湯浅内大臣との勅語問答。二・二六事件 その①

2007-03-08 | 橋本徹馬
『日本の敗戦降伏裏面史』より。



岡田内閣は2・26事件で仆(たお)れ3月9日に広田内閣が出現。
その5月4日帝国議会に於ける開院式に、天皇陛下の賜った勅語には
『今次東京に起これる事件は、朕の憾(うら)みとする処なり』
というお言葉があった。

この御一言で皇道護持の為と思って決起した連中は、
明白に陛下に対する反逆者となった訳である。

現にその頃熱海の陸軍病院で療養中であった河野壽大尉(湯河原で決起し牧野伯を襲撃した)は、
『陛下の御為めに立ち上がった私が、
夢にも思わなかった叛徒になった・・。』
と嘆いて自決している。



私(橋本徹馬)は彼等が余りにも憐れに思い、
湯浅倉平内大臣にお会いして言った。

『いったいあの勅語は、誰が陛下に奏請したものであるか。
私は甚だ出過ぎた事であるが、お許しを願って論じたい事がある!
あの勅語奏請の責任者は、内大臣たる貴方ですか?』


湯浅内大臣は答えて言う。

『あの勅語の奏請は政府の責任であって、私の与らぬ処である。
しかしあの勅語に対して、貴方に意見があると言われるのならば、
試みに私が承りましょう。』


そこで私は言った。

『あの勅語の中に・・朕の憾みとする処と言うお言葉があるが、
ああいうお言葉があると、叛乱将校に対し、天皇の御憎しみが懸かっている事が、
明らかに観取せられるが故に、所謂皇道派と統制派との間の相克が一層酷くなる。
殊にそれが下々に行くほど鋏状に甚だしくなって、軍部内の相克が激しくなる事を、お考えにならなかったのでしょうか?』


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で、まぁ、湯浅内大臣は「陛下が遺憾に思うのは無理もない、貴方だって遺憾に思うでしょう?」と答えたのね。
そんで橋本徹馬は

『遺憾な出来事には間違いないが、それが国民、軍部に対し、
如何なる影響を与えるかを考えて、勅語は奏請すべきものである。
ああいうお言葉があると、それ見よ!陛下は皇道派の事を憤っておられるのだ!
と言う事になって、統制派は居丈高になって行動派に圧力を加える。

 皇道派はまた自分達の心事の方が、統制派よりも遥かに正しいのだという信念のもとに、これを反撃する事になって、軍部の対立に油を注ぐ事になります。
だからあの様なお言葉は、勅語には奏請してはならぬと私は思います。』


湯浅内大臣は思慮深げな顔をして言った。

『それでは、どう言うお言葉を用いれば良いか、貴方の考えを言って御覧なさい。』

                                                    つづく・・・。


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