今日の写真は、先日掲載した石北本線の貨物590列車の続きです。
原板はコダクロームで、空の部分が露出オーバー、おまけにカビだらけ...今までデジタル化を諦めていたコマですが、何処まで改善出来るかチャレンジしてみました。
日陰の真っ黒な機関車と朝日に輝く背景の山や空はもともとコントラストが高すぎて、ラチチュードの狭いポジフィルムでは適正露出を得るのは針の穴に糸を通すようなものです。
当時の腕前では機関車に露出を合わせるのが精一杯、当然背景や空はすっ飛んでしまいました。デジタルカメラで言えば「白飛び」、情報が無い部分は幾らスキャンと画像処理で頑張っても無理です。(苦笑)
カビは何とか見えなくしましたが、あまり良い出来では無いですね。しかも、良く見ると後ピンのようでもあります。
でもまぁ、当時の雰囲気だけでも...

後押しの9600です。
この時は夢中で撮っていたのか、機番を見忘れ、後追いも撮っていません。そのため現在までずっと機番不明でした。

石北本線 金華~常紋(信)
590レ、D51311+9600
1971年9月6日撮影
さて、ここからが本題です。(笑)
今回スキャンして拡大して見ても後補機のナンバープレートは読めません。
ですが、写っている非公式側の特徴を幾つか洗い出して、当時遠軽機関区に居た9600と比べて見ました。
勿論、自分で遠軽に居た9600を全機撮影している訳では無いので、半分以上はWEB上の写真との比較でした。
1972年3月末に遠軽に配置されていた9600は以下の11輌です。(キネマ旬報社 蒸気機関車No.21の全国SL配置表による)
それぞれの罐(の特徴)と比べて見ると...
29681:テンダー上部の板囲いが異なる
49600:テンダーの形状、放熱管の形状が異なる
49626:テンダーの形状が異なる、砂箱が角形
49634:ランボードが直線ではなく、元空気溜の位置が異なる。デフのバイパス弁点検窓に扉なし
49651:テンダー、元空気溜の形状が同じ
49666:放熱管の位置と形状、テンダーの形状が異なる
49673:デフのバイパス弁点検窓に扉なし
49699:放熱管の位置と形状が異なる
69620:テンダー、元空気溜の形状が同じ
69625:放熱管の位置と形状、元空気溜の形状が異なる
69644:ランボードが直線ではなく、元空気溜の位置、形状が異なる。テンダーも異なる
と言うことで、49651と69620の2輌に絞られました。
この2輌、非常に良く似た形態ですが、決定的な違いがありました。
砂撒き管(2本のうちの後側、第三動輪へ行く分)の位置が49651は放熱管の後に隠れていますが、69620では見えています。ただ、自分が撮った写真では角度が悪く、どちらかは判断出来ません。
また、後年名寄機関区時代に撮影した69620は、助手席側キャブ屋根上に天窓の扉?のような四角い構造物がありますが、49651にはこれがありません。
写真を見ると屋根上の四角い構造物はなさそうですから、49651の可能性が高くなりましたが、後年改造された可能性も捨てきれません。
49651にはこの後出会うことはありませんでした。自分では未撮影なのでこの後押しがどちらの罐だったのか、残念ながら確証は得られませんでした。
69620の名寄機関区時代の写真を一枚。
写真を見ると、ランボードが直線、元空気溜カバーを支える支柱の本数、テンダー上部の板囲い、デフのバイパス弁点検窓の扉など、特徴が一致しています。(でも、架線注意の標識が縦になっていますね)
これらの特徴は49651も同様です。

