綿の花が咲きました。
なので、綿の苗をくれた人に
「こんな花が咲きました!」って、
昨日書いてたようなことを報告しました。
その人のは、まだ咲いていないらしく、
「どんな花なんですか?」って言うので、
写真を見せながら、あれこれと
花から受ける印象とかを語ってたら、
「そのモノの見方がおもしろい〜!」って
すごい楽しそうに聞いてくれました。
そんなトンデモ話を聞いてくれるのが嬉しくて、
「外から見たら、目に見える形だけしか見えないけど、
自分も相手の中に入って重なる感じになれたら、
その分、教えてもらえることは増えるかな〜?」
と、ゲーテ的観察を、たどたどしく語ってました。
なので、綿の苗をくれた人に
「こんな花が咲きました!」って、
昨日書いてたようなことを報告しました。
その人のは、まだ咲いていないらしく、
「どんな花なんですか?」って言うので、
写真を見せながら、あれこれと
花から受ける印象とかを語ってたら、
「そのモノの見方がおもしろい〜!」って
すごい楽しそうに聞いてくれました。
そんなトンデモ話を聞いてくれるのが嬉しくて、
「外から見たら、目に見える形だけしか見えないけど、
自分も相手の中に入って重なる感じになれたら、
その分、教えてもらえることは増えるかな〜?」
と、ゲーテ的観察を、たどたどしく語ってました。
そんなに、相手の中に入って重なって見られるなら、
家族や友達のことだって、すっかりわかるはずで、
まぁ、そんなにうまくはいかないんだけどね。
だからこそ、少しずつ練習を重ねているわけで。
そのうち、
「私に綿の苗をくれた人に種をくれた人」
(ああ、ややこしい)が登場したので、
「綿って、こんな萼の形なんですね〜!」
と、花が咲いたことを報告しました。
そしたら、お茶の心得のある雅なその方から、
「そんなに丁寧に見てくださったなんて。
ありがとうございます」という
感謝の言葉を賜りました(^^)。
自分の舞台でもないのに、
「見て下さってありがとう」っていう発想は、
なんか不思議でした。
「綿(と、それにつながる世界)を、
愛してくださってありがとう、って感じ?
なんか、漱石が「I LOVE YOU」を
「月がキレイですね」と訳したエピソードとも
価値観が重なる部分があるようなないような。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます