『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ロジハラ。正しさと自由のモンダイ

2020年10月08日 | 考える日々
いろんな〇〇ハラスメントの対策は、
人事部が対応すべきトップマターのひとつらしい。

そりゃ、心が病んでしまったら大変だもの。
働けなくなるのはもちろん、
復活までに10年20年かかって、
その人の人生も、まわりの人の人生も、
変わってしまう。

そもそもハラスメントって何?
と思って調べると、
「人権侵害」のことらしい。
へ~。

他にハラスメントって何があるんだろ、
と思って検索したら、出るわ出るわ。
セクハラ、パワハラ、マタハラ、モラハラ、
くらいは聞いたことあるけど、
  • アカデミックハラスメント(アカハラ)
  • ブラッドタイプハラスメント(ブラハラ)
  • カラオケハラスメント(カラハラ)
  • 子なしハラスメント
  • シングルハラスメント …などなど。
こうやって分類して並べてみたら、
「そっか、それは確かにイヤだよね」、
と思える材料が並んでる。

子どもが欲しい時に、産婦人科で、
妊婦さんと同じ待合室にいること自体、
結構気持ちは辛いもんなぁ。
彼氏いない時に、ヨコで彼の話をされるのも、
お金がない時に海外旅行の話を聞くのも、
アレもコレも、ソレもドレもドレミの唄~
じゃなくて、ハラスメント?

「人は人、ウチはウチ」。
わかっちゃいるけど、
悪気のない人の投げるボールでも、
いちいち傷つく。

それが、逃げ場のない場所で、
悪意で投げつけられた日にゃ!
そりゃ病むさ。

大人になるにつれ、
自分の問題じゃなくて、
言ってる方の話題なんだとわかってきたけど、
それでもやっぱり
「アイタタタ、そこは触れないで」
と思うことはたくさんある。

そもそも論で言えば、
ハラスメントとか名付けなくても、
「人の嫌がることは言わない、しない」
ってのは人として当たり前やん、と思う。

とは言え、×2回目。
無自覚に人様に嫌な思いをさせている事を
自覚する&してもらうためには、
新しい概念として名付ける方が
意識しやすい、ってのもあるよね。

いろんな分類をして、
これもアレも嫌な人がいるんだよ?って。
自分もやってそうなのがあるから
「細かいなー」って思うけど。

そういえば、今日、また
新たなハラスメントを聞いた。
「ロジハラ」=ロジックハラスメント
=正論で他人を追い込む嫌がらせ。

これ、正義だからタチが悪いよね。
自分が不自由であればあるほど、
他人の自由や幸せが目障りで、
道徳の時間にならったような正論を吐いて、
人を責め立てる。

「ペットが死んで休むなんて、会社を何だと思ってんの!」
みたいな事を頭ごなしに言う人ね。
ホントは自分も休みたいのに休まないから、
人が休むのが許せなくなる。

そんな人は、自分のペットが死んだ時にも
論理的正しさで感情を封印してしまうから、
心が悲鳴を上げて病んでしまうのかもしれない。

正しいことも、多数決も、
一般論として正しいことが、
あらゆる場面で通用するかは別。
そんなことみんな知ってるのに。

あらゆる戦争は、正論から始まるし、
あらゆる独裁者は、民主的に選ばれる。

その場にふさわしいことが何かと考える時は、
論理的に正しいかどうかや、
常識を外から持ってくるんじゃなくて、
その場にいる人が、自分たちの関係性の中で、
ケースバイケースで探していくしかないんだと思う。

さっきの例だったら、たとえば
周りでフォローして、状況が許す範囲で
「これだけはお願い。でもそれが終わったら
今日は早く帰ってあげてね」
って両方のバランス取ることもできるはず。

外をどれだけ探しても、答えがないことって、
これからもっともっと増えて行くんだろうな。
「自分の答は自分で探すしかない」っていうことを
教えてくれているような気がする。

自由と引き換えに自分で決めなきゃいけないしんどい時代。
結婚も住む家も、そうだよね。
わかんないことを強制されるのと、しんどい自由と、
どっちがいいか、選べるのが今の時代。

私は、やっぱり、
自分に担える程度のしんどさを引き受けて
(↑すごい低いレベルだけど)
できる範囲で、自分の中の
自由の比率を増やしていきたいなぁ…。


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