夕涼み金沢♪東山界隈・浅野川の水音と土の音
銭湯「桑名湯」を上がり、浅野川大橋から天神橋に続く川沿いを歩けば、梅の橋がかかっている中程に自然主義とされる文豪・徳田秋声記念館がたたずんでいる。
母が車イスの時は、ひょうたん町の自宅から記念館まで散歩に連れてきて土笛を奏でると、仕上がっていない曲でもたいそう喜んだのを思い出す♪
多少なり音楽に縁を持てたのは、幼い頃 台所で料理を作りながら歌っていたのを耳にしたのが刷り込まれたのだろうか…クラシックのレコードはたくさんあった。
台所の真上の二階の七畳間で、講道館柔道四段の父に稽古をつけてもらい、「投げてみろ」と言われて足を掛けると、わざと投げられ方と落ち方を見せるようにドッシ~ン!…「ちょっと~やめて~!」と下から黄色い声が聞こえていた。
記念館脇にある階段を降りると、暗い河川敷を黙々とランニングしている人や腰をおろして涼む人たちがいる。
25年前 まだ金沢でオカリナ教室も無い頃、大橋の下で笛を吹くと、近所からおかしな音がすると苦情が来たとおまわりさんが飛んできた。橋の上は車がゴーゴー走る。この頃、大都会の赤ん坊がクラシック音楽に泣き出し、車の音で笑う…という現象が記事になっていた。
何年も経ちマスコミなどで土笛の音色が多少知られた頃、河川敷で笛を吹くと「もっとやって~毎日でも来て~♪」、或は河川沿いの家の人が出てきて即席のオカリナ教室になることも…
高校時代の学校帰りに女生徒と散歩した河川敷はほとんど変わらないが、川を観ながら「ゆく川の流れ は絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と色紙に書いてくれたのは、宮崎正明(故)先生。名訳「NOTO―能登・人に知られぬ日本の辺境」 (パーシヴァル ローエル 著、宮崎正明 訳 1991) を上梓された。
松原健之さんのデビュー曲「金沢望郷歌」(五木寛之 作詞)は、健之さんとコラボの時に初めてオカリナで演奏、金沢情緒を優雅に盛込んであると改めて感じる。
川面に映る星が揺らめき光る♪
★星に願いを(オカリナ)…浅野川沿い、徳田秋声記念館前。
YouTube:https://youtu.be/AnDFPnlJaag
銭湯「桑名湯」を上がり、浅野川大橋から天神橋に続く川沿いを歩けば、梅の橋がかかっている中程に自然主義とされる文豪・徳田秋声記念館がたたずんでいる。
母が車イスの時は、ひょうたん町の自宅から記念館まで散歩に連れてきて土笛を奏でると、仕上がっていない曲でもたいそう喜んだのを思い出す♪
多少なり音楽に縁を持てたのは、幼い頃 台所で料理を作りながら歌っていたのを耳にしたのが刷り込まれたのだろうか…クラシックのレコードはたくさんあった。
台所の真上の二階の七畳間で、講道館柔道四段の父に稽古をつけてもらい、「投げてみろ」と言われて足を掛けると、わざと投げられ方と落ち方を見せるようにドッシ~ン!…「ちょっと~やめて~!」と下から黄色い声が聞こえていた。
記念館脇にある階段を降りると、暗い河川敷を黙々とランニングしている人や腰をおろして涼む人たちがいる。
25年前 まだ金沢でオカリナ教室も無い頃、大橋の下で笛を吹くと、近所からおかしな音がすると苦情が来たとおまわりさんが飛んできた。橋の上は車がゴーゴー走る。この頃、大都会の赤ん坊がクラシック音楽に泣き出し、車の音で笑う…という現象が記事になっていた。
何年も経ちマスコミなどで土笛の音色が多少知られた頃、河川敷で笛を吹くと「もっとやって~毎日でも来て~♪」、或は河川沿いの家の人が出てきて即席のオカリナ教室になることも…
高校時代の学校帰りに女生徒と散歩した河川敷はほとんど変わらないが、川を観ながら「ゆく川の流れ は絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と色紙に書いてくれたのは、宮崎正明(故)先生。名訳「NOTO―能登・人に知られぬ日本の辺境」 (パーシヴァル ローエル 著、宮崎正明 訳 1991) を上梓された。
松原健之さんのデビュー曲「金沢望郷歌」(五木寛之 作詞)は、健之さんとコラボの時に初めてオカリナで演奏、金沢情緒を優雅に盛込んであると改めて感じる。
川面に映る星が揺らめき光る♪
★星に願いを(オカリナ)…浅野川沿い、徳田秋声記念館前。
YouTube:https://youtu.be/AnDFPnlJaag