『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

フォルメン、一緒にやってみたよー

2021年11月24日 | フォルメン
今日は久しぶりに
神戸シュタイナーハウスの大人クラス+
中学生一人で、リアルに集合して、
大好きなフォルメンを、
一緒にやってみることになりました。
うれしい!

「フォルメン楽しい~」という話をしていたら、
「今度教えて」みたいな話になって。
「教える」スキルはないけど、
普段、私がどんな感じでトライしているのか、
案内?紹介?ならできるかな、ってことで。

動く時に、
どういうことにフォーカスしているのか、
意識するポイントは? みたいなことを、
一緒に動きながら、お伝えしました。

自分も実感のあることはアレコレ話しましたが、
つたない案内の要所要所で、
みなさんにも、
動きながら感じたことを聞いてみました。

同じ形を動いても、
「中に入って行く感じが心地良かった」という人もいれば、
「溜まったものをペッ吐き出せた感じがした」という人、
「手を上げた時にクレヨンに光が集まる気がした」という人や、
「いつでも受け取ってばっかりだな〜って気づいた」という人など、
それぞれにとって、まったく違う体験になりました。

一人ひとりが、それぞれなりに、
自分のココロに去来するさざ波をキャッチし、
ていねいに見止めて言葉にできたのだとしたら、
嬉しい限りです。

半時間ほど動いてみて
「そろそろ疲れてきましたか?」と聞いたら、
お昼が迫ってきているのに、終わる空気にならなかったので、
嬉しくなって「じゃあ、もうひとつ!」と、
予定していたより多くご紹介できました。

一通り終わって、「お疲れ様でした〜」ってなった後、
お一人が、お昼の用意をしながら、
「あれ、なんかスッキリしてるみたい??」
と、ご自分の変化をおっしゃってましたが、
そうそう、そうなんですよね!

フォルメンって、
なぜか元気をチャージしてる気がします。
「気のせい」かもしれませんが、
「気」が活性化している「気」がすることは確かです。

呼吸を意識するせいなのか、
集中と開放のせいなのか、
理由はよくわかりませんが、
ココロのヨガ的な役割もあるかと思います。

一連の動きをすることで、
意識する、ほぐす、柔らかくする、整える、外と中をつなぐ、
みたいなことが行われているのでしょう。

「想い」は目に見えませんが、
見えないから「ない」、のではなく、
見えても見えなくても、あるものは「ある」。
「気のせい」って無視しようが、何しようが、
注目した時には必ず共に「ある」もの、それが想い。

「想い」のように人によって違うものは、
学問の世界では再現性がないために「ない」ものになるけど、
一人ひとりの中では、確実に「ある」からね。
たとえば、誰かを、何かを好きな気持ち、とかさ。
そして、それこそが、人ひとりの値打ちだから。

今日みんなで動いたのは、
ごくごくシンプルな線でしたが、
その体験は、
私にとっても、大きな喜びでした。

みんなで一緒にやる時は、
「これを通して、私が伝えたいことは何?」とか
「それをお伝えするために、
何をどういう順番でやればいいかな」とか、
あれこれ考えるし、緊張もする。

だけど、その過程で一番学び、
その時間、一番充実しているのは、
案内する側の人間なんだろうな〜って思う。

自分から、価値があると実感する何かを提供して、
それを、価値あるものとして受け取ってもらえるなんて、
本当に幸せな時間です。

この充実感がたまらない。
またやってみたいな〜。
出来るかな?

…とか言ってちゃダメなんだ。
自分に出来る範囲でやればいい。
情熱と勇気、ですね。ハイ。

もう一つ、お座敷をかけてもらえそうだから、
今日やらせてもらったものを、
もうちょっとブラッシュアップしてみようっと♪

受け取るばかりであまり提供できない私に、
繰り出せる機会をいただき、
ありがとうございました。



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