが、この頃はねぇ。
客車はともかくも、罐のデザインについては、社内で侃々諤々があったのでは。
「赤は交流機だぁ」「客車に合わせると赤だぁ」
でも、殺風景な冬の景色には、良い被写体ですね。
同じ時にEF8195も赤くなっていますが、あちらは交直流機。赤い直流機は掟破りですね。(笑)
でも、この組み合わせはJTのなかでも人気絶大でした。
いずれにしても思い切った色遣いで、こうなれば何でもありを切り開いた先駆車ともいえそうです。
雑誌で見て事前には知っていましたが、やはり写真と実物ではインパクトが違いました。(笑)
いまは車輌が随分カラフルになりましたが、確かにその先駆けですね。
この営業運転だったと思いますが、なぜか下りは撮れずじまい(部活?)だったため、返しを薄暗い中で撮ったように記憶しています。雨こそ降っていませんでしたけど、霧に煙るような状況で露出はほとんどなし。絞り開放でピント甘々と撃沈でした。
遠くから列車が見えだした頃、赤い機関車が先頭に立っているため、「ん、ナナゴ?そんなわきゃない」。ファインダーで側面のロゴまでもが見えだした時には度肝というか声も出ないほど驚いたものでした。客車のデザインは発表されていたパースであらかた予想していたものの、当時この機関車の存在はまったく知らずでありました。
その後、ゴールデンウィークの臨急SERまつしまは2度撮影に赴くも、どちらも通常のPF。夏休み中に運転された何本かの団臨も通常のPF。この正調(?)編成に再会できたのは同年秋の団臨「レインボー池田屋号」までおあずけでした。後年(96~97年頃)になると正調編成と遭遇する率が増えていったように思います。97年秋だったと思いますが、正調編成を撮るべく蒲須坂の用水路上ポイント(定番)に着くと既に数名がスタンバイ済。私の到着後は次々とカメラマンが到着し、あっという間に満員御礼(数年前の「新特急なすの」に比べればまだまだかわいいもの)。最後は保線区まで登場という、当時でも激パの被写体ではありました。
さて話は87年春に戻して、この数日後に早暁の東北線を下るレインボーの回送があり、牽引は89号機が担当。わかっていれば駅のホームなんかで撮らないのにと思いつつシャッターを切りました(これもピンは甘々)。ただ、この時は分割民営化直前で水戸線・真岡線・両毛線と終焉迫る筑波鉄道撮影でスケジュールもパンパン。当時は撮っても撮っても被写体があって、時間よ止まれという感じでしたね。
長くなりまして失礼しました。
今みたいに情報が氾濫していなかったので、何が牽いてくるかは来てのお楽しみでしたね。
PF1019牽引のSERは結構沢山撮りましたが、青PFも同じ位出会ってます。
EF8195牽引は撮影回数がぐっと少なくて、良い写真が有りません。
イヴェントでは61や89も牽きましたね。良い時代でした。