
こんなご時世なので、いろんな方面で、
「安全第一、何もしないのが一番いい」、
なんてことになっています。
中学時代のメインイベントに近い、
トライヤルウィークや修学旅行だって、
なくなってしまいました。
まるで、
昨日みんなで読んだ
「自由の哲学」13章に出て来る、
悲観主義のショーペンハウアーみたい。
曰く、
「世界は、やみくもの欲望で出来てるから、
人間にできることは、欲望を抑えることだ。
結局は、何も欲しがらず、何もしないのが一番いい」
なんていう、夢も希望もない説。
でもさ~。
今日は子どもたちの発表会があったんです。
小さい人から大きな人まで、いろんな人の演奏も、
親子や、お友達同士のセッションも、
どれも、本当に真面目に、誠実に行われ、
見ているこっちも、祈るような気持ちになり。
後ろから見ていると、
曲と一緒に身体が揺れている人が多数。
聞き手も応援しているのがわかります。
毎年の事なので、
「あの子、大きくなったね~」とか、
「さすがの安定感だね」とか
「相変わらず華やかだね」とか。
他のお子さんの成長も、
こっそり楽しみにしています。
何か月も前から、いっぱい練習したであろう、
普段よりちょっとレベルの高い曲のアレコレ。
その披露の場である発表会ができて、
本当に良かったな~と思います。
いろいろ形は変わったし、
ものすごく制約も多かったけど、
勇気を出して開催してくださった先生に
感謝!!
さっきの、
悲観主義のショーペンハウアー氏に申し上げたい。
「世界は、やみくもの欲望の突き上げだけで
動いているわけではないようですよ」って。
人からどう言われるかわからないし、
何かあったら、責任問われるし、
中止した方が無難なことはわかってる。
そんな状況の中でも、
「子どもの成長には、発表の場が必要だ」つまり、
「人間の成長には、経験が必要だ」と信じて、
安全面をめちゃくちゃ考えて、
できる対策もあれこれ講じて、
いろいろ用意して、場所を作ってくださった。
人は、感情の勢いだけじゃなくて、
自分がいいと思うことのために、
周到な準備をして実現することも出来るんですよー。
ショーペンハウアー自身だって、
そうしてたはずなのに。
人間の、世界のことを知りたくて、
一生かけて考え続けたはずなのに。
やみくもに感情に突き動かされてたわけじゃなくて、
大学の先生の職を引き受けたりもして、
それを可能にする術も講じてたのに。
なんでそこは見えなかったんだろうな?
自分のことって、哲学者でも見えないのかー。
考える事と、見る事は、
こんなにも別の作業なのね。
考える作業と見る作業を
同じくらいの比重で取り組んでいたら、
彼のファイナルアンサーは
悲観主義じゃなかったかもしれないな。
「何も欲しがらず、何もしない」
要は、夢や希望が無くても生きることは可能だと言っているわけです。
それがどれほど難しいことかを考えるべきでしょう。