■自由の哲学13章40段落
私たちは、何でもいいから快に向かって努力するのではない。
ある特定の欲(おなかがすいた、本が読みたい、など)に向かって、
快を満たそうとする。
だから、他の快がヨコにあっても、
そんなものでは満足できない。
おなかがすいているのに散歩ができるとか、
本が読みたいのに映画に行けるとかでは、満足できない。
快であれば何でもいいなら、それで満足できるはずなのに、
特定の欲に向かっているから、満足できない。
たとえ、快を上回る不快があるとしても、
欲が大きかったら、快に向かって歩む。
問題は、快が大きいか不快が大きいかではなく、
不快をしのぐほど欲が大きいかどうか、だ。
欲より不快が大きいいと、欲はなくなる。
不快より欲が大きいと、不快を越えてなお、欲を満たそうとする。
山を登るのがどんなに大変だとしても
上からの景色を見るのが好きな人なら、登るだろう。
景色を見る快と、山を登る不快の
どっちが大きいか比べて計算したりはしない。
景色を見たい、という思いが
山を登る大変さより大きいかどうかだ。
※
言い換えるなら、
欲さえ大きければどんな不快も乗り越えられる
ということですね。
なんと力強い!
別に高尚なことでなくても、
好きなアーティストが出る深夜ラジオを聞きたい
という欲を持つ高校生は、
次の朝、起きられなくてとても大変だ、という不快が
簡単に想像できたって、深夜にラジオを聞くのです。
そして、それは、家の人に
「いつまで起きてんの? 明日起きられないよ」と言われたって、
明日の朝が大変だという不快と、
ラジオを聞きたいという快を比べているのではなく、
ラジオを聞きたいという欲は
明日の朝大変だという不快を越えてなお大きいから、
やっぱり、親が何を言おうと、隠れてこっそり聞くのです。
なつかし(^^)。
今なら、何だろう。
庭の餌台に炊飯器に残ったご飯粒を出すのに、
寒いから今日はやんぴ~と思う不快と、
雀が来て餌を食べるのを見るかわいらしさとを比べて、
雀が近くで餌を食べている姿が見たい
という欲が大きければ、ご飯粒を出すのでしょう。
自分のことで考えてみると、
欲は特定のものに向かっていることがよくわかります。
誰でもいいから深夜ラジオを聞きたいのではなくて、
そのアーティストのラジオを聞きたいのです。
雀に近くに来て欲しいのであって、
カラスやネコに来て欲しいのではないのです。
親は「一緒だからコレでいいでしょ、喧嘩しないで!」
なんて、ふつーに子どもに言いますが、
子どもが聞かないのは、こういうことなんですね。
それじゃなくて、コレが欲しいのです。
たとえ、同じ積木セットの中の
色も形も同じ大きさの積木だったとしても、
それじゃなくてコレが欲しいのですね。
○○ちゃんが先に取った「コレ」が(^^;)。
一緒なんだけどね。
一緒じゃないのね。
おもしろいな~。
私たちは、何でもいいから快に向かって努力するのではない。
ある特定の欲(おなかがすいた、本が読みたい、など)に向かって、
快を満たそうとする。
だから、他の快がヨコにあっても、
そんなものでは満足できない。
おなかがすいているのに散歩ができるとか、
本が読みたいのに映画に行けるとかでは、満足できない。
快であれば何でもいいなら、それで満足できるはずなのに、
特定の欲に向かっているから、満足できない。
たとえ、快を上回る不快があるとしても、
欲が大きかったら、快に向かって歩む。
問題は、快が大きいか不快が大きいかではなく、
不快をしのぐほど欲が大きいかどうか、だ。
欲より不快が大きいいと、欲はなくなる。
不快より欲が大きいと、不快を越えてなお、欲を満たそうとする。
山を登るのがどんなに大変だとしても
上からの景色を見るのが好きな人なら、登るだろう。
景色を見る快と、山を登る不快の
どっちが大きいか比べて計算したりはしない。
景色を見たい、という思いが
山を登る大変さより大きいかどうかだ。
※
言い換えるなら、
欲さえ大きければどんな不快も乗り越えられる
ということですね。
なんと力強い!
別に高尚なことでなくても、
好きなアーティストが出る深夜ラジオを聞きたい
という欲を持つ高校生は、
次の朝、起きられなくてとても大変だ、という不快が
簡単に想像できたって、深夜にラジオを聞くのです。
そして、それは、家の人に
「いつまで起きてんの? 明日起きられないよ」と言われたって、
明日の朝が大変だという不快と、
ラジオを聞きたいという快を比べているのではなく、
ラジオを聞きたいという欲は
明日の朝大変だという不快を越えてなお大きいから、
やっぱり、親が何を言おうと、隠れてこっそり聞くのです。
なつかし(^^)。
今なら、何だろう。
庭の餌台に炊飯器に残ったご飯粒を出すのに、
寒いから今日はやんぴ~と思う不快と、
雀が来て餌を食べるのを見るかわいらしさとを比べて、
雀が近くで餌を食べている姿が見たい
という欲が大きければ、ご飯粒を出すのでしょう。
自分のことで考えてみると、
欲は特定のものに向かっていることがよくわかります。
誰でもいいから深夜ラジオを聞きたいのではなくて、
そのアーティストのラジオを聞きたいのです。
雀に近くに来て欲しいのであって、
カラスやネコに来て欲しいのではないのです。
親は「一緒だからコレでいいでしょ、喧嘩しないで!」
なんて、ふつーに子どもに言いますが、
子どもが聞かないのは、こういうことなんですね。
それじゃなくて、コレが欲しいのです。
たとえ、同じ積木セットの中の
色も形も同じ大きさの積木だったとしても、
それじゃなくてコレが欲しいのですね。
○○ちゃんが先に取った「コレ」が(^^;)。
一緒なんだけどね。
一緒じゃないのね。
おもしろいな~。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます