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『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

これだからたまらない『自由の哲学』!!

2020年05月24日 | 『自由の哲学』


もう何度目になるだろう。
また改めて『自由の哲学』を読んでいる。
その都度、わかるところが少し増える。 
気になるところが変わる。 

一人では、つい読みやすい本に走ってしまうけど、
一緒に読む仲間がいると、励みになる。
互いに楽しく厳しく前向きに切磋琢磨しながら、
自分なりの言葉でそれぞれ読み解いていく。

「次は最初に一人1章ずつ担当して復習しよ」
「4章はイヤや〜」「あみだで決めます?」
「よしっ!」「うわ〜、当たった! 頑張ります!」とか、
「私は1段落ずつ見出しつけながら読んだよ」
「次、みんなそうやって読む?」
「自分の言葉でまとめてみることから始めよーよ」とか。

あかん!
大変すぎるけど、おもしろすぎる。
そして、シアワセすぎる!

シュタイナーと言えば、
時代の常識と違いすぎて時に驚かれるけど、
今からほんの100年ほど前、
当時のカントやらヘーゲルやらと格闘した哲学者でもあるんだ、と読書会仲間の弁。
ホントだねー。

で、私がこの本に魅かれるわけを
また発見してしまった。

そりゃもちろん
「いろんな制約から自由になりたい」という、
狭い意味でも魅力的なんだけど、
もっと大きな意味での自由、
この時代に生きて、現状を諦めず、
自分の望みを実現していく自由。

な〜〜〜〜んていう
壮大なスケールの「自由」も
視野に入っている本。

こんな言葉を使うと、
自分の身の程知らずに笑っちゃうけど、
それはそれでいい。

この本読んでたらね、
世の中に対しても自分に対しても、
「どうせムダだし」「私には無理だから」と、
悲観的なところに逃げ込んで、
他者の責任にして放置することを自分に許さない、
みたいなパワフルなところがある。

そこがいいんだよね〜。 
ホント、励ましてくれる!!

小さい小さい自分には手の届かないところでも、
カケラほどなら出来ることもある。 
出来ることをするのは無駄ではなくて、
0だったものが、0.00000001に増える。


そんな風に考えられるようになると、
とても伸びやかで心地よいのです。

たとえばね。
世界平和は難しくても、家族平和なら取り組める。
格差社会はなくせなくても、
フェアトレードで買いものが出来る。
地球環境は保護できなくても、
ネギの根っこを捨てずに植えることは出来る。

ま、そんなしょーもない事を
大きな顔で言うな、って話なんだけどさ。

ずっと、いつでも、はできなくても、
やったらやった分、前に進んでる、
私の行動もムダじゃない、と思える。

自由の哲学には書いてないけど、
人間をダメにする悪魔が二人いるらしい。

一人は「これ楽しいでしょ、あれもこれも欲しいでしょ」
っていう、気を散らせて人間をふわふわさせる悪魔、
ルツィファー。

もう一人は「お前なんかが何やっても無駄だよ」
っていう、悲観的に硬直させてしまう悪魔、
アーリマン。

誰の中にもいるこの二人を意識してるだけで、
「人生の目的はラクすることじゃないもーーーーん」
「ヘタレな私でも何かできることあるもーーーん」
と思えるのだ。わはは。

厳しいけど、それってかなり楽しくない?


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