温泉ウォーキングブログ

HP「温泉ウォーキング/浦和発」のブログ版。

「生きて行く私」

2008-06-15 17:31:27 | 日記風・あれこれ・・・
こんにちは。

3日ほど、「前立腺癌」の生体検査で入院していました。
2回目の「細胞採取検査」でした。
6/25に結果が分かります。
1回目でやや疑わしいというデータが出て、2回目の検査では多分20~50%の確率で癌細胞が摘出されるとのことです。
自覚症状は全くないのですが、男性ホルモンの量が通常の30倍もあるとの血液検査の結果です。
これは違う病院も含めて4回同じ程度のデータです。
しかし、この癌は進行が遅く転移も可能性が低いので、あまり心配はないようです。
転移していないらしいことは、先に実施している別の検査でほぼ間違いないとのことです。

入院中、「生きて行く私」(宇野千代)が、題名からして励みになると思い病院に持参したのですが、まぁー驚いたことに、13歳からの結婚(最初の結婚らしきものは10日で破局)、同棲、不倫、通い婚、深い関係と合計19人もの男性との付き合いの話が前半66歳くらいまでの男遍歴物語でした。

しかし、後半は、北原武夫(小説家)との約22年の結婚生活の破局(北原が10歳年下であった)で男性遍歴はほぼ終わりと成り、それからは実に立派で、素晴らしい活躍をした人です。

中でも、岐阜県の梶尾村の樹齢1200年の桜の木の継ぎ根を県知事に嘆願して、今や立派な「桜祭り」が行われるまでに尽力とアイデアと資金を提供し、不人気な岐阜羽島駅が毎年唯一賑わうイベントとしての『薄墨桜祭り』になっている逸話は感動的です!!

北原武夫(当時46歳)は宇野千代が66歳のとき若い女が出来て別れました。
宇野千代はいつでも別れた男を憎んでいなかったから、新しい女のことで男から相談を受ける相談に乗り、いつしか女とも自然な付き合いをするよるのだったとのこと。

東郷青児の自殺未遂事件の女性は宇野千代より先に東郷青児と深い間柄になり、東郷に妻がいたから二人は心中を図ったが、二人とも生き残って一時別れた時に宇野千代と東郷が初めて出会って、宇野と東郷が別れた原因は心中相手と東郷の縒りが戻ったからで、縒りの戻った女性と東郷の間に生まれた娘(東郷たまみ。画家)とは、後年実によい関係を保っていた。
・・・・等という話は、あの宇野千代さんからはとても想像できない人生です。

私は、今まで、彼女の本は「天風先生講義録」(宇野千代。哲学者、中村天風の講義を女性向けに宇野千代が編纂)という超まじめな本しか読んでいなかったから、とても落差を感じましたが、同じ人間としてとてつもないスケールの人がいるものだと驚きました(尊敬の念も少し=バテタリティーに関して!)。
コメント
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