
自分が見ているもの、自分に見えるものは、
自分の鏡である、という言い方があります。
イジワルな気持ちの時は、
まわりのイジワルな人に敏感になっちゃうし、
自分が妊婦の時には妊婦さんに注目しちゃう、
みたいなことは、誰でも思い当たりますよね?
先月は、キュウリが
周りに支えられている自分を教えてくれたので、
今月はその対極の杜仲を見ていました。
自分の違った一面を見せてくれるかな?
杜仲は、何度かご紹介しているように、
春先から夏までの数か月で2~3m伸びます。
細いのにまっすぐ天に向かって立ってて、
台風が来たって倒れない。

それに自分を重ねてみたら、
「私」は、この皮膚の区切りの中の私だけじゃない、
環境も周りの人も含めて全部私、みたいに感じた、
という話をしました。
…そう思ったものの、
やっぱり、あの真っすぐ天に向かって伸びるものに、
素直に自分を重ねるのは、とても難しい。
全面的に重ねるのは難しいので、
自分の中に一部分でも、
ああいう真っすぐ天に向かう要素がないか、
自分の中を探してみました。
精神。
目まぐるしくブレる気持ちと違って、
精神は時空を超えて真っすぐ天地をつなぐ。
ヤバい言い方だけど(^^)。
そっか、杜仲が神々しい精神を表してて、
それを見てるこっちが、生々しい血肉の担当か?
陰陽でいうと、杜仲が陽だとして、
こっちが陰、みたいな感じ。
…というような話をしていたら、娘が
「え、あっちが陽なん? 大丈夫?
私は完全にアレより輝いてる自身あるわ!」
とのたまった。
ええっ、そうなの???
謎に切りつけてきたのは謎だけど(^^;)、
思春期の人たちは、
内からも外からも命がキラッキラ。
あの生命力の輝きが眩しいわ!
思春期は、真夏の葉っぱみたいに
青々艶々とした時代。
こっちは、
命がパツパツに詰まって
研ぎ澄まされている時代を越えて、
秋になって枯れて落ちていく時代。
でも、夏の光を集めて実をつけたり、
お茶になって誰かに飲んでもらえる時代。
飲んでもらえない葉っぱも、
もれなく大地の養分になっていく。
年食ったこっちは、昼行燈みたいに、
誰かが暗く弱った時だけ気付く程度の、
ぬるま湯みたいな温度で、
ほのかに光っときましょうかね。
▼本日のフォルメン 54/100

昨日、らせんを描く時、
いったん同じ方向に沿うことで、
どんな方向に進んでも調和的な図になる!
っていうのがおもしろかった。
問い。どの方向でも、数でも、
ホントに調和する?
答え。するする。調和する!
いろいろ試したら、どれも調和してる!
「いったん沿う」って、めっちゃ大事なんだな!
今日は、きっと、
答えを自分の中から見つける練習をしたんだろうな。
絵を見るのも、こういう感じで見ればいい。
画家の名前やタイトルを知らなくても、
「自分はこう感じた」に自信を持とう。
木を見て、客観的な説明や何やよりも、
「こう感じた」を最初にキャッチしよう。
※「何コレ?おもしろそー」という方は、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心を整えるヨガであり、瞑想の時間です
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