JUN ROAD Ⅲ ~ラテン系半島人~

アナタがかつて 描いた「その日」共にHuntしてまいりましょう !

ひきこもる苦悩への支援とは ~淡路島で起きた出来事から~

2015年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム


 ようやく春めいてきたと思ったら、寒の戻りがあり、なかなか暖かくならないですね~。

 とは言うものの、僕の住まい近くには春の胎動をみかけることができました。

 皆さんのお住まい近くはいかがでしょう?

 
   



 さて、今月19日に兵庫県の淡路島で起きた事件について、僕なりに感じたことを述べてみたいと思います。

 罪を憎んで人を憎まずの流儀で。

 H氏(加害者)のご両親は、事件が起きる前までに、兵庫県洲本市(H氏の地元)と明石市にそれぞれある健康福祉事務所(保健所)に
 合わせて7回相談に行っていたという記事がありました。(2015年3月20日 9時52分 産経新聞ウェブニュースより)

 又、H氏は過去に精神科病院を入院した経験があり、診断も行われていました。

 
 H氏はひきこもり状態であったことは間違いないようです。

 5人の人を殺めてしまった罪は許されるものではありません。

 しかし、僕は修学期から事件に至るまでの間、H氏がずっとずっと苦悩していたのではないかと思えてなりません。



 苦悩。

 両親や親族は地元に貢献しているのに、自分はひきこもり状態であること。

 社会参加への道筋が見えない深い焦燥感。

 精神科病院に入院せざるを得なかったという心身の状態。

 精神科診断を受け、服薬はじめ精神科治療を受けなければならないという落胆。

 服薬の副作用。

 自身の苦悩を周囲に理解してもらえない絶望。

 孤独。


 
 H氏の苦悩は、僕の想像力などはるかにおよばないものだったと思います。

 その苦悩が限界を通りこした。


 もっと早く、第三者(支援に携わる人)が行動を起こすべきだったと強く感じています。


 支援者から見れば、相当な困難ケースです。

 自らが関わることで、かえって状況を悪化させたらどうしよう。

 明快な援助方法があるわけではなく、解決に至る道筋も容易には見いだせない。

 
 でも、少なからず事件前のH氏の状況を把握していた人は存在しました。

 機関といった方がいいでしょうか。


 僕もこれまで、事件を起こす前のH氏と重なるような方の支援に携わったことがありました。

 困難ケースは、当然いち機関ではその対処に限界があります。

 ではどうしたか。

 
 保健所やひきこもり地域支援センター(精神保健福祉センター)に自ら出向き、「困難ケースがあるので、共に支援を担って
 いただけないでしょうか」と依頼しました。

 そして、合同ケース検討会を催していただき、行政・民間それぞれの機関がどのような支援を担うのか、役割分担を明確に
 しました。

 その後も、定期的に情報交換(日頃に支援経過についてやりとりを行う)を重ねて、慎重かつ気長に取り組みました。

 「なかなか進展しません…」
 「ご苦労様です」
 「○○のような方法はどうでしょうか」
 「×さんには、こんな長所があるようです」
 「それは今後の援助に参考になりそうですね」
 「×さんのご家族も悩んでいらっしゃいます」
 「では、後日こちらで面談を設けましょう」

 このようなやり取りを続けていると、支援者の肩の荷も随分と和らぐものです。

 支援者の肩に荷が和らぐということは、その人(機関)に余裕が生まれ、本人とその家族をどう支援すれば良いのか、
 より多面的な考察が可能となります。


 一方、僕はこのようなケースがあると想定して、日頃から保健所やひきこもり地域支援センターのスタッフと顔見知りになる
 ことに努めていました。

 顔見知りになり、お互いざっくばらんに話せるようになると、それだけ信頼感も育まれます。

 「この人(機関)とだったら、難しいケースでも一緒に取り組んでいけそう!」

 そう思えたらしめたものです。

 支援者だって、ひきこもりに悩む本人や家族と共に、ひとりの人間なのです。



 いち機関ではどうにもならなくても、他機関でチームワークに取り組む。


 例えば、保健所の相談員さんには、「地域の方々の健康維持に取り組んでいます。今日はその一環で訪問しました」と言って、
 本人宅をそっと訪問する。

 一回二回は会えなくても当たり前。会えるまで何度でも行きます。

 会えない時は、「また来ます」とメモをポストに投函します。季節の写真がプリントされたハガキであれば尚良いでしょう。

 「○○保健所」「××県」と印字してある車で訪問せざるをえない時は、本人宅から離れた場所に駐車します。

 周囲に分かるよう、目立って支援するものではありません。

 それをせざるを得ない時は、精神科病院への搬送くらいでしょう。

 でも、実際にはこのような事態は極めて希有です。

 「精神保健福祉法第24条」には、精神保健指定医が「Aさんは△△という診断がつきます」と現場(本人宅にて本人を問診する)で判断
 が成された場合にのみ、保健所の車を使用して病院まで移送することができます。

 しかし、実際は警察官がパトカーを使って移送し、保健所の相談員さんはパトカーの後ろからついて行くのだそうです。

 本人を一時的にせよ拘束できるのは、日本では警察官だけです。

 警察官は「警察官職務執行法第三条」に基づいて行動します。

 ちなみに、精神保健指定医は、精神保健福祉センターでは常勤ですが、保健所にいつも居るとは限りません。

 病院やクリニックに勤務している指定医もいます。
 
 多忙を極める指定医のフットワークが軽いかどうか…。


 上記は、あくまでも精神科診断が比較的明瞭につく本人についての対応方法の一例です。


 ひきこもりに悩む人々が、すべてこのような人ではありません。

 診断がつかない人(社会的ひきこもりと言います)も沢山いるのです。


 そのような人々を精神科病院に入院させたら、その人の対人不信は取り返しのつかないものとなるでしょう。


 これに対して民間機関は、訪問に対する法的根拠がありませんので、行政機関よりも緩やかに接していきます。

 一部の民間機関には、いまだに「連れ去る」ように本人を施設や病院に連れていくこともあります。

 しかしながら、これは法的根拠に基づいた支援ではありません。

 ご両親やご家族がどんなに「連れ去る」ことを望んだとしてもです。

 何より、本人にはひきこもりや精神の病に関わらず、ひとりの人として認められる権利があります。

 

 僕は、季節折々の風景を写真に撮って、月に一度、本人に送っていました。

 文面には「会いたい」「話したい」とはすぐには書きません。

 
 そうやって、二年間送り続けた後に、晴れて対面を果たすことができたひきこもりの方がいました。


 関係諸機関に携わる方々が、ひとりでも多く危機感を持ち、同じような事件が二度と起こらぬよう、尽力されることを切に
 願います。


 

 
 


 


 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。