先日の三連休に鳥取砂丘に行ってきました。
その話の前に随分間が空きましたが夏の旅日記の続きを書きたいと思います。
8月16日 上湧別チューリップ公園の朝
風が強い。
昨日セイコーマートで買っておいたおにぎりで朝ごはん。
私は代り映えしないいつものメニュー。
とら母が買った「ちくわパン」は札幌発祥のパンで意外に美味しいです。
朝ごはんを済ませた後、ここに博物館があると言うので見に行くことにした。
北海道によく来る割に北海道の歴史には疎く、歴史と聞いて連想するのは「開拓」と言う言葉くらい。
明治に入りロシアの南進を危惧した政府は防衛と開発のために開拓使(使は行政機関の名称)を設置。
農地開拓のため明治維新で廃業した武士(士族)や将来を賭けた人々が移り住むこととなった。
「屯田兵」
普段は開拓、農業に従事し傍らで軍事訓練を行い有事の際に戦うためにその地に移り住んだ兵。
写真の小屋は屯田兵の体験施設。
ここは屯田兵として移り住んだ人達の暮らしを詳しく説明する屯田兵の博物館「ふるさと館JRY(ジェリー)」
館内に入ると大きな写真が展示してあった。
明治30年(今から126年前)、上湧別に本格的な開拓に入植した屯田兵と家族のもので残された唯一の写真とあった。
ここは展示物の数も多く規模も大きいけど、再現ジオラマが秀逸。
昔は長男は家を継げるけどそれ以外は仕事は無く、田畑を借りるか奉公に出るかで貧しかった。武士も身分制度の廃止で多くが職を失った。
新たな土地に希望を託して北海道を目指す人達を再現した精巧に作られたジオラマ。
船内で行われた土地の割り当て抽選の様子。
どんなとこか想像もつかない場所への期待と不安。
光の当て方が雰囲気を醸し出している。
船内で生まれた赤ん坊の様子。
船名の「武州丸」にちなんで武州と名付けられたとあった。
当時は港が無いため湧別浜に小船で夜中まで掛かって上陸した様子を再現したジオラマ。
照明がゆっくりと暗くなって日が暮れる様子を再現。
真っ暗な中、目印にと浜に焚かれた焚き火と遠くにある船にうっすらと灯りが灯っていた。
当時の大変さがよく伝わってくる。
上湧別まで歩いていく様子。
行列は1kmも続いたそうで奥行き感があるジオラマは、実際に奥行きを持たせて作ってある。
食事風景。
あえて天井視点。
他にもあって全部紹介したいくらいですが、リアルで見てもらいたいので、北海道に来たときには、是非行ってみてください。
この小屋は屯田兵屋(とんでんへいおく)と呼ばれるもので、実際使われていたものをここに移設。
明治から大正、昭和と時代が流れる。
国鉄最盛期の北海道の鉄路。
自分が小学生のころは電車好きって結構いて、鉄道クラブってのもあって、時刻表で仮想の日本一周をするってのも普通にやってた。
この時代の北海道を旅したら鉄道の旅もまた楽しいだろうなと思ってしまう。
キップも分厚い硬券。
丸形ポストの正式名称は「郵便差出箱1号」。
昭和24年から使われ始めたそうです。
昭和の日本が元気になり出したころだろうか。
50~60才代の人なら知ってるものが多いかな。
開拓にはなくてはならない必需品だったからでしょうか、すごい数の鋸。
さながら武器庫。
原野しかない土地に移り住み、極寒の冬を耐えて生き抜いた当時の人たちの暮らし。
少し北海道の「歴史」に触れた気がします。
北海道を旅するとき観光地に行きがちですが、こういった所もまた良かったりします。
一通り北海道を旅した方は是非立ち寄ってみてください。
ではまた。
(写真撮影については許可申請をしています)