神戸シュタイナーハウスでは今、
カロリーネ・フォン・ハイデブラントの
「子どもの体と心の成長」を読んでいます。
今回読んだのは3章。
読んでいて「おおっ!!」と思ったことを、
いくつか書き留めておきます。
「意識は死という基盤の上にのみ発展する(P103)」
「生命がある程度まで抑圧されることによって
意識は発生する(P104)」
これ、はじめは意味がわからなかったのだけれど、
私は次のようなことだと理解しました。
寝ている間に、人は成長する、というけれど、
寝ている時には、意識がありません。
子どもを見ていると、遊びが楽しくて、
生き生きと夢中で遊んでいる時には、
「夢中」という言葉通り、モノゴトを意識していません。
まさに「生命」という輝きに包まれています。
モノゴトがうまく行っている時も、
たぶん、それほど意識的ではありません。
ところが、友達が帰った後、
「宿題したの?」と言われたり、
何かに熱中している時に
「お風呂入ろう」と言われたりした時。
その途端、子どもの意識がムクムクと起きあがってきます。
生き生き輝いていたのが、
とたんに意識的になり、
その分、アレコレ言い訳をしたくなったりして、
「夢の中」ではなくなります。
大人でも、日常で問題がない時には、
あまり意識せずに過ごせるけれど、
何かトラブルがあったり、もめ事があったり、
めんどーなことをしなくちゃならなくなったりしたら、
そのとたんに、意識がムクムクと起きあがってくる。
意識は常に、そういうプロセスで発生する。
という意味なんでしょう。きっと。
とすると、
自由に生きるためには意識的に生きることが必要だし、
意識的に生きるには、適度なストレスは必要なのね。
あ、でも、待って。
人は、外からのストレスがないと
意識を起こすことはできないのかな?
そんなことないな。
自分で何かを考えたくて考えている時には、
過度なストレスなしに、
許容範囲で意識を起こすことができる。
気にならないけど、少し不思議に思ったこと、
どう生きていくのかな、なんて漠然としたこと、
友達の話に寄り添ってみる…など。
そんな一つひとつを、立ち止まって考えてみる。
それって、すごく意識が起きてくるし、
それは、確かな時間だね。
自分の考えたいことを考えられる時間。
贅沢だなぁ。
これぞ、愛すべき時間だなぁ。
こういうことを重ねて行くと、
少しずつ、世が愛おしく感じられるなぁ。
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