少し間が開きましたが、オリエントエクスプレス(NIOE)を続けます。
と言っても、ほとんど撮っていないので、直ぐに終わりですが...
写真は再掲ですが、デジタル複写で画質は大分良くなっています。
踏切付近には数名のカメラマンやギャラリーが見えますが、当時は写真を撮る人も少なかったようですね。
13輌編成で、あけぼのや北斗星より1輌多いだけですが、客車1輌の長さが長いので、あけぼのや北斗星よりも1スパン長くなっています。

東北本線 栗橋~東鷲宮
列番不明、EF651017
1988年11月16日撮影、原板は66ポジ(100D)
と言っても、ほとんど撮っていないので、直ぐに終わりですが...
写真は再掲ですが、デジタル複写で画質は大分良くなっています。
踏切付近には数名のカメラマンやギャラリーが見えますが、当時は写真を撮る人も少なかったようですね。
13輌編成で、あけぼのや北斗星より1輌多いだけですが、客車1輌の長さが長いので、あけぼのや北斗星よりも1スパン長くなっています。

東北本線 栗橋~東鷲宮
列番不明、EF651017
1988年11月16日撮影、原板は66ポジ(100D)
車長はともかくも、車幅に問題がなかったんですね。
それにしても、大型客車13輌は、見ごたえあります。
車体の大きさは大丈夫だったようですが、重さが大変だったようですね。サスペンションのバネを強化したとか...
この当時、北斗星は11輌でした。あけぼのが12輌、ここで撮っていると踏切までで全編成が入りましたが、NIOEはその先の1スパンを入れておかないと尻切れになるところでした。(笑)
車輛限界はパスしていたのでしょうが、罐の断面と比べてもデカいです。(笑)
運転経路はどんな具合だったんでしょうか?
色からして重そうな感じですね。
車輌限界はクリアしたのでしょうか、カーブしたホームを通過するときなど、ちょっと怖そうです。
運転経路はWEBにも載っていますが、青森や秋田方面、日本海側回りで大阪方面などがあったようです。
さて先般にチラっとお伝えしたこの日のNIOE。時間的にも本来なら撮れないはずの列車でした。
この当時、テレビでも盛んに取り上げられ始め、両親からも「これは見ることができるのか?」という問い合わせが。「見ることはできるけど、今度は16日の朝だから」と答えると、「オリエント急行が通過する?それなら見てみたい」と両親と見送ることに。当日は田園地帯の真ん中で両親と9106列車を見送ることになりました。
いま改めて通過時刻を見ると、両親もそしてワタクシも遅刻のはずですが、誰も何もなかったところを見ると問題にもならなかったのでしょう(30年の月日も経ってますし時効ということで)。
こうして見ると、バブルの真っただ中だったこと、履いているTR47が結構残っていたこと、そして民営化後1年足らずでまだ「グループ」が活きていたことなどなど確かにタイミングが良かったという幸運はあったと思います。そしていま以上に鉄道に夢や希望があったのだとつくづく感じます。
また、こうした夢のある風景が見られると信じて。
長々失礼しました。
当時はフレックスなんて無いでしょうから、ご両親も会社に遅刻ですか...それとも休暇?
11月16日は水曜日で、自分もこの日は休暇だったのか...良く覚えていません。
今こんな列車が平日に走ったら、風邪や法事で学校や会社を休む人が沢山居そうですね。(笑)