昨日、自分が知っている2つの現場の
エアコンが望む温度になってない時の、
室内で働く人の対応の違いを書きました。
これは、おそらく文化の違いです。
ひとつは、快適温度を空調の進化に求める文化(ビジネス界)。
もうひとつは、
快適でない時でも内面が乱れない方向を目指す文化(教育界)。
考えてみたら、これ、
業界の成り立ちの根本から来る違いだ!!
ビジネス界では
…と言っていいのかわかんないけど、
少なくとも製造業やIT業界では、
小さな違和感を大事にして、
それを物理的に解消する方法を考える。
その積み重ねでお客さんが喜ぶものを生み出し、
ひいては社会をより良く変えて行く方向で
社会に貢献する。
一方、教育界(対象によっては福祉業界も?)では、
小さな違和感なんかに左右されない人間を育てる方向。
少しくらい暑くても精神的に乗り越えて、
自分がやるべきことに集中できる方がいい。
外を変えるんじゃなくて自分を育てていこう、という方向。
うわ~、めっちゃおもしろい!!
物理的に外を変えていくビジネス界と、
精神的に内を育てる教育界。
なるほどね!!
あなたはどっち派ですか?
…って、対立する概念として聞いてみたけど、
人類はこれを、社会全体でも一人でも、
どっちもやってきた。だから、今の社会がある。
だとしたら、ビジネス界はめっちゃ頑張ってる。
今まさに必要なことは何かをいつでも考えて、
近未来に役立ちそうなものにアンテナを張って、
全力で、全速力で、世界標準で、必死に立ち向かう。
好きじゃないけど、「生き残りをかけて~~」が
ビジネスの世界のセミナー募集の常套句。
一方、教育界の変化のスピードは遅い。
自分が子どもの頃から、たいして変わってないもの。
ITが時代を変える速さが、音速や秒速レベルだとしたら、
教育界の変化は歩く速さのイメージ。
人間の変わらなさにフォーカスしたら、
そのくらいでいいのかもしれないけど、
時代の変化への対応としては、
知識の詰め込みなんかは機械に任せて、
人間の内面的な精神性や創造性を育む方向に
シフトする必要があると思うなぁ~。
最先端の技術と言わずとも、
鉛筆一本だって、
使う人次第で芸術にも武器にもなる。
人間の内面が育たないまま
物理(道具・テクノロジー)が育っていく危うさ。
人間が育つのを技術が待っててくれない状態で、
技術と平和に共存するために、
何が必要か、何ができるのか。
…って、そんなこと、
私にわかるわけがない。
人の中身を育てる必要性はありそうだけど、
教育業界全体の変化を待っていたら
赤ん坊だってすぐ大人になってしまう。
だから、各自、自分の手の届く範囲で、
人間を育てる方向に一歩ずつ!
トップダウンで世界標準で一気に変わるんじゃなくて、
ボトムアップ…アップは難しくても、
現場で一人ひとりに合わせて対応を変えていけるのは、
教育の得意技のひとつだから。
ITならプログラムに沿って一律に平等。
イレギュラー対応でさえ、
プログラムされたものしか受け付けてくれないもの(^^)。
「ゆらぎ」も人間の得意技かもしれないな。
確実に再現できる事だけが正しいとは限らない。
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