前回の続き。
これから島の漁業や「魚のある暮らし」に携わってみようという人が出てきてくれることを願って、
少しの間自分なりに感じたことや考えてきたことをまとめてみようと思います。
前回の終わりに最初の仕事として「ネットショップ」の立ち上げについて書くと言ってましたが、
その前にそもそもなんで漁協で働いていたのかについて触れたいと思います。
私の最初のキャリアは出版社で、本や雑誌を通じて幸せな価値観を発信したいと考えていました。
仕事で出会う「作家」や「著者」という人たちは「テーマ」を持っていて、その熱量に触れるにつれ、
より自分自身が世の中に貢献したいテーマは何だろうと考えるようになりました。
出張で訪れる日本各地の多様で特徴的な魚食文化に惹かれていた私は、
「魚のいない海」という1冊の本を読んでその魚が食べられなくなる時代が来るかもしれないという現状を知り、
その問題に対してアクションをしたいと思うようになったのでした。
8年半携わった出版の仕事ではベストセラーに関わることができ、著者の想いを伝えきれた達成感を感じていたことで、
「伝える」ことが漁業にも必要なんじゃないかと思ったのです。
一口に漁業と言っても、魚との関わり方は様々です。
漁師さんのように魚を獲る人もいれば、市場や魚屋さんのように流通を担う人もいる。
どんな仕事をしようかと考えていた時に「海士町」に出会ったのでした。
人口わずか2,400人ほど(当時)の離島でありながら、いわがき「春香」のブランド化や
CASという特殊な冷凍技術をいち早く導入して注目を集める島。
聞いたこともなかった島だからこそ、そこで取り組んでいる人たちに会ってみたくなったのでした。
そして初めて訪れたのが2010年の5月のこと。
数日間の滞在を経て、島の人たちと自然の魅力に取りつかれた私たち夫婦は、
5年以内くらいに海士町で暮らしたいと思うようになりました。
東京の日常に戻り、仕事をしながらもどこかに海士町のことが頭から離れません。
そんなとき、海士町漁協の求人情報を知ってその日に応募し、面接のため再び島へ。
帰り道の途中に採用の知らせを受けて、翌日会社には辞表を提出。
初めて島を訪れてから4か月後に、移住してしまったのでした。
そんなわけで、いつか魚が食べられなくなるかもしれないと知ったことで
「そうじゃない未来」のために働きたいと思ったことがすべてのきっかけでした。
次回、最初の仕事「ネットショップの立ち上げ」について、今度こそ書きます。
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