名寄本線 紋別
1691レ、69620
1974年8月2日撮影
大家族だった9600一家、細かなところを見て行くと皆それぞれ個性的ですね。
7/15追記
皆様から頂いたコメントを拝見していて、69620の方が可能性が高くなったように感じます。
49651の可能性が高いと考えた根拠はキャブ屋根上の四角いものでしたが、これが開閉式の天窓の扉と考えると根拠が無くなります。
遠軽区時代の夏の49651の写真が有ると回転式火の粉止めの形状が判るのですが、名寄区時代と同じだとすると49651ではなくなります。
49651(遠軽区):デフ前端のトラ塗りが薄い、架線注意標識が縱、回転式火の粉止めの形状不明、副灯なし
49651(名寄区):副灯、タブレットキャッチャー装備、回転式火の粉止めがお皿形
助手席側キャブ屋根上の四角い構造物なし
69620(遠軽区):不明
69620(名寄区):回転式火の粉止めが筒状、架線注意標識が縱と横、両方あり
助手席側キャブ屋根上の四角い構造物ありと無し→開閉式の天窓?
7/15再度追記
49651と69620の写真を見比べていて、フレーム前端のトラ塗りの違いに気が付きました。
49651は黄色い部分にリベットが3本含まれていますが、69620はリベットが2本しか含まれていません。
と言うことは、やはり49651の可能性が高くなりました。
WEB上には1971年夏に撮影された69620の写真があり、黄色いラインにはリベットが2本しか見えませんので、自分が撮影した写真は69620では無い事が判り、49651と確定出来ました。
皆様のお陰で46年目にして機番確定出来ました。有り難うございました。
原板はコダクロームで、空の部分が露出オーバー、おまけにカビだらけ...今までデジタル化を諦めていたコマですが、何処まで改善出来るかチャレンジしてみました。
日陰の真っ黒な機関車と朝日に輝く背景の山や空はもともとコントラストが高すぎて、ラチチュードの狭いポジフィルムでは適正露出を得るのは針の穴に糸を通すようなものです。
当時の腕前では機関車に露出を合わせるのが精一杯、当然背景や空はすっ飛んでしまいました。デジタルカメラで言えば「白飛び」、情報が無い部分は幾らスキャンと画像処理で頑張っても無理です。(苦笑)
カビは何とか見えなくしましたが、あまり良い出来では無いですね。しかも、良く見ると後ピンのようでもあります。
でもまぁ、当時の雰囲気だけでも...

後押しの9600です。
この時は夢中で撮っていたのか、機番を見忘れ、後追いも撮っていません。そのため現在までずっと機番不明でした。

石北本線 金華~常紋(信)
590レ、D51311+9600
1971年9月6日撮影
さて、ここからが本題です。(笑)
今回スキャンして拡大して見ても後補機のナンバープレートは読めません。
ですが、写っている非公式側の特徴を幾つか洗い出して、当時遠軽機関区に居た9600と比べて見ました。
勿論、自分で遠軽に居た9600を全機撮影している訳では無いので、半分以上はWEB上の写真との比較でした。
1972年3月末に遠軽に配置されていた9600は以下の11輌です。(キネマ旬報社 蒸気機関車No.21の全国SL配置表による)
それぞれの罐(の特徴)と比べて見ると...
29681:テンダー上部の板囲いが異なる
49600:テンダーの形状、放熱管の形状が異なる
49626:テンダーの形状が異なる、砂箱が角形
49634:ランボードが直線ではなく、元空気溜の位置が異なる。デフのバイパス弁点検窓に扉なし
49651:テンダー、元空気溜の形状が同じ
49666:放熱管の位置と形状、テンダーの形状が異なる
49673:デフのバイパス弁点検窓に扉なし
49699:放熱管の位置と形状が異なる
69620:テンダー、元空気溜の形状が同じ
69625:放熱管の位置と形状、元空気溜の形状が異なる
69644:ランボードが直線ではなく、元空気溜の位置、形状が異なる。テンダーも異なる
と言うことで、49651と69620の2輌に絞られました。
この2輌、非常に良く似た形態ですが、決定的な違いがありました。
砂撒き管(2本のうちの後側、第三動輪へ行く分)の位置が49651は放熱管の後に隠れていますが、69620では見えています。ただ、自分が撮った写真では角度が悪く、どちらかは判断出来ません。
また、後年名寄機関区時代に撮影した69620は、助手席側キャブ屋根上に天窓の扉?のような四角い構造物がありますが、49651にはこれがありません。
写真を見ると屋根上の四角い構造物はなさそうですから、49651の可能性が高くなりましたが、後年改造された可能性も捨てきれません。
49651にはこの後出会うことはありませんでした。自分では未撮影なのでこの後押しがどちらの罐だったのか、残念ながら確証は得られませんでした。
69620の名寄機関区時代の写真を一枚。
写真を見ると、ランボードが直線、元空気溜カバーを支える支柱の本数、テンダー上部の板囲い、デフのバイパス弁点検窓の扉など、特徴が一致しています。(でも、架線注意の標識が縦になっていますね)
これらの特徴は49651も同様です。

名寄本線 紋別
1691レ、69620
1974年8月2日撮影
大家族だった9600一家、細かなところを見て行くと皆それぞれ個性的ですね。
7/15追記
皆様から頂いたコメントを拝見していて、69620の方が可能性が高くなったように感じます。
49651の可能性が高いと考えた根拠はキャブ屋根上の四角いものでしたが、これが開閉式の天窓の扉と考えると根拠が無くなります。
遠軽区時代の夏の49651の写真が有ると回転式火の粉止めの形状が判るのですが、名寄区時代と同じだとすると49651ではなくなります。
49651(遠軽区):デフ前端のトラ塗りが薄い、架線注意標識が縱、回転式火の粉止めの形状不明、副灯なし
49651(名寄区):副灯、タブレットキャッチャー装備、回転式火の粉止めがお皿形
助手席側キャブ屋根上の四角い構造物なし
69620(遠軽区):不明
69620(名寄区):回転式火の粉止めが筒状、架線注意標識が縱と横、両方あり
助手席側キャブ屋根上の四角い構造物ありと無し→開閉式の天窓?
7/15再度追記
49651と69620の写真を見比べていて、フレーム前端のトラ塗りの違いに気が付きました。
49651は黄色い部分にリベットが3本含まれていますが、69620はリベットが2本しか含まれていません。
と言うことは、やはり49651の可能性が高くなりました。
WEB上には1971年夏に撮影された69620の写真があり、黄色いラインにはリベットが2本しか見えませんので、自分が撮影した写真は69620では無い事が判り、49651と確定出来ました。
皆様のお陰で46年目にして機番確定出来ました。有り難うございました。
お陰様で機番が特定出来ました。有り難うございました。
昔の写真を見直していて、当時は知らなかった事が沢山有り、未だに新しい発見があるのは嬉しいですね。
ネタ切れブログは古い写真の焼き直しが増えると思いますが、これからも宜しくお願いします。
やはり生兵法は怪我の元。現役蒸気を知らない人間が踏み込んではいけない領域だったようです。
失礼致しました。
こちらこそご無沙汰しています。m(__)m
もう一度49651と69620の写真を見比べてみました。確かに回転式火の粉止めの形状が違っているように見えますね。
ただ、自分が確認した写真、49651は名寄時代のものなので確証は持てないのですが、69620である可能性が高くなりました。
有り難うございました。
調査を有り難うございます。
49651に副灯やタブレットキャッチャーが付いたのは名寄機関区に移ってからのことだと思います。
常紋で撮影された写真は副灯無し、架線注意の標識も横になっていました。
ただ、郷愁紀行様の写真を拝見して、69620である可能性も高くなりましたね。
9600は1輌1輌が個性的でしたね。
キャブ下のラインがS字形の若番の9600を撮っていないのが残念です。
当時はC57やD51を優先して撮影、9600は沢山居てあまり魅力を感じませんでした。
9600の魅力に気が付くのが遅かったです。
湧網線で撮影された69620の写真を拝見して、助手席側キャブ屋根上の四角いものが有りませんね。
やはり開閉式の天窓だったのか? となると、自分が撮った写真は69620の可能性も高くなりますね。
自分が死んだ後にして貰いたいことは、そろそろ書き残しておかないといけないかなと思っています。(笑)
特定の機番を模型で再現するのは楽しいでしょうね。
特に9600は多くのヴァリエーションがあったので、細かいところに拘ると大変だったことと思います。
模型の写真も是非ブログにアップを。(笑)
いつも楽しく拝見させていただいております。
誠に素人意見で恐縮ですが、別サイトで見た49651と69620は、煙突の形状が異なっているように見えたのですが、いかがでしょうか。
短期間に改造されるようなことがなければ、佐倉様が撮影されたのは、69620ではないかと・・・。
電関人も少し調べてみました。
補助灯が無くデフ先端がトラ塗りで・・・
クロクマさまのところに貼り付けてあったお写真を見る限り、
69620ではないかと・・・。
架線注意のデフ内側の標識が横の写真では、
49651は補助灯が付いているようですし。
キューロクの識別は本当に難しいですね!
登場時はともかく、戦後標準的なスタイルというのが存在していたのかどうかも分かりません。
模型的にはとても面白い形式なのですが、、、
機関助士サイドが
http://eyeyan.blog71.fc2.com/blog-entry-646.html#more
機関士サイドが
http://eyeyan.blog71.fc2.com/blog-entry-1536.html
どちらかが1975年4月末~5月初。
ところで
昨日佐倉様が書かれていたように自分が管理できなくなった時にどうするか?
子供らはブログの存在は知っていますがどうして欲しいかは未だ遺言していません。(笑)
でもつらつら考えるに市井の記録も後世には歴史となって残るのだからそれなりに価値はあると思うのですが。。。。しっかりと残すにもあとは気力体力の維持ですね?これがまたしんどい(笑)
ランボードや元空気溜とか実に様々。
でも、よくここまで特定されました